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高ぶりは破滅に先立つ

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列王記の目次

36. 高ぶりは破滅に先立つ

【聖書箇所】 14章1節~29節

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「しかし、(アマツヤは)聞き入れなかった。」

はじめに

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  • 14章で取り上げられている王は、上記に記されています。特に、この章でのキーワードを南ユダの王アマツヤが北王国の王ヨアシュの言う事を「聞き入れなかった」、「ヴロー、シャーマー」としたいと思います。アマツヤの態度がもたらした出来事は、両国がたどる運命の象徴的に啓示しているからです。ヨアシュの治世は、はじめは良かったのですが、終わりが悪かったようです。「終わり良ければすべて良し」というのは真理なのでしょうか。

1. ユダの王ヨアシュの高ぶり

  • 列王記の記者のヨアシュに対する評価は、14章5節にあるように、王国が彼の手によって強くなるにつれて好戦的になってきたことでした。そのひとつは、「自分の父を打った家来たちを打ち殺した」こと。もうひとつは、イスラエルの王であったヨアシュと対戦しようとしたことでした。北と南が対戦するのはこれがはじめてです。
  • その背景には、アマツヤが塩の谷で一万人のエドム人を打ち殺して勝利をもたらしたという実績があったからでした。この戦いが神によって勝利できたという信仰が失われるとき、必ずや自己過信の罪に陥ります。箴言16章18節にはこうあります。

高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は、倒れに先立つ。

  • アマツヤの「さあ、勝敗を決めようではないか」という戦いへの挑戦、字義的には「互いに顔を合わせよう」ですが、岩波訳は「さあ、一戦を交えようではないか」と訳していますが、その戦いにはなぜそうしなければならないのかという目的も正義もありませんでした。そのことをヨアシュは見抜いて次のように言っています。

【新改訳改訂第3版】Ⅱ列王記 14:9~10
9・・「レバノンのあざみが、レバノンの杉に使者を送って、『あなたの娘を私の息子の嫁にくれないか』と言ったが、レバノンの野の獣が通り過ぎて、そのあざみを踏みにじった。
10 あなたは、エドムを打ちに打って、それであなたの心は高ぶっている。誇ってもよいが、自分の家にとどまっていなさい。なぜ、争いをしかけてわざわいを求め、あなたもユダも共に倒れようとするのか。」

  • ヨアシュはアマツヤを相手にせず、むしろ相手を「あざみ」が「杉の木」に分相応な要求をしていると揶揄し、そのリスクが大きいことを諭したのですが、アマツヤはヨアシュのことばを聞こうとはせず、無視して戦いを挑みました。
  • 歴代誌第25章では主の預言者の勧めも聞かなかったとあります。それゆえ、神がアマツヤを滅ぼそうとしている計画していると預言者は知ります。
  • 案の定、戦いはアマツヤの完全な負け戦に終わりました。エルサレムの城壁が約180メートルにわたって崩されただけでなく、おそらく王家の者たちと思われますが、その多くが人質として取られました。神殿の宝物倉にある貴重なものまでも持ち去られるという事態を招きました。得たものは何もありませんでした。まさに「高慢は破滅に先立つ」とは真理です。そしてこの出来事は、これからの神の民の歴史において、警告的な意味における象徴的出来事であったのです。

2. アザルヤ(ウジヤ)、ヤロブアム二世の時代

  • アマツヤの後継者となったアザルヤ(ウジヤ)王、そして北のヤロブアム二世は、人間的な視点から見るならば(俗的な意味では)、それぞれ国に繁栄をもたらした有能な王でしたが、聖なる視点から見るならば、その貧富の差によって不公平な、神の公義を欠いた社会を作り出しました。そこに預言者のイザヤ、ミカ、北ではアモス、ホセアといった預言者が登場するようになるのです。
  • ちなみに、ヤロブアム二世は北イスラエル王国としては最も長い41年と言う治世でした。繁栄をきわめましたが、道徳的にはきわめて廃退した時代でした。一方のアザルヤ(ウジヤ)の治世は、南ユダ王国としてはマナセの55年に次ぐ51年という治世でした。

2012.11.24


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