イエスの受難に対する共観福音書とヨハネの福音書の視点の相違
瞑想のための予備知識
5. イエスの受難に対する共観福音書とヨハネの福音書の視点の相違
- イエスの受難と死は四つの福音書に共通したテーマです。しかし、イエスの受難についての取り上げ方、あるいは描き方には、共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)とヨハネの福音書では明らかに異なっています。そうしたことを予め分かって読むと、混乱することなく読むことができます。
- 共観福音書とヨハネの福音書とでは、いったいどこが異なっているのかを見ていきながら、イエス・キリストを正しく理解するためには、これらの四つの福音書が必要なのだということをお話ししたいと思います。まずは、なにゆえに「共観福音書」と呼ばれるのか、なにが共観しているのかということを見てみましょう。
- 右の図はイエス・キリストの生涯を大きく二つに分けています。前半は「イエスとはいったい何者なのか」ということです。この部分のクライマックスはペテロが告白します。
「わたしをだれと言うか」という問いに対して、ペテロは「あなたは神の御子キリストです」と。―このことは父があなたに知らせたのだと言われます。―
- 後半は、このイエスに対してなにが起こったのかということが記されています。ペテロの告白がなされてからイエスははじめて、自分がエルサレムにおいて、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。マタイ、マルコではそれぞれ3回くりかえされます。ルカは2回です。
1. 共観福音書のイエスの十字架の死は受動態
- まずは共観福音書で、受難のことを弟子たちにどのようにイエスは予告したかをみてみましょう。
①〔マタイ16:21〕
「その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。」
②〔マタイ17:22〕
「人の子は、いまに人々の手に渡されます。そして彼らに殺されるが、三日後によみがえります。」
③〔マタイ20:18〕
「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは人の子を死刑に定めます。そして、あざけり、むち打ち、十字架につけるため、異邦人に引き渡します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」
①〔マルコ8:31〕
「それから、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日の後によみがえらなければならないと、弟子たちに教え始められた。」
②〔マルコ9:31〕
「人の子は人々の手に引き渡され、彼らはこれを殺す、しかし、殺されて、三日後に、人の子はよみがえる。」
③〔マルコ10:33〕
「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは、人の子を死刑に定め、そして、異邦人に引き渡します。すると彼らはあざけり、人の子は三日の後に、よみがえります。」
①〔ルカ 9:22〕
「そして言われた。『人の子は、必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、そして三日目によみがえらねばならないのです。』」
②〔ルカ 18:31〕
「さてイエスは、12弟子をそばに呼んで、彼らに話された。『さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子について預言者たちが書いているすべてのことが実現されるのです。人の子は異邦人に引き渡され、そして彼らにあざけられ、はずかしめられ、つばきをかけられます。彼らは人の子をむちで打ってから殺します。しかし、人の子は三日目によみがえります。』
- 共観福音書の受難の予告の定式をまとめると
人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡され、多くの苦しみを受け(あざけられ、はずかしめられ、つばきをかけられ)、捨てられ、殺されます。しかし、三日後によみがえります。
ここで注目したいのは、共観福音書ではイエスの受難としての死はすべて受動態(受身)で表現されているということです。ところが、これからお話しするヨハネの福音書は、イエスの死が受動態ではなく能動態、受身ではなく自発的なものとして書かれているのです。
したがってイエスに対する裁判の際も、共観福音書では二言三言しかイエスは話していませんが、ヨハネの福音書では大祭司に対しても、総督ピラトに対しても実に多くを語っています。毅然とした、能動的なイエスの態度が特徴的です。
2. ヨハネの福音書の十字架の死は能動態
- 共観福音書にあるような、特別な受難の予告はヨハネの福音書にはありません。イエスの死は福音書全体にちりばめられています。
- たとえば、1章ではバプテスマのヨハネが「世の罪を取り除く神の小羊」と紹介します。3章では律法の教師であるニコデモに対して、人の子は「モーセが荒野で蛇を上げたように(民数記21:9)、人の子も上げられなければなりません」(3:14)とあります。だれが人の子を上げるのかと言えば、それは神(御父)によってです。その証拠に、次節の3:16のみことばで、御父が人の子(すなわち神のひとり子)を「お与えになった」と言い換えています。つまり、「上げる」ということばも「お与えになった」ということばも、どちらも「十字架の上で死ぬ」ことを意味しています。そして、その目的は「信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つため」(3:15)だと説明しています。
- このように、ヨハネの福音書の場合には、イエスの死は受身ではなく、神の能動的行為として描かれているのです。
- ヨハネの福音書の能動的表現
①〔ヨハネ10:17〕
「わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。・・わたしが自分のいのちを再び得るために自分のいのちを捨てるからこそ、父はわたしを愛してくださいます。だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしにはそれを捨てる権威があります。それをもう一度得る権威があります。わたしはこの命令をわたしの父からうけたのです。」―このイエスのことばはユダヤ人たちをして、イエスは悪霊につかれている、気が狂っていると言い立てさせました。―
②〔ヨハネ12:23〕
「人の子が栄光を受けるその時が来ました。」
ヨハネの福音書の場合、イエスの死は栄光の時として捉えられています。
③〔ヨハネ13:1〕
「さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので、・・愛を残すところなく示された。」
④〔ヨハネ13:27, 30〕
「彼(イスカリオテのユダ)がバン切れを受けると、そのとき、サタンが彼に入った。そこで、イエスは彼に言われた。『あなたがしようとしていることを、今すぐしなさい。』・・ユダは、バン切れを受けるとすぐ、外に出て行った。」
⑤「わたしが行く所」(13:33, 36)、「わたしは去っていく」(14:28, 16:7)という表現も受難と十字架の死を意味しています。また、「人が友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていない。」(15:13)ということばもイエスが自らの死を「友情の愛のわざ」としているのです。
- 「時が来ました。」(17:1) これは御父と御子の栄光を表す時が来たということで、これ以上の愛はないという愛を示す十字架の死の時が来たことを意味します。共観福音書ではイエスは、長老、祭司長、律法学者たちによって、「苦しみを受ける」、「捨てられる」、「殺される」と描かれていましたが、ヨハネの福音書では自ら進んでいのちを捨て、神の栄光を現す時として描かれています。イエスの死の受動と能動と違いーこれが共観福音書とヨハネの福音書の違いなのだと思います。
むすび
- 共観福音書では、人間の罪のために苦しめられるイエスを描いています。当時の宗教指導者たちが陰謀をもってイエスを捕らえ、苦しめ、十字架の死刑へと追い詰めていく様が詳しく記されています。悪意による陰謀が次第に強まっていくように描かれています。その陰謀のクライマックスに十字架の死があります。ところが、その時こそ神の愛が最大限において示される機会として描いているのがヨハネの福音書です。祭司長、律法学者たちの陰謀がそのための道具になるとは、彼らは知る由もなかったのです。
- ヨハネの場合、イエスの死の苦しみはどこまでも神の「栄光の時」として捉えられています。つまり、イエスの死は、御父から与えられた使命の究極的表現として、神の栄光をこの世に示す最終的な「しるし」として描かれているのです。―このように、私たちは新約聖書の共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)とヨハネの福音書によってはじめて、私たちはイエスの死の意味を正しく理解することができるのです。
- さらにつけ加えるならば、ヨハネの福音書では、自らのいのちを捨てるという能動的な愛を描くことで、ヨハネ特有の「互いに愛し合いなさい」という新しい掟が光を放ってきます。この「愛」は、自己中心的なエロスでもなく、相互愛のフイロスでもなく、アガペーの愛です。このアガペーは、相互通行を期待しない、自分から他者への一方通行的な愛です。このような愛は私たち人間にはありません。しかしキリストの愛にとどまるなら、キリストのアガペーの愛のいのちは私たちのうちに流れこみ、私たちをしてはじめて他者に流していくことができるのだと信じます。この点において、「わたしを離れては、あなたがたは何もできない」(15:5)というイエスのことばの意味が理解できるのです。
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