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Ps35その他

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「ゆえもなく」と訳される二つのヘブル語

(1) 「ヒンナーム」(חִנָּם)

  • 詩篇35篇に「ゆえもなく」という副詞が使われています。7節に2回、そして19節の1回、合わせて3回使われています。しかもこの語彙がこの詩篇を特徴づけています。
  • ここで使われている「ゆえもなく」というヘブル語は、「ヒンナーム」(חִנָּם)で、本来は、「ただで、無償で、費用をかけずに、無駄に」という意味です。そこから「正当な理由もなく、ゆえもなく」という意味が派生しています。「ヒンナーム」(חִנָּם)は、旧約では32回。詩篇では6回使われています。詩篇はすべて「理由もなく」(without reason)の意味で使われています。サウルの息子ヨナタンが父サウルにダビデに対する殺意を知ったとき、「何の理由もなく、ダビデを殺し、罪のない者の血を流して、罪を侵されるのですか」と尋ねています(1サムエル19:5)
  • 前者の用法としては、ナバルの妻アビガイル(後のダビデの第二夫人)がダビデに言った言葉に、「無駄に血を流したり、・・・することがあなたのつまずきとなりませんように」と嘆願しています(1サムエル25:31)。また、アラウナがダビデに自分の土地を提供しようとしたとき、ダビデが入った言葉に「費用もかけずに、私の神、主に、全焼のいけにえをささげたくありません。」(2サムエル24:24)があります。
  • しかし、「彼らは、わたしが主であること、また、わたしがゆえもなくこのわざわいを彼らに下すと言ったのではないことを知ろう。」(エゼキエル6:10)とあるように、神が私たちになさるすべての事は、たとえそれが災であったとしても、決して理由のないことではありません。神の深い配慮からなされています。同様に、私たちも神に対してしていることも、「ゆえのない」ことではありません。ダビデは敵からの不条理な、「ゆえのない」迫害を受けながらも、そこから何度も救い出されました。ダビデはそうした経験を通るうちに、やがてイスラエルの国を挙げて、しかも24時間、絶えることのない讃美をささげるための「神殿」を建てたいと願うようになります。ダビデに対して、そうするように神が促されたわけではありません。ダビデの新しい神への礼拝のヴィジョンは、「ゆえもない」ことではなく、明確な理由が存在していたのです。

(2)「レーカーム」(רֵיקָם)

  • もう一つの「ゆえもなく」と訳される副詞があります。それは「レーカーム」(רֵיקָם)です。この言葉の本来の意味は、「何も持っていない、素手で、むなしく」で、そこから、「ゆえもなく、ゆえなく」without causeという意味が派生しています。
  • 「レーカーム」(רֵיקָם)は旧約で16回。詩篇では2回(7:4/25:3)。この詩篇のみが、後者の意味で使われている以外は、すべて、前者の「何も持っていない、素手で、むなしく」empty, empty-handed, の意味で使われています。

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