θελήμα
エペソ書の瞑想の目次
エペソ書の重要語彙のリスト
θελήμα みこころ
- 原語のセレーマθελήμαは、動詞のセローθέλωの名詞形です。
「神のみこころ「、「主のみこころ」、「父のみこころ」、あるいは「肉の欲求、人の思い」という形で用いられます。エペソ書では、1:1, 9, 11/6:6で「神のみこころ」、5:17で「主のみこころ」、2:3では「肉の欲」として使われていますが、圧倒的に多いのが「神のみこころ」です。
- セレーマθελήμαは、「~したい」という自分の「意志」や「願い」や「要求」を表わす語彙です。
セレーマが使われている箇所としては、以下の例があります。
「みこころが天に行われるように地でも行われますように。」(マタイ6:10)
「わたしに向って、『主よ、主よ。』と言う者がみな御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。」(マタイ7:21)
「天におられるわたしの父のみこころを行なう者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」(マタイ12:50)
「この小さな者たちのひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではありません。」(マタイ18:14)
「わが父よ。どうしても飲まずには済まされぬ杯でしたら、どうぞみこころのとおりをなさってください。」(マタイ26:42)
- 「主の祈り」の中の「みこころが天で行われるように地でもおこなわれますように。」(マタイ6:10)との「みこころ」については、⇒こちらをクリック。
- エペソ1:5, 9では、好意や善意、神の喜びとするところのご計画を意味する「ユードキア」εὐδοκίαとセットで用いられています。
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