エレミヤをかばった人々
エレミヤ書の目次
29. エレミヤをかばった人々
【聖書箇所】 26章1節~24節
ベレーシート
- エレミヤ記26章は、エレミヤが語った主の宮での説教とその反応が記されています。すでに7章でも同じことが記されていますが、ここ26章ではその説教がユダの王エホヤキムの治世の初めであったことが明確にされています。すなわち、ヨシヤ王が不慮の死を遂げてからそう時間が経っていないことが分かります。しかしエホヤキムは完全にエジプトの傀儡(あやつり人形)であり、自分の身を守るために公正と正義のない政治を行ない。バアル礼拝を復活させました。そうしたエホヤキムの治世の初期にエレミヤの語った主の宮での説教に対して、反応が分かれたことを記してします。
1. 祭司と預言者たちの主張
- 主の宮においてエレミヤの「神殿がシロのようになり、この町(エルサレム)がだれも住む者のない廃墟となるという説教を聞いた祭司と預言者たちと民たちはエレミヤを裁判にかけて処刑するために捕えました。そのあとにユダの首長たちもこのことを聞いて、裁判が行われる「新しい門の入り口」に集まりました。そして、祭司や預言者たちは、エレミヤに対して、一様に「この者は死刑に当たる」と主張しました。
2. 首長たちとすべての民たちの主張
- しかし、首長たちとすべての民は、祭司や預言者たちに対して「この人は死刑に当たらない」と主張。その理由は以下の通りです。
(1) エレミヤは私たちの神、主の御名によって語ったから
(2) ユダの王ヒゼキヤの治世の時にも預言者ミカが同じ内容の説教をかたったことがある。特に、ミカ書3章12節参照。
(3) キルヤテ・エアリム出身のシェマヤの子ウリヤも同じ預言をしたが、王がウリヤを殺そうとしたために、彼はエジプトに逃避。しかし捕えられて連れ戻され、王の剣によって殺され、そのしかばねが共同墓地に捨てられたこと。
- 祭司と預言者たちのグループと首長たちと民たちの見解の違いは、主の宮とのかかわり性が異なることです。前者は直接的に自分たちの利益とかかわります。しかし町の首長や民たちは、直接的な利害関係がないために多少客観的な判断ができたようです。そのような判断ができた背景には、エレミヤだけでなく、他に少なくとも二人の預言者が同じメッセ―ジを語ったという事実があったことでした。
3. ヨシヤ王の書記官シャファンの子アヒカムの守護
- エレミヤが殺されずに済んだのは、ヨシヤ王の治世の時に書記官として務めていたシャファンの子アヒカムという人物の援護があったからでした。26節にはこう記されています。
「シャファンの子アヒカムはエレミヤをかばい、エレミヤが民の手に渡されて殺されないようにした。」
- シャファンの息子アヒカムとはどんな人物なのか。まずは、彼の父シァファンについての言及が列王記下22章2~14節にあります。彼はヨシヤ王の書記官でした。神殿の修理のための会計をヨシヤ王から託されていたとき、大祭司ヒルキヤから「主の宮で律法の書が見つかった」と知らされ、それを実際に読んでから、王のもとに行って報告した人でした。ヨシヤ王は主のみこころを求めるために、五人の者たちを女預言者フルダのもとに行かせます。その五人のメンバーとは、大祭司ヒルキヤ、書記官のシャファン、そしてその息子のアヒカム、王の家来のアサヤ、そしてアクボルでした。女預言者フルダが語った主のみこころは、「見よ。わたしはこの場所とその住民の上にわざわいをもたらす」ということでした。しかしヨシヤ王が生きている間は、そのわざわいを下さないということでした。
- エレミヤをかばったアヒカムの行為は、エレミヤが真の預言者であるという確信からくるものでした。後に、アヒカムの息子ゲダルヤもエレミヤをがばっていますが、反対の勢力によって暗殺されてしまいます(エレミヤ書39:14、40:5~7参照)。
2013.3.6
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