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主の失望と燃えるようなリーヴ(訴え)

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1. 主の失望と燃えるようなリーヴ(訴え)

【聖書箇所】1章1~31節

ベレーシート

  • 一般のドラマヤ映画などで、ストーリーが始まる前に、全体のドラマの中にある重要な場面が脈絡なくフラッシュイングされることがあるように、イザヤ書1~5章も全イザヤ書をフラッシュイングされた部分のようにみなすことができます。というのは、イザヤ書で繰り返される重要な語彙や思想の用語がすでにここで提起されているからです。
  • イザヤの預言の射程は預言当時の時代のみならず、むしろ、神のご計画の全体に及びます。それゆえ、神のご計画の全体像、ないし神のご計画の実現へのシナリオ(キリストの再臨前に起こる事)を知っておく必要があるのです。それを知らずにイザヤ書1~5章を読むと、場面のフラッシュイングによって目がくらまされ混乱してしまいます。
  • 今回は、イザヤ書1章から二つの箇所を取り上げて瞑想したいと思います。ひとつは1章2~3節にある神のリーヴ(訴え)、もうひとつは1章18~20節にある罪の赦しの約束です。

1. 法廷における神のリーヴ(訴え)

  • イザヤ書1章2節以降では神の法廷が開かれます。不思議なことに原告はイスラエルの聖なる方であり、被告人は神の子ら(神の民イスラエル)です。そして証人は「天と地」です。ちなみに、ヨブ記ではヨブ自身が自分の身に起こった不条理な苦しみについて、真剣に神に訴え(「リーヴ」רִיב)ました。しかしイザヤ書の冒頭では、神が自分の子らを訴えているのです。その訴状の内容は、神が自分の子らから認められておらず、むしろ見捨てられたというものです。その「リーヴ」には神の燃えるような愛に裏付けられた失望と嘆きがあります。

    【新改訳改訂第3版】イザヤ 1:2~3
    2 天よ、聞け。地も耳を傾けよ。【主】が語られるからだ。
    「子らはわたしが大きくし、育てた。しかし彼らはわたしに逆らった。
    3 牛はその飼い主を、ろばは持ち主の飼葉おけを知っている。
    それなのに、イスラエルは知らない。わたしの民は悟らない。」


(1) 「天よ、聞け。地も耳を傾けよ」

  • 神の法廷において証人となるのは「天と地」です。このような形式は申命記の中にあります。モーセの訣別説教の中にある以下の箇所を参照(いずれも、新改訳改訂第3版)。

    申命記30:19
    私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。・・・
    申命記31:28
    あなたがたの部族の長老たちと、つかさたちとをみな、私のもとに集めなさい。私はこれらのことばを彼らに聞こえるように語りたい。私は天と地を、彼らに対する証人に立てよう。
    申命記32:1
    天よ。耳を傾けよ。私は語ろう。地よ。聞け。私の口のことばを。

  • ここで重要なことは、神の法廷におけるさばきの基準(土台)はシナイ契約で結ばれた神のみおしえ(トーラー)です。神の子らは神のみおしえの前に立たせられてさばかれようとしていることです。このトーラーは単なる戒律ではなく、神と人とが正しいかかわりをもって生きるための教えのことです。神の訴えは、民と交わした申命記的契約(シナイ契約)から民が逸脱しているというものです。

(2) 神のリーヴにおけるパラレリズム

  • 心痛む訴えにもかかわらず、なんとも美しいヘブル的修辞法であるパラレリズムによって、聞く者の心に印象づけられるように語られているのです。

    A. 子らはわたしが大きくし、育てた。
    しかし彼らはわたしに逆らった。
    (この二行は反意的パラレリズム)

    B. 牛はその飼い主を(知っている)、
    ろばは持ち主の飼葉おけを知っている。
    (この二行には同義的パラレリズム。そしてAの前行と同義)

    C. それなのに、イスラエルは知らない。
    わたしの民は悟らない。
    (この二行も同義的パラレリズム。そしてAの後行と同義)

  • AとBとCは構文的なパラレリズムを形成しています。
    「牛はその飼い主を、ろばは持ち主の飼葉おけを知っている。それなのに、イスラエルは知らない。わたしの民は悟らない。」という表現の中に、主の心の痛みをより強く感じます。

2. 1章18節の罪の赦しの福音

【新改訳改訂第3版】イザヤ書1章18~20節
18 「さあ、来たれ。論じ合おう」と【主】は仰せられる。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。
19 もし喜んで聞こうとするなら、あなたがたは、この国の良い物を食べることができる。
20 しかし、もし拒み、そむくなら、あなたがたは剣にのまれる」と、【主】の御口が語られたからである。

  • しばしば18節のみチョイスされることが多いのですが、ここでは19~20節も含めた形で(ワンセットで)理解する必要があります。申命記的なかかわりの枠の中で、もし、主の御声に聞き従うならば、本来、あり得ないこと(つまり、罪の赦し)がなされるという約束です。しかし、御声に聞き従わず、それを拒むならば、その約束は実現されず、むしろさばかれると念を押されているのです。
  • 「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。」という箇所も、心に刻み込まれやすい同義的パラレリズムになっています。本来ならば、絶対にあり得ないような不思議なことが起こると約束されているのです。罪が赦された状態のたとえは、この箇所にしかないイザヤ独自の表現です。
  • ちなみに、「緋」と訳された「シャーニー」(שָׁנִי)は、二度染めした真っ赤な色(血の色)です(脚注1)。緋色は幕屋で使われる撚り糸の色の一つとして指定されています。一方の「紅」と訳された「トーラー」(תּוֹלָע)は聖書では8回あります。うち6回は人の名前で使われており、色としてはわずか2回(イザヤ1:18、哀歌4:5)のみです。幕屋に使われる撚り糸の色である「緋色」は「トーラアット・シャーニー」(תוֹלַעַת שָׁנִי)です。(脚注2)
  • 新約時代において、神の御子イェシュアを信じる者に約束されている罪の赦しの福音は、まさにイザヤ書1章18節に表現されているような約束です。しかも応報的な祝福ではなく、無条件の恵みです。これを新約では「神の恵みの福音」と言われます。

3. イザヤ書1章にある「罪を表わす三大用語」

  • イザヤ書1章だけでも、旧約の罪を表わす三大用語がすべて登場しています。

    (1) 動詞「パーシャ」(פָּשַׁע)
    2節「子らはわたしが大きくし、育てた。しかし彼らはわたしに逆らった。」
    28節「そむく者は罪人とともに破滅し、【主】を捨てる者は、うせ果てる。」

    動詞の「パーシャ」(פָּשַׁע)は41回。名詞の「ぺシャ」(פֶשַׁע)は93回。いずれも神との関係が破れた状態を表わし、神への「背信」「そむき」を意味します。


    (2) 動詞「ハーター」(חָטָא) 名詞「へートゥ」(חֵטְא)、形容詞「ハッター」(חַטָּא)
    4節「ああ。罪を犯す(חָטָא)国、・・・」(分詞として使用)、
    18節「・・たとい、あなたがたの罪(חֵטְאの複数)が緋のように赤くても・・」
    28節「そむく者は罪人(חַטָּא)とともに破滅し、」

    形容詞の「ハッター」(חַטָּא)は19回。名詞の「へートゥ」は33回。動詞の「ハーター」は「的をはずす」という意味で、神から離れた人間は、最終目標のない中途半端な存在であることを意味します。


    (3) 名詞「アーヴォーン」(עָוֹן)
    4節「ああ。罪を犯す国、咎(とが)重き民、・・・」

    神から離れた人の心とことばと行為の「ゆがみ」「ひずみ」を意味します。232回。動詞の「アーヴァー」(עָוָה)はイザヤ書には使われていません。


脚注1
緋色が二度染めしたものであることを示す興味深い例があります。箴言31章は有能な妻について書かれていますが、その21節にこうあります。「雪が降っても一族に憂いはない。一族は皆、衣を重ねている(שָׁנִים)から。」(新共同訳)。「衣を重ねている」の部分が、新改訳では「あわせの着物」と訳されています。直訳的には「緋の衣」(複数形)」なのですが、「緋」が「重ねる」「合わせる」というニュアンスをもっていることから、緋色は「二度染めされた真赤な色」と理解されるのです。

脚注2
イザヤ書1章18節で「紅」と訳されたことば「トーレーアー」(תּוֹלֵעָה)は、えんじ虫の一種の昆虫で、雌は赤い物質を含んだ卵を産みます。それを染料に用いるとき、「トーラアット・シャーニー」(תוֹלַעַת שָׁנִי)と呼ばれます(出25:4/26:1, 31, 36/27:16など)。紫に近い深紅のようです。



2014.7.18


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