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6. 列王記概説 第三部「南ユダ単一王国の歴史」(2列王18章~2列王25章)

歴史書(1)の目次

6. 列王記概説 第三部「南ユダ単一王国の歴史」(2列王18章~2列王25章)

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1. 周辺諸国の時代的背景とアハズ王に対する預言者イザヤの警告(Ⅱ列16章~17章)

  • イスラエル、ユダ両王国の分裂後、最初の脅威となったのは再び力を取り戻し始めたエジプトである。しかしそれ以上に深刻、かつ重大な脅威となったのは、興隆期に入ったアッシリヤ帝国であった。この二つの強大国の間に立って、イスラエルもユダ王国もその対策に苦慮することとなる。
  • このアッシリヤの脅威に対して、ユダ周辺の諸国はエジプトの支援を当てにして、反アッシリヤ同盟(アラム、北イスラエル、ペリシテ)を結んだが、ユダだけはこの同盟の危うさを見抜いて同盟を拒否。そこでアラムと北イスラエルは南ユダに対して攻略し始める。南ユダの王アハズにとってこれがどれほどの脅威であったかはイザヤ書7章2節を見ると分かる。しかしアハズは預言者イザヤの警告を無視してアッシリヤに援助を依頼する。この外交政策のために、神殿と王宮の宝物倉を空にしたばかりか、後にアッシリヤの属国としてその国の宗教(偶像神モレク)を許容し、背教の道をたどることになる。払った代償は余りにも大きかった。
  • 預言者イザヤの警告 (イザヤはウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの四人の王の時代に活躍した)

    ①同盟国に対して
    気をつけて静かにすること。北イスラエルはやがて神の民でなくなることを預言。

    ②援助を申し出たアッシリヤに対して
    やがてアッシリヤによって大きな損害を受けることを警告。

    ③エジプトとの同盟に対して
    イザヤ30,31章を参照。イザヤはエジプトがユダを単なるアッシリヤの防波堤として利用しようとしている意図を見抜いていた。

2. ヒゼキヤの宗教改革(Ⅱ列18章)

(1) 改革の要因
ヒゼキヤ王が30歳頃、偶像礼拝のさばきとしてサマリヤ滅亡というショッキングな出来事に出会う。この出来事は父アハズがもたらしたアッシリヤの偶像を一掃する宗教改革の要因となった。預言者イザヤの影響大きい。

(2) アッシリヤへの反逆
主に従うことは、必然的にアッシリヤのくびきから解放される必要があった。そこでヒゼキヤはアッシリヤに反逆する。アッシリヤの攻撃に対して、主への信頼によってこの危機を克服した(Ⅱ列18章13~20章)。ヒゼキヤの有名な祈りとその結果。⇒イザヤ37章15節~38節参照。

(3) 延命と失態
晩年、瀕死の病がいやされ15年長生きする。しかし「感謝」は次第に「得意」に代わり、失態をもたらす。彼は危機には強かったが、得意の時に弱かった。

3. 最悪の王マナセ・・アハズ再来の王(Ⅱ列21章1~18節)

(1) 聖書の評価
北王国滅亡の最大の責任者はアハブ王である。しかし南ユダ王国に関して言えばマナセである。マナセは祖父アハズと同様に、アッシリヤの忠実な属王であることを認めてもらうために、進んでアッシリヤの宗教を輸入した。父ヒゼキヤが行った改革はここで完全に逆戻りする。マナセは罪のない者の血を流し、徹底した宗教弾圧政策をとった(21章16節)。伝承によれば、イザヤはマナセによってのこぎりでひき殺され、殉教したと言われる。

(2) アハズとマナセの罪
彼らは「異邦の民の忌み嫌うべきならわしをまね」(16章2節、21章2節)たことを行った。その内容は、偶像神モレクへのささげものとして幼児を祭壇の上でいけにえとして火で焼くという残酷な祭儀であった。

4. ヨシヤの宗教改革(Ⅱ列22章~23章)

(1) 神殿の修復
父祖マナセ、父アモンは共にアッシリヤに従属する政策を取り、その宗教を持ち込んだ。ヨシヤ王はその偶像の大掃除を始め、神殿を修復した。この頃、アッシリヤの勢力の後退が改革にはずみをつけた。

(2) 律法の書の発見
神殿で律法の書が発見されるという一大事件。この発見によって、過ぎ越しの祭りが実施された。ヒゼキヤの改革事にも復活されたが、その規模、組織、動員数、ささげものの量、方法、秩序などにおいて最大規模のものであった(23章22節)。

5.預言者エレミヤの登場(ヨシヤ、エホアハズ、エホヤキム、エホヤキン、ゼデキヤの時代)

(1) 時代的状況
アッシリヤは弱体化し、その首都ニネベは陥落。新しくバビロン帝国が台頭する。再び、バビロンとエジプトとの強国の間で、諸小国は右往左往する。

(2) エレミヤの勧告
このような状況の中で、預言者エレミヤはエジプトに頼ることの愚かさを説き、バビロンに降伏して、神の懲らしめに服することを勧告した(40章)。しかし彼は民に誤解され、売国奴呼ばわりされて迫害される。こうして、ユダ王国も北イスラエル王国がそうであったように、預言者のことばを無視してバビロンに反抗したため、崩壊路線へと突入していく。

6. 神の民の破局(バビロン捕囚)と捕囚からの帰還の預言

  • エルサレムは紀元前587年に陥落。神殿は焼かれ、ゼデキヤ王は屈辱的な捕虜となった(25章1~7節)。捕囚という出来事は旧約における一種の結論である。代々積み重ねられてきた罪のためである。
  • 神の民であるべきイスラエルとユダが神との契約を全く破棄してしまったことが神に対する重大な背反であった。「契約」というものは、一方が破ればもはや破棄されるしかない。相手方はどこまでもその契約に対して真実にふるまうということは人間の世界ではあり得ない。しかしそのあり得ないことが起こった。
  • 神は預言者エレミヤを通して、契約に不真実であった民に対してなおも真実を尽くそうと、破棄されて無効になった契約に換わって「新しい契約」を与えられると約束された(エレミヤ31章31~33節)。この約束ゆえに、亡国と捕囚の悲運にあった人々に大いなる希望を与えた。このような神の恵み深い取り扱いを通して、神の民は、後に少なくとも外面的な偶像から全く縁を切るに至った。これは捕囚がもたらした副産物であると言える。

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