****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

主よ。あなたに並ぶ者はありません

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13. 主よ。あなたに並ぶ者はありません

【聖書箇所】 10章1節~25節

ベレーシート

  • エレミヤ書10章では、「まことの神」(10:10, 18)が偶像を辛辣に批判しています。ここで「まことの神」と称するのは天と地を造られた創造の主です。エレミヤ書10章では、「主は、御力をもって地を造り(「アーサー」עָשָׂה)、知恵をもって世界を堅く建て、英知をもって天を張られた」方(10:12)。「主は万物を造る(「ヤーツァル」יָצַר)方」(10:16)と告白されています。
  • イザヤ書にも同じく偶像に対する攻撃が記されています(40:18~20/41:7/44:9~20/46:5~7参照)。一体、偶像の危険は何なのでしょうか。偶像の危険をだれよりも熱心に教えようとしている主の意図はどこにあるのでしょうか。なによりも偶像の危険は神によってしか教えられないことにあります。偶像とは人間の欲望を無限に肯定する神だからです。偶像の神は、人間のうちにある欲望を目に見える形にしたものであり、あくまでも「自分のために」、人間によって造られたものだからです。したがって、人を正しい道に導くという教えをもっていません。欲望を無限に肯定するので、結果的には、幻想という運命しかもたらすことができません。それゆえに、「まことの神」は偶像に対して熱心に警告するのです。それは人に対する神の愛にほかなりません。人間の愚かさは、神の教えを無視して、偶像の神を自分のために選び取ってしまうことにあります。
  • 石や木に金や金をかぶせて、色鮮やかな衣を着せて人を感嘆させたとしても、それによって偶像が「神」になるわけでもありません。そのことに気づかないことの中に危険が潜んでいます。神はユダの民にこの偶像の虚しさをとことん教えるために、バビロン捕囚という荒治療をするのです。事実、ユダの民はこの手痛い神の訓練によって、やがてそこから解放されてからは、一切の偶像から完全に手を切ったほどでした。

1. 「ヘヴェル」הֶבֶל

画像の説明
  • エレミヤ書10章には「ヘヴェル」という語彙が3回(3, 8, 15節)使われています。エレミヤ書では他にも、2:5/8:19/14:22/16:19/51:18の5箇所で使われていますが、NIV訳はworthlessと訳しています。エレミヤ書に次いで多いのが詩篇ですが、その頻度は9回です。この「ヘヴェル」という語彙が最も多く使われているのは「伝道者の書」でなんと38回です。NIV訳ではmeaninglessと訳しています。「へヴェル」の本来的な意味は「息、一息」(breath)です。そこから「儚いもの」「虚しいもの」という意味になります。「空の空、なんと空しいことか、すべてが空しく、風を追うようなもの」、波乱万丈な人生でありながら、結局は、同じことの繰り返しです。その強烈な「空しさ」と「虚無」の中で、伝道者(コーヘレト)が見出したことは「神を恐れよ。その命令を守れ」というものでした。それはコインの表と裏のようなもので、それを別な言葉で一つにするとすれば、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛する」(申命記6:5)ことだと言えます。

2. 主こそ最高に賛美されるべき方


2013.2.2


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