主イエスの栄光の顕現(3)
ヨハネの黙示録を味わうの目次
15. 主イエスの栄光の顕現(3)
【聖書箇所】 1章15節
【新改訳改訂第3版】
その足は、炉で精錬されて光り輝くしんちゅうのようであり、その声は大水の音のようであった。【新共同訳】
足は炉で精錬されたしんちゅうのように輝き、声は大水のとどろきのようであった。【エマオ訳】
そして彼の足は炉で精錬されて光輝く真鍮のようであり、彼の声は大滝の音のようであった。
- ヨハネは七つの燭台の真中に立つ方の頭から足に目を落とします。そしてそこに光り輝くしんちゅう(真鍮)のような足を彼は見たのです。
1. 光輝く真鍮のような足
- 「光輝くしんちゅう(真鍮)」と訳される「カルコリバノン」(χαλκολίβανον)は、黙示録1章15節と2章18節にのみ使われている語彙です。
- 真鍮(しんちゅう)とは、金のような美しい輝きを持つ金属です。銅と亜鉛の合金「黄銅」の別名で、英語ではbrass(ブラス)。金管楽器のことを「ブラス」って言うのは真鍮に由来しています。真鍮も黄銅も、呼び方が違うだけで基本的には同じものです.
- 黙示録1章15節では、「炉で精錬された」という部分が現在完了形受動態です。それは今、精錬されたばかりということを意味します。事実、主イエスは栄光を受けられる前に十字架の苦しみという経験をされたばかりの状態であられたということを表わしています。
- 旧約のダニエル書10章にも似たような表現があります。
10:5 私が目を上げて、見ると、そこに、ひとりの人がいて、亜麻布の衣を着、腰にはウファズの金の帯を締めていた。
10:6 そのからだは緑柱石のようであり、その顔はいなずまのようであり、その目は燃えるたいまつのようであった。また、その腕と足は、みがき上げた青銅のようで、そのことばの声は群集の声のようであった。
- バビロンの王ネブカデネザルの見た夢の巨人の足は鉄と粘土で出来ていました。その足は一つの石(メシアの象徴)によって一瞬にしてもろくも崩れ去りました。それに対して、ヨハネが見た方の足は精錬された輝く真鍮のようであり、確固とした堅いものであったことを暗示しています。
- 光輝く真鍮は聖書ではしばしば神のさばきと関連しています。炉で精錬された真鍮のような美しさ、まばゆいまでの輝きをもった主の御足は、全能の力、あるいは、すべての敵を足の下に踏み砕く権威を表わしています。
2. 大水のようなとどろき
- 「その声は大水の音のようであった」(1:15)
「大水のとどろき」とは、主の御声は全地に響き渡っていることを意味します。「大水の音(とどろき)」という表現は、黙示録14章2節、19章6節にも出てきます。旧約では、ダニエル書10章6節、エゼキエル書1章24節、43章2節にも使われています。以下、すべて新改訳改訂3版(1) 黙示録14章2 節
私は天からの声を聞いた。大水の音のようで、また、激しい雷鳴のようであった。また、私の聞いたその声は、立琴をひく人々が立琴をかき鳴らしている音のようでもあった。
(2) 黙示録19章6節
また、私は大群衆の声、大水の音、激しい雷鳴のようなものが、こう言うのを聞いた。・・・
(3) ダニエル書10章6節
・・・そのことばの声は群集の声のようであった。
(4) エゼキエル書1章24節
彼らが進むとき、私は彼らの翼の音を聞いた。それは大水のとどろきのようであり、全能者の声のようであった。それは陣営の騒音のような大きな音で、彼らが立ち止まるときには、その翼を垂れた。
(5) エゼキエル書43章2節
すると、イスラエルの神の栄光が東のほうから現れた。その音は大水のとどろきのようであって、地はその栄光で輝いた。
- ヨハネが見た御座での光景では、主の声は神をたたえる天上のコーラスでしたが、それが地上に現われるときには、主の声は雷鳴としてなり響き、恐るべき威力をもたらし、名高いレバノン杉の誇りさえも打ち砕いてしまうほどだとしています。特に、詩篇29篇には「主の声」が7回も使われています。それらはすべて自然における脅威をもたらしています。旧約では、栄光の神はしばしば神の敵に対して雷鳴をとどろかせて敵の軍勢を打ち負かしています(Ⅰサムエル7章10節参照)。
2013.12.7
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