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1. ルツ記の主題と聖書的位置づけ

歴史書(1)の目次

ルツ記 1. 主題と聖書的位置づけ


(1) 主題は「神の救いにおける贖いの包容性」

①神は、どのような者でもご自身の「翼の下に避け所を求めて来」る(2章12節)者を豊かに報いる方である。

②ユダヤ人の選民意識、排他主義を考えるとき、モアプの女ルツがイスラエルの娘たちよりも優れ、信仰のゆえに称賛の的として描かれていることは驚くべきことなのである。元々、モアブということばは姦淫を意味する。その地名のもとになったモアブ自身、ロトと彼の娘のひとりとの近親相姦の関係で生まれた。荒野でイスラエルの民に異教の神を拝ませたのはモアプの民であった。これは<ペオル事件>として民数記25章に記されている。神は、イスラエルの民がモアブ人の女と結婚することをお許しにならなかった。なぜなら、「彼らは必ずあなたがたの心を転じて、彼らの神々に従わせる」からであった(1列王記11章2節)。脚注1

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③神の愛の主権性
イスラエルに対する<特殊愛>と異邦人に対する<普遍愛>は非理性的、非合理的。言者ヨナの警告によって異邦の町ニネベは悔い改めた。それを喜ぶべきはずのヨナは意外にも「生きるよりも死ぬ方がましだ」と神の前にすねた。ヨナ書の終わりにはこう記されている。「主は仰せられた。『あなたは、自分で骨折らず、そだてもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでいる。まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない12万以上の人間と、数多くの家畜がいるではないか。』」と。ヨナ書は、選民イスラエルの特権意識に基づく醜さが暴露されている。⇒ルカ15章の放蕩息子のたとえに登場する兄の立場と言える。

④ルツはすべての異邦人を代表している。ルツがメシアの家系に加わることによって、ユダヤ人も異邦人もやがて「異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄」(シメオンの賛歌、ルカ2章32節)となるべき方の来臨をという共通の希望を分かち合っている。

(2) ルツ記の位置づけ

なぜ、ルツ記がこの位置に置かれているのか。聖霊がそこに置かれた位置の意味するところは何か。

士師記ルツ記サムエル記
王と中心的聖所の欠落による不統一(21章25節)後の王制時代の形成および分裂を射程に入れた「橋渡し的役割」を担っている王制の導入とその理念ダビデ王による統一王国、イスラエルの黄金時代
  • 上記の図のように、ルツ記は後の王制時代の形成、および分裂を射程に入れた「橋渡し的役割」を担っている。つまり、王制を導入したイスラエルのそれぞれの時代に応じて語りかけている。

    ①〔統一王国時代〕
    ルツ記は、ダビデ王朝やダビデ個人を神聖視する風潮の中で、輝かしいダビデのルーツに、ひとりの異邦人(モアブ)の女性を系図の中に持っているというショッキングな事実を明らかにしながらも、Ⅱサムエル7章18~19節のダビデの祈りに示されているように、ダビデの家が神の絶対的な恩寵による選びに根差していることを確認している。


    ②〔分裂王国時代〕
    ルツ記は、北イスラエル王国に対して、南ユダ王朝こそが神の絶対恩寵による選びの王朝であることを明らかにする。つまり南ユダ王朝の正当性、優位性が主張されている。ダビデはユダ族の出身である(ダビデ⇒エッサイ⇒オベテ⇒ボアズ・・⇒ペレツ⇒ユダ)。
    脚注2


    ③〔捕囚時代〕
    ルツ記は、異邦の地バビロンで捕囚となっていた神の民に対して、絶望の中にあったナオミや異邦人ルツが信仰によってはからずも希望の光を与えられた。今一度、神を信頼して、神にのみ目を注ぐようにとの励ましを語っている。


    ④〔捕囚以降の時代〕
    ルツ記は、ともすれば、選民意識による排他主義に傾くユダヤ人に対して、神の恵みと祝福は血筋によらず、国籍によらないことを教え、「血筋」という偶像を捨て、迷信を破壊するように諭している。脚注3



脚注1
モアブ人はアブラハムの甥ロトとロトの娘姉との間に生まれた子の子孫である。アモン人は同じくロトと娘妹との間に生まれた子の子孫である。また、エドム人はヤコブの兄エサウの子孫である。彼らは神の恵みによって土地を神から与えられた。神はイスラエルの民に彼らに敵対してはならないこと、争いをしかけてはならないことを語られた。(申命記2章17節以下参照)。

脚注2
創世記38章によれば、ユダはカナン人の女をみそめて結婚し、3人の子どもを得ている。ユダはその長子にタマルという妻を与えるが、この長子は主を怒らせたために死に、義兄のオナンも同じく主を怒らせたことにより、主からいのちを取られた。そのためユダの嫁であるタマルは遊女になりすまし、義父をだましてユダとの間にに双子(ペレツとゼラフ)をもうける。そのとき最初に胎から出ようとしていた子に割り込むようにして出てきたのがペレツであった。まさに、エサウのかかとをつかんで胎から出てきたヤコブを思い起こさせる。このように、ユダ、およびその子孫を見ると、必ずしもほめられるようなところはないが、まさにそこにこそ神の絶大な恵みが現わされている。

脚注3
この点をさらに進めたのは、マタイの福音書1章の救い主の系図である。福音書の記者はイエスの系図の中にルツをほかにあと三人の女性を、それも、ともすれば白い目で見られるような女性たちの名前をわざわざ加えている。これは、人間の心の中に深く根を下ろす「差別と偏見の罪」に対する抗議であり、また福音というものがそういう罪とその結果たる悲惨から、人間を救うものであることを示すものである。


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