ルツ記の瞑想のための視座(改)
「ルツ記」の瞑想(改)の目次
「ルツ記」の瞑想のための視座
1. 瞑想の動機
- 私は、「ルツ記」をこれまで2回、礼拝で講解説教をしています。しかし今回、ユダヤ教での七週の祭り(シャヴオット)には「ルツ記」が朗読されるということを知りました。この祭りの日には夜の10時頃から翌朝の5時くらいまで、「ルツ記」を学ぶと知って、私も再度、この「ルツ記」を集中した形で、またこれまでとは異なる視点から、新たな瞑想を試みてみたいと考えました。
2. 瞑想の視座
- 正統的なユダヤ人はこのルツ記をどのように読み、そして考えるのか。単に、この祭りの季節が小麦の刈り入れとルツ記2章にある「落穂拾い」と重なっているという単純なことで読んでいるだけとは思えないのです。彼らがどのように読もうと、七週の祭りーシャヴオットー(キリスト教ではペンテコステの祭りに当たります)にルツ記が読まれることはきわめて預言的行為です。なぜならルツ記には、ルツを代表とする異邦人とボアズを代表とするユダヤ人との一体化が見られるからです。メシアニック・ジューのルベン・ドロン師は、異邦人とユダヤ人の一体化を使徒パウロのいう「新しいひとりの人」(One New Man, エペソ書2:15)という概念によって捉え、そこに聖書的教会の姿を見ています(これについては、ルベン・ドロン著、中川健一訳「新しいひとりの人」、ハーベスト・タイム・ミニストリーズ出版部、1998年参照)
- マタイ福音書の冒頭の系図には、4人の女性の名前が記されていますが、そのうちの三人、つまり、タマル、ラハブ、そしてルツです。彼女たちはみな異邦人です。前者の二人はカナン人、後の一人はモアブ人です。不思議なことに、イエス・キリストの系図には異邦人の血がしっかりと流れているのです。この事実をしっかりと理解する必要があると思います。
- ユダヤ人と異邦人との間にある「隔ての壁」は、あらゆる歴史、あらゆる人々の中に存在する「隔ての壁」のルーツとも言えるものです。今日のイスラエルとパレスチナとの間に立ちはだかる「隔ての壁」の問題もしかりです。人間の知恵ではこの壁を打ち壊すことはできません。平和をつくり出すことはできません。ただ、キリストだけがこの隔ての壁を打ち破ってくださっています。そこに真の平和と希望があります。キリストが再臨されるときは、まさにこのことが完全に目に見える形として実現します。そのような視点から、「ルツ記」を味わってみたいと思います。
3. 原語を調べることでより立体的に理解する
- これは自分に課していることですが、日本語訳では十分に伝わってこない部分を、原語を調べることでより立体的な理解と生き生きとしたイメージをつかみたいと思います。
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