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40年間の荒野の旅程とカナン入国の際の警告

民数記の目次

28. 40年間の荒野の旅程とカナン入国の際の警告

【聖書箇所】  33章1節~56節

はじめに

  • この章は大きく二つに分かれます。ひとつはイスラエルの40年にわたる旅程の記録(1~50節)、もうひとつは約束の地カナンに入国してからの警告です(50~56節)。特に、後半はきわめて重要な警告が記されています。

1. 「~から旅立って、~に宿営した」

  • エジプトから出て、今はモアブの草原で宿営しています。これまでの40年間の旅程の記録が記されていますが、それを確認するには地図が必要です。今日、すべての宿営した地名を調べて造られた地図があります。それは、朴潤植著(姜泰進訳)「忘れていた出会いー神の救済史的経綸から見る松明の契約とその成就」(イーグレープ、2010発行)にある「出エジプトと荒野の旅路」の地図です。

ぜひこの地図で、宿営した42箇所の場所をひとつひとつ確認してみてください。またその行路も。

  • この地図を見ると、実に放浪といった感じを受けます。40年の間に、大祭司のアロンも死に、エジプトを出た第一世代のイスラエルの民は神の約束のもとに救われましたが、不信仰のゆえにその地を踏むこともなくみな荒野で死に絶えたのです。
  • 33章には「~から旅立って、~で宿営した」という定式表現が41回で出て来ます。「旅立つ」と訳された動詞は「ナーサー」נָסָהです。「ナーサー」の本義は「上げる」という意です。ですからバルバロ訳では「幕屋を上げる」と訳しています。イスラエルの民は昼は雲の柱、夜は火の柱によって導かれました。移動する時には幕屋の杭を引き抜くことなしに出発することはできませんでした。また。「宿営した」と訳された動詞は「ハーナー」חָנָהです。

2. 約束の地カナンの地での警告

  • 前の章には「主はモーセに告げて仰せられた」と一文がなかったために不安定な章でしたが、33章では「主」という名前は多く出てきますが、主ご自身が語られたこの一文があることで安心感があります。それによれば

【新改訳改訂第3版】
33:50 エリコに近いヨルダンのほとりのモアブの草原で、【主】はモーセに告げて仰せられた。
33:51 「イスラエル人に告げて彼らに言え。あなたがたがヨルダンを渡ってカナンの地に入るときには、
33:52 その地の住民をことごとくあなたがたの前から追い払い、彼らの石像をすべて粉砕し、彼らの鋳像をすべて粉砕し、彼らの高き所をみな、こぼたなければならない。」

  • 青色でチェツクしたことばはすべて動詞で破壊用語です。

(1) 「追い払う」(「ヤーラシュ」יָרַשׁ)は、ここではヒフィル態が使われています。占領する、所有する、相続する、滅ぼすという意味がありますが、ここでは「追い払う」と訳されています。

(2) 「壊す」、「砕く」はともに「アーヴァド」אָבַדのピエル態です。

(3) 「取り壊す」は「シャーマド」שָׁמַדで、「根絶やしにする」という意です。

  • 上記の三つの動詞はいずれも申命記の特愛用語です。申命記といえば、神を主体的に愛する(神に愛されて、自ら、自発的・主体的に神を愛する)ということがテーマです。神を愛することと、他の神々を追い払い、打ち砕き、根絶やしすることとは同義です。

画像の説明

  • 「十戒」の第一戒は、「わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。あなたは自分のために、偶像を造ってはならない。」とあります。原文の文法ではは命令法と言うよりも、否定の未完了形です。つまり、神の側からするならば、「偶像を造ることなど、あり得るはずがない」という意味なのです。「あり得るはずがない」という神の断定が人間の場合にはそうはならず、弱さのゆえに、自分ために偶像を造ってしまうのです。それゆえ命令法で訳されていると言えます(微妙ですが)。
  • イスラエルの歴史において神の民が異邦人によって国を失うという亡国の悲劇を経験します。その最大の原因は偶像礼拝の罪のゆえです。自分たちも他の国と同じようになりたいという思いが偶像礼拝をもたらし、その結果、この章で「それはあなたがの目のとげとなり、わき腹のいばらとなる」と警告されたことがそのまま起こってしまいました。
  • ユダ王国は、バビロン捕囚において3世代にわたってリセットされ、完全に目に見える偶像礼拝をしなくなります。一途に、神の教え(トーラー)を喜びとし、昼も夜もそれを口ずさむようになりました。
  • 約束の地は神の賜物です。しかしその賜物には課題が伴います。それは「偶像)の徹底的排除です。これを課題としていつも警戒し、根絶していくことが神を愛することにつながることであったのです。新約では「神を愛する」ことを強調したヨハネがその第一の手紙の最後で、「子どもたちよ。偶像を警戒しなさい」ということばで結んだのには深い意味があったのです。

2012.3.3


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