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32.「ヨハネの福音書17章の『永遠のいのち』というしるし」

32.「ヨハネの福音書17章の『永遠のいのち』というしるし」

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ベレーシート

●ヨハネの福音書17章は、弟子たちに対する訣別説教の後になされたイェシュアの祈りです。それは説教全体(特に14~16章)のまとめともなっています。全体は三つの部分からなり、最初は「イェシュア自身のための祈り」(1~5節)、次は「イェシュアの弟子たちのための祈り」(6~19節)でその内訳は三つ、①弟子たちが一つになるように、②弟子たちが悪い者から守られるように、③弟子たちが聖別されるように、となっています。そして最後は「イェシュアの弟子たちによって信じる人々のための祈り」(20~26節)です。

●17章のこのイェシュアの祈りは、「アブラハムとイサク」の関係で見るなら、子であるイサクの立場からのものです。創世記22章にアブラハムの信仰の最大の試練が描かれているのを私たちは見ます。その章では父アブラハムに焦点が当てられていますが、ヨハネの福音書ではむしろ、子イサクの方に焦点が当てられています。創世記22章でのイサクはただ「父と一緒に歩き続ける」姿しかありませんが、父アブラハムの信仰が貫かれるためには、イサクの従順さが不可欠であったことは言うまでもありません。アブラハムとイサクのかかわりは御父と御子のかかわりの「型」です。ヨハネの福音書17章はこの親密なかかわり(=永遠のいのち)を記しています。今回はこのイェシュアの祈り、大祭司であるイェシュアの祈りについて取り上げます。

1. イェシュア自身のための祈り 

【新改訳2017】ヨハネの福音書17章1~5節
1 これらのことを話してから、イエスは目を天に向けて言われた。
「父よ、時が来ました。子があなたの栄光を現すために、子の栄光を現してください。
2 あなたは子に、すべての人を支配する権威を下さいました。それは、あなたが下さったすべての人に、子が永遠のいのちを与えるためです。
3 永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです。
4 わたしが行うようにと、あなたが与えてくださったわざを成し遂げて、わたしは地上であなたの栄光を現しました。
5 父よ、今、あなたご自身が御前でわたしの栄光を現してください。世界が始まる前に一緒に持っていたあの栄光を。

●イェシュア自身のための祈り(1~5節)には重要な語彙が出てきます。(1)「父よ」(2)「時が来ました」(3)「栄光を現す」(4)「永遠のいのち」(5)「知る」・・これらは切り離すことのできない密接なつながりを持っています。ここでの祈りにおいて最も重要な事柄とは何でしょうか。それは「御父の栄光を現すために御子の栄光が現される」ということであり、その目的は御父と御子にある「永遠のいのち」を、御父が御子にゆだねた者たち(=弟子たち)に与えることです。「永遠のいのち」とは、御父と御子にある麗しい愛のかかわりであり、揺るぐことのない不変のかかわりを意味します。

●1節に「目を天に向けて」とあります。これは必ずしも「天」という場所にいる父に目を向けることを意味しません。なぜならユダヤでは「天」と「神」はイコールだからであり、また御子イェシュアの内には御父が内在しておられるからです。1章1節「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった」の「ことばは神とともにあった」とは、「向かい合っていた」という意味です。その父に向かってイェシュアは祈っているのです。ヨハネの福音書には「父」ということばが顕著です。その数はマタイ45回、マルコ4回、ルカ17回、 ヨハネ113回で群を抜いています。特に訣別説教(13~17章)にはおびただしいほどの「父」という語彙(52回)が登場し、「父」を「あなた」とか「神」と称する表現も加えるなら、大変な数になります。ヨハネでは「御父と御子は一つ」(相互内在、同時同存)であることが強調されています。

●その父に向かって、「父よ、時が来ました」とあります。これまでイェシュアは「わたしの時はまだ来ていません」(2:4,7:6)と言ってきましたが、ここでは「時が来ました」と言っています(12:23参照)。その「時」とはどんな時なのでしょうか。それは御子が御父の栄光を現すために、御子の栄光を現すことです(=同時同存)。つまり「イェシュアの栄光が現される(ドクサゾー:δοξάζω)」とは、イェシュアの受難と死を通り、復活することでもたらされます。「栄光を現す」ための「時が来た」、しかもその「栄光の現れ」が「永遠のいのち」を証しすることであり、御父と御子のかかわりを「知る」ことが「永遠のいのち」ことなのです。それは神のみこころの最も深いところにある「いのちの事柄」であり、長い間、隠され続けてきたことが目に見えるようになることを意味します。

●目に見える形で現されることを、「栄光を現す」「栄光が現される」「栄光が輝く」「栄光が照り出される」と表現します。それは、一粒の麦が地に落ちて死ぬなら豊かな実を結ぶことにたとえられます(12:23~25参照)。一粒の「種」の中には、その花の栄光のすべてが隠されています。それが目に見える形となるとは、花を咲かせ、実を結ぶことです。そうして種の栄光が現されるのです。イェシュアのことばは「霊であり、いのち」(6:63)ですが、それは種そのものです。しかしイェシュアが受難、復活によって「いのちを与える霊」となり、それが人の霊の中に内住することによって、人ははじめてイェシュアのことばを悟ることができるのです。そしてたましいが造り変えられ始めるのです。これこそ神が長い間隠してきたことです。イェシュアの受難と死、復活によってイェシュアの種の花が咲き、実を結ぶ。これが「イェシュアの栄光が現される」ことなのです。

●繰り返しますが、イェシュアは受肉されたことで神の栄光を現す「種」となりました。しかしそのままでは「種」のままです。その種が死んで花を咲かせ実を結ぶ時が「栄光を現す(輝かす)」時、つまり「受難・死・復活」のときなのです。その時が「ついに来た(完了形)」ことを述べているのが、1節の「父よ、時が来ました」ということばです。そのときには、御子の栄光だけでなく、御父の栄光も同時に現されるのです。

2. イェシュアの弟子たちのための祈り

●6~19節は「イェシュアの弟子たちのための祈り」です。そこでも、彼らによってイェシュアの栄光が現されるように祈っています。その部分を見てみましょう。

【新改訳2017】ヨハネの福音書17章6節
あなたが世から選び出して与えてくださった人たちに、わたしはあなたの御名を現しました。彼らはあなたのものでしたが、あなたはわたしに委ねてくださいました。そして彼らはあなたのみことばを守りました

●6節の「世」(コスモス:κόσμος)は一般的な「世」という意味ではなく、「ユダヤ教」を指していると思われます。イェシュアの弟子たちは、ストイケイアであるユダヤ教から神が「選び出して」イェシュアに与えた者たちです。「彼らはあなたのものでしたが、あなたはわたしに委ねてくださいました」とは、ヨハネ6章44節の「わたしを遣わされた父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとに来ることはできません」と関連があります。

●「彼らはあなたのみことばを守りました」の「守りました」は「テーレオー:τηρέω」の現在完了形で、「彼らは・・守り通してきた」という意味になります。ヘブル的には「預言的完了形」とも言うべき、「彼らは、やがて必ず御父のことばを守り通すようになる」とも解釈できます。なぜなら彼らは御父のものであり、そのように前もって定められているからです。

【新改訳2017】ヨハネの福音書17章7~11節
7 あなたがわたしに下さったものはすべて、あなたから出ていることを、今彼らは知っています。
8 あなたがわたしに下さったみことばを、わたしが彼らに与えたからです。彼らはそれを受け入れ、わたしがあなたのもとから出て来たことを本当に知り、あなたがわたしを遣わされたことを信じました。
9 わたしは彼らのためにお願いします。世のためにではなく、あなたがわたしに下さった人たちのためにお願いします。彼らはあなたのものですから
10 わたしのものはすべてあなたのもの、あなたのものはわたしのものです。(※ここも「相互内在・相互共有」)
わたしは彼らによって栄光を受けました
11わたしはもう世にいなくなります。彼らは世にいますが、わたしはあなたのもとに参ります。聖なる父よ、わたしに下さったあなたの御名によって、彼らをお守りください(アオリスト命令形)。わたしたちと同じように、彼らが一つになるためです

●「わたしは彼らによって栄光を受けました」の「受けた」はアオリストですが、ここも預言的完了形と解釈できます。「わたしは、やがて必ず、彼らによって栄光を受けるようになる」ということです。それは「わたしたち(御父と御子)と同じように、彼らが一つになる」(11節)ためです。

【新改訳2017】ヨハネの福音書17章12~11節
12彼らとともにいたとき、わたしはあなたが下さったあなたの御名によって、彼らを守りました。わたしが彼らを保ったので、彼らのうちだれも滅びた者はなく、ただ滅びの子が滅びました。それは、聖書が成就するためでした。
13 わたしは今、あなたのもとに参ります。世にあってこれらのことを話しているのは、わたしの喜びが彼らのうちに満ちあふれるためです。

●「わたしは今、あなたのもとに参ります」(=秘密の昇天)ことで「わたしの喜びが彼らのうちに満ちあふれる」とは、「もうひとりの助け主」が彼らの中に来ること(プレーロー)によって、イェシュアの喜びが霊の中で満ち溢れるからです。

【新改訳2017】ヨハネの福音書17章14~19節
14 わたしは彼らにあなたのみことばを与えました。世(κόσμος)は彼らを憎みました。わたしがこの世(κόσμος)のものでないように、彼らもこの世(κόσμος)のものではないからです。
15 わたしがお願いすることは、あなたが彼らをこの世(κόσμος)から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。
16 わたしがこの世(κόσμος)のものでないように、彼らもこの世(κόσμος)のものではありません。
17 真理によって彼らを聖別してください。あなたのみことばは真理です。
18 あなたがわたしを世(κόσμος)に遣わされたように、わたしも彼らを世(κόσμος)に遣わしました。
19 わたしは彼らのため、わたし自身を聖別します。彼ら自身も真理によって聖別されるためです。

●14~18節にある「世」(コスモス:κόσμος)は、すべて「ユダヤ教」を指しています(サタンの支配を含む)。ユダヤ教の宗教指導者のことを、イェシュアは「神から出た者ではない」と言っています。「あなたがたは、悪魔である父から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと思っています。悪魔は初めから人殺しで、真理に立っていません。彼のうちには真理がないからです。悪魔は、偽りを言うとき、自分の本性から話します。なぜなら彼は偽り者、また偽りの父だからです。しかし、このわたしは真理を話しているので、あなたがたはわたしを信じません。」(8:44~45)

●「真理によって聖別されるため」の「真理」とは、御父と御子の永遠に変わらない相互内在のかかわりそのものを指しています。「真理」は、すべての源泉である御父のことばに聞き従うことによって「聖別される」、すなわち「より分けられる」ことを意味します。「わたしが道であり、真理であり、いのち」と言ったイェシュアは当然と言えますが、イェシュアを信じる者たちも然りなのです。

●イェシュアは弟子たちのことを「彼らはあなたのもの」(6節)、「あなたがわたしに下さった人たち」(9節)、「彼らもこの世のものではない」(14, 16節)としています。彼らがイェシュアの喜びを共有し、悪しき者から守られ、真理によって聖別され、世に遣わされてイェシュアにあって生きることで、イェシュアが栄光を受け、同時に御父が栄光を受けることで、すべてが「」(エハード:אֶחָד)となるのです。

●ところで、6~19節のイェシュアの弟子たちを、私たちは「エックレーシア」のメンバーだと理解しているのではないでしょうか。しかし、ここでは「イスラエルの残りの者」のためにも預言的・重層的に祈られているのです。なぜなら、イェシュアはメシアとして、彼らのためにもとりなしをしておられるからです。

画像の説明

●初代教会の信仰告白は、「イェシュアはメシアである」ということです。メシアとは「油注がれた者」のことで、「預言者」「大祭司」「王」の務めをする者のことです。

① イェシュアはモーセに勝るまことの預言者です。神のことばを説き明かすことのできた預言者であり、復活後は霊(助け主、真理の御霊、知恵と啓示の御霊)となって、私たちに神のことばの真意を悟らせてくださっています。

②イェシュアは大祭司です。イェシュアはご自身をコルバン(五つのささげ物)として神に献げ、私たちを神に近づけてくださった大祭司です。復活後は神の右の座に着座されてとりなしの務めをなし、同時に人の霊の中でもとりなしてくださっています。そのとりなしの目的は、私たちを御子のかたちと似姿に造り変えるためであり、また敵から守るためにです。

③ イェシュアはです。やがてイェシュアは王としてさばくために地上再臨されます。そして千年間、良い牧者のように羊を一つにして統治されるのです。そこは豊かな恵みと平安に満ち溢れるところです。

イェシュアの大祭司としての務めは公生涯から再臨までの間の務めです。ですから、「エックレーシア」だけでなく、「イスラエルの残りの者」と彼らの宣教によって救いに導かれる「大勢の数えきれない異邦人」にもとりなしの務めは及んでいると考えるのは当然のことです。そのことが20~26節に語られています。

3. 弟子たちによって信じる人々たちのための祈り

【新改訳2017】ヨハネの福音書17章20~26節
20 わたしは、ただこの人々(=イェシュアの弟子たち+エックレーシア+イスラエルの残りの者)のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々(=「エックレーシア」メンバー+「イスラエルの残りの者」によって救われる大勢の異邦人)のためにも、お願いします。
21 父よ。あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、すべての人(=イェシュアを信じるすべての人々)を一つにしてください。彼ら(=わたしを信じるすべての人々)もわたしたちのうちにいるようにしてください。あなたがわたしを遣わされたことを、世(κόσμος)が信じるようになるためです。
22 またわたしは、あなたが下さった栄光を彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。
23 わたしは彼らのうちにいて、あなたはわたしのうちにおられます。彼らが完全に一つになるためです。また、あなたがわたしを遣わされたことと、わたしを愛されたように彼らも愛されたことを、世が知るためです。
24 父よ。わたしに下さったもの(=彼ら)についてお願いします。わたしがいるところに、彼らもわたしとともにいるようにしてください。わたしの栄光を、彼らが見る(現在形で「見続ける」)ためです。 世界の基が据えられる前からわたしを愛されたゆえに、あなたがわたしに下さった栄光を。
25 正しい父よ。この世はあなたを知りませんが、わたしはあなたを知っています。また、この人々(=弟子のことばによってわたしを信じる人々)は、あなたがわたしを遣わされたことを知っています。
26 わたしは彼らにあなたの御名を知らせました。また、これからも知らせます。あなたがわたしを愛してくださった愛が彼らのうちにあり、わたしも彼らのうちにいるようにするためです。」

●「弟子たちのための祈り」と「弟子たちによって信じる人々のたちのための祈り」で強調されていることは何でしょうか。それは、御父と御子が一つであるように、彼らが一つとなることです。なぜなら、それが「永遠のいのち」だからです。20~26節にある「彼ら」とは、弟子たちによって御子を信じるようになる人々(=エックレーシア+イスラエルの残りの者+彼らによって救いに導かれる大勢の異邦人)です。彼らが、やがてイェシュアにあって一つとなるという栄光を見続けるように、イェシュアが祈っているのです。イェシュア自身のための祈りはすでに聞かれています。しかし第二の祈りと第三の祈りは継続中であり完成されていません。重要なことは、御父と御子が一つであるように、彼らも一つになることによって神の栄光を現すことです。これは聖霊のみわざです。

●御父と御子が一つであるように、イェシュアが昇天・着座された後、弟子たちが一つになっている時、「いと高き所から力を着せられ」ました(使徒2:1,4,14, 44, 46, 47)。彼らはどんなに迫害されても、痛めつけられても、怯むことはありませんでした。なぜなら、彼らは「一つ」とされていたからです。使徒の働きの前半のキーワードは「心を一つにして」、あるいは「心を合わせ」です(1:14, 2:1, 2:46, 4:24, 4:32, 5:12)。このことばが記されているところには、必ず神の大きな奇蹟的な出来事が起こっています。なぜなら、「心一つであるところ」に神が祝福を命じられたからです。しかし教会に分裂をもたらす肉の思いが入り込むとき、教会は世に対する影響力を失うことになるのです。御子イェシュアが「彼らが完全に一つになるためです」と祈った理由がわかります。御霊による一致、それは私たちが肉ではなく、霊によって生きるときにもたらされる祝福だからです。しかし福音がユダヤ人から異邦人に広がり始めたとき、この一致は崩れていきます。ユダヤ人と異邦人の間に立ちはだかる「隔ての壁」は、私たち人間の罪がもたらす根深い問題のルーツです。使徒パウロはエペソの教会に宛てた手紙の中で、「平和の絆で結ばれて、御霊による一致を熱心に保ちなさい」と勧めていますが、キリスト教の歴史を学ぶなら、一致することが何と難しいかを感じさせられます。それゆえ、イェシュアのとりなしの祈りは継続中です。しかし、やがて彼らが「一つ」にされる時が来るのです。「一致の祝福」が命じられている詩篇があります。

【新改訳2017】詩篇133篇1~3節 <都上りの歌>
1 見よ。なんという幸せ なんという楽しさだろう。兄弟たちが一つになって ともに生きる(=住む)ことは。
2 それは 頭に注がれた貴い油のようだ。それは ひげに アロンのひげに流れて 衣の端にまで流れ滴る。
3 それはまた ヘルモンから シオンの山々に降りる露のようだ。
主がそこに とこしえのいのちの祝福を命じられたからである。

画像の説明

●詩篇133篇は主にある一致の祝福(シャーロームの祝福)が描かれています。「キリストにあってすべてが一つになること」は神のヴィジョンです。一致のあるところに、神が祝福を命じられたとあります。これは永遠に変わらない真理であり、御国において末広がりの祝福です。逆に一致のないところには神の祝福はない、ということも真理ということになります。詩篇133篇はメシア王国の預言です。「見よ」(ヒンネー:)は終わりの日を指し示し、やがての主にある一致のヴィジョンを啓示して、「なんという幸せ、なんという楽しさだろう」とこの上ない祝福を語っています。そう語っているのは「人称なき存在」である御霊です。しかもその祝福は、「アロンのひげに流れて、衣の端にまで流れ滴る」末広がりの祝福、あるいは「ヘルモンからシオンの山々に降りる露のよう」に、豊かないのちの水によって多くの実が結実するのです。メシア王国においては、神の知恵と知識の富(その豊かさと深さ)が現される世界です。それに比べるならば、今私たちが見、得ているのは、栄光の富の中のほんの一握り、大海の一滴、氷山の一角ほどに過ぎません。ソロモンの名声を伝え聞いてやって来たシェバの女王の「息も止まるばかり」という驚きを、私たちもやがて経験することになるのです(Ⅱ歴代誌9:1~8)。

4. ベアハリート (大祭司イェシュアの天における務めの祝福に与るために)

【新改訳2017】出エジプト記 30章7節
アロンはその上で香りの高い香をたく。朝ごとにともしびを整え、煙を立ち上らせる。

●幕屋の香壇の煙は「イェシュアの祈り」を啓示しています。この務めができたのは大祭司のみであり、その大祭司アロンはイェシュアの型です。香壇でたく「香りの高い香」を「聖なる香(こう)」と言います(出30:35)。「聖なる香」の成分は〔ナタフ香、シェヘレテ香、ヘルベナ香〕+〔純粋な乳香〕から成っています。三つの香(ナタフ香、シェヘレテ香、ヘルベナ香)は「イェシュアの死」を象徴し、もう一つの香(純粋な乳香)は「イェシュアの復活」を象徴しています。四つの香料が調合(ミングリング)されて「聖なる香」を生み出します。

画像の説明

●「ナタフ香」と「ヘルベナ香」は植物からのものです。「ナタフ香」は没薬のことで、イェシュアの葬りのときに用いられました(ヨハネ19:39)。「ヘルベナ香」は匂いがきわめて強く不快なものですが、これには他の香りを強化し持続させるという不思議な機能があり、虫や有毒な這うものを駆除し追い払うという効用もあります。「シェヘレテ香」は動物(貝類の一種/紅海の沼地で育った貝)からのもので、キリストの死を意味しています。そのような観点から、ナタフ香(没薬)、シェヘレテ香、ヘルベナ香の三つはいずれもキリストの死を表象し、乳香はキリストの復活を表象しています。これら「植物」と「動物」のいのちは、ヨハネによって啓示されています。植物のいのちは「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます」(12:24)とあるように、実を結ぶためには植物のいのちが不可欠です。また動物のいのちは「見よ、世の罪を取り除く神の子羊」(1:29) とあるように、罪を贖うためには動物のいのちが不可欠です。さらに「聖なる香」の四つの成分に「塩」が加えられます。「塩」とは「キリストの死と復活の不変性」を表していると考えられます。このように、イェシュアご自身が大祭司として神にささげる「聖なる香(死と復活)」となってくださったことで、イェシュアを信じる者はみな、幕屋においてすべての物と祭司を聖めた「聖なる注ぎの油」(出30:25)を神から与えていただけるnodesu.
この「聖なる注ぎの油」こそ「いのちを与える霊(御霊)」「もう一人の助け主」「聖霊」「知恵と啓示の御霊」「注ぎの油」なのです。この「いのちの循環」のからくりを知ることが重要ですが、このいのちの循環に与るために重要なことがあります。

●「聖なる注ぎの油」について、ヨハネは以下のように語っています。

①【新改訳2017】Ⅰヨハネの手紙 2章20節
あなたがたには聖なる方からの注ぎの油があるので、みな真理を知っています。
②【新改訳2017】Ⅰヨハネの手紙2章27節
しかし、あなたがたのうちには、御子から受けた注ぎの油がとどまっているので、だれかに教えてもらう必要はありません。その注ぎの油が、すべてについてあなたがたに教えてくれます。それは真理であって偽りではありませんから、あなたがたは教えられたとおり、御子のうちにとどまりなさい。

●「聖なる方からの注ぎの油」が「御子から受けた注ぎの油」と言い換えられています。大祭司イェシュアは、私たちが神の奥義(秘密)を知るために「御子のうちにとどまる」よう、今もとりなしの祈りをしておられるのです。

三一の神の霊が、私たちの霊とともにおられます。

2025.4.13
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