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青銅の祭壇


7. 青銅の祭壇

【聖書箇所】出エジプト記27章1~8節

ベレーシート

●幕屋の外側から庭の入口を通って中に入ると、最初に目にするのが「青銅の祭壇」です。「祭壇」はヘブル語で「ミズベーアッハ」(מִזְבֵּחַ)、語根は「動物をいけにえとしてほふる」ことを意味する「ザーヴァハ」(זָבַח)で、「いけにえ」は「ゼヴァハ」(זֶבַח)です。

●主のために祭壇を最初に築いたのはノアでした。洪水後、「ノアは、【主】のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜と、すべてのきよい鳥のうちから幾つかを選び取って、祭壇の上で全焼のいけにえをささげた。」(創世記8:20)とあります。その後、アブラハム、イサク、ヤコブと続きますが、祭壇でささげられたのはすべて全焼のいけにえです。しかしモーセの幕屋では礼拝をするために門を通った者に求められた最初のことは、「罪のためのいけにえ」(新改訳)〔「罪祭」(口語訳)、「贖罪の献げ物」(新共同訳)、「a sin offering」(KJV)〕をささげることでした。モーセの幕屋における「祭壇」の必然性は、第一義的には贖罪のためのものです。順序としては「罪のためのいけにえ」(これには「罪過のいけにえ」と「罪のいけにえ」を含みます)の他に、「和解のいけにえ」「全焼のいけにえ」もこの「祭壇」にささげますから、「いけにえをささげるための祭壇」と言えます。今回はこの「祭壇」に注目します。テキストの箇所は以下の通りです。

【新改訳改訂第3版】出エジプト記27章1~8節
1 祭壇をアカシヤ材で作る。その祭壇は長さ五キュビト、幅五キュビトの四角形でなければならない。高さは三キュビトとする。
2 その四隅の上に角を作る。その角は祭壇の一部でなければならない。青銅をその祭壇にかぶせる。
3 灰を取るつぼ、十能、鉢、肉刺し、火皿を作る。祭壇の用具はみな、青銅で作らなければならない。
4 祭壇のために、青銅の網細工の格子を作り、その網の上の四隅に、青銅の環を四個作る。
5 その網を下方、祭壇の出張りの下に取りつけ、これを祭壇の高さの半ばに達するようにする。
6 祭壇のために、棒を、アカシヤ材の棒を作り、それらに青銅をかぶせる。
7 それらの棒は環に通されなければならない。祭壇がかつがれるとき、棒は祭壇の両側にある。
8 祭壇は中をからにして板で作らなければならない。山であなたに示されたところにしたがって彼らはこれを作らなければならない。


1. 「祭壇」の形態

画像の説明

(1) 材料

●「1 祭壇をアカシヤ材で作る。2・・青銅をその祭壇にかぶせる。」とあるように、祭壇の材料は「アカシヤ材」に「青銅」をかぶせたものです。「アカシヤ材」はとても堅牢で、永生の象徴ともされています。幕屋における材料の木材は、庭の掛け幕を支えている柱も含めて、すべてがアカシヤ材です(出25:5)。

●「祭壇」のすべて、そのための器具も含めて、すべて「青銅」をかぶせなければなりませんでした。エジプト人とイスラエル人は、鉄よりも固い青銅の製造を知っていたのです。「青銅」はすべての金属の中で最も火に強いと言われますが、それは罪に対する神の怒りの激しさを示しています。

(2) 「祭壇」の寸法とその象徴的意味

●「その祭壇は長さ五キュビト、幅五キュビトの四角形でなければならない。高さは三キュビトとする。」(新改訳改訂3 出27:1)とあるように、「祭壇」の寸法は長さ5キュビト、幅5キュビト、高さ3キュビトです。形としては、5キュビト(45.6cm×5)2.28mの正方形をしています。

①「5」という数
●幕屋において「5」という数字は神に対する人間の責任を象徴する数です。幕屋においては、この「5」とその倍数である「10」「20」「50」「100」という数がいろいろなところで使われています。たとえば、幕屋の庭の南北にはそれぞれ亜麻布の撚り糸で織られた100キュビトの掛け幕が張られ。それを支える20本の柱とそれを支える20個の青銅の台座。東と西はそれぞれ50キュビトです。掛け幕が10本の柱で支えられています。

●また「5」という数字は、「祭壇」の器具の数でもあります。

画像の説明

a.「鉢」はいけにえの血をその中に入れて持ち運ぶためのもの。
b.「灰を取るつぼ」は、灰を宿営の外のきよい所に持ち出すためのものです。このことが意味することは、イェシュアが十字架にかかった場所が「宿営の外」でなければならないことと、イェシュアが葬られた墓も宿営の外にある、しかも、だれの死体も置かれたことのないきよい「新しい墓」でなければならなかったことを示唆しています。
c. 「火皿」は、熱い炭火を運ぶもの。
d. 「十能」、および、e. 「肉刺し」は、いけにえを焼き尽くための器具であり、神のみこころを執行するためのものと言えます。

●モーセの幕屋で規定されている「ささげもの」も「5」つです。
a. 全焼のいけにえ(燔祭)〔任意のささげもの、自発的、香ばしい香り〕
b. 穀物のささげもの(素祭)〔任意、自発的、香ばしい香り〕
c. 和解のいけにえ(酬恩祭)〔任意、自発的、香ばしい香り〕
d. 罪のためのいけにえ(罪祭)〔義務的、香ばしくない香り〕
e. 罪過のためのいけにえ(愆祭)〔義務的、香ばしくない香り〕

※このうち、b.を除いて、すべて血を注ぎ出すいけにえですが、すべての人にとってきわめて重要なのは、dとeの二つです。なぜなら、血はいのちそのものであるゆえに罪を贖い(赦し)、人を神に近づけさせる力があるからです。


②「4」という数

●祭壇が四角形であるのは、「4」という数が四方、すなわち「キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになった」(Ⅰテモテ2:6)とあるように、すべての部族、言語、国民、諸国、世々にわたるすべての人の贖罪のためであることを象徴しています。

●幕屋の入り口には、四つの撚り糸(青色、紫色、緋色、白色)で織られた幕があります。その幅は「4」の倍数である20キュビト。しかも4本の柱と青銅の台座が設けられ、だれでもこの門を通って入れることを意味しています。また、幕屋の本体をおおっている四枚の幕も全人類とかかわるキリストを表しています。

●ヨハネの黙示録では、ヨハネが見た御座のまわりにいる「四つの生き物」(獅子、雄牛、人、鷲)と「4」の倍数である「二十四人の長老」たちの存在は、多くの御使いとともに、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から贖われた者たちを代表しています。新約聖書の中の四つの福音書もそれぞれ、マタイの「獅子」、マルコの「雄牛」、ルカの「人」、ヨハネの「鷲」を表しています。


③「3」という数

●ところで、「祭壇」の高さの3キュビトの「3」という数ですが、「3」は、父なる神、子なる神、聖霊なる神の三位一体に示されるように、完全な神のあかし、神の確証を表わす数字です。「キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神(御父)におささげになったその血は」(ヘブル9:14)とあるように、「祭壇」の「3」キュビトの中に表されていると考えられます。


●以上、祭壇の寸法(5、5、3)とその形である「4」(四方)という数字だけでも、神が人とともに住むという神のみこころの熱意が祭壇に秘められているのです。


(3) 「祭壇」の構造

祭壇の構造.JPG

四隅にある「角」とその象徴的な意味

●27章2節に「その四隅の上に角を作る。その角は祭壇の一部でなければならない。青銅をその祭壇にかぶせる。」とあるように、青銅でおおったアカシヤ材の祭壇の四隅に作られた「角」は、祭壇の力を象徴しています。その「力」とは「血」の持つ力を意味します。祭壇の四隅にある四つの角に贖罪の血を塗ることで、あたかも神がご自身を求めようとする人の心に平安をお与えになることを示しているようです。

●ただし、青銅の祭壇の角に鉢に入れた血を指で塗ることは、「罪のためのいけにえ」の血に限られています(レビ4:25, 30, 34)。また、「罪のためのいけにえ」の血のみ、祭壇のまわりではなく、祭壇の土台に注がれました(出29:12、レビ4:7, 18, 25, 30. 34)。このように祭壇は注がれた血の力に上に確立されていたのです(詩篇22:14、イザヤ53:12、マタイ26:27、マルコ14:24、ルカ22:20を参照。これらの聖句から「注ぎ出される」「流される」という概念を引き出そう)。〔脚注〕

角.JPG

●「角」は上側と外側の方向を指し示していますが、それは血の力と勢いが、神に対してもまた全地の四隅にいるあらゆる人々にもあることを告げていると考えられます。

●ヨアブがソロモン王を裏切った結果を恐れて、「主の天幕に逃げ、祭壇の角をつかんだ」記事があります(Ⅰ列王記2:28)。おそらく、ヨアブは祭壇の角をつかんだことで安全だと思いましたが、いけにえと血を携えて来なかっために祭壇を汚し、そのため彼は死んでしまいました。

角が生えたモーセ.JPG

●余談ですが、「角」のことをヘブル語で「ケレン」(קֶרֶן) と言います。しかしこの「ケルン」の語源である動詞の「カーラン」(קָרַן)は「光を放つ」という意味です。モーセがシナイ山を下ると、モーセの顔の肌は光を放っていました出34:29, 30, 35)が、旧約聖書をラテン語に訳したヒエロニムスは、この箇所を「モーセの顔に角が生えていた」と訳してしまいました。それを信じたミケランジェロは角が生えたモーセの像を創ったという話は有名です。


2. 祭壇のための被金(きせがね)とした青銅の火皿

画像の説明

●上図の祭壇を見ると、延べ板のようなものが張られているように見えます。これは青銅の火皿を打ちたたいて延べ板にしたものをかぶせたものです。このような指示は本来の幕屋建造にはなかったものでしたが、荒野おいて起こった出来事に基づいています。民数記16章37~38節参照。

共謀して指導者に反逆した事件

●コラとダタンがアビラムが祭司職に反逆したとき、モーセはその反逆者たちとアロンとに、火皿を取り、それに香を盛って、おのおのその火皿を携え、会見の幕屋の入口に来るように告げました。地は口を開いて反逆者たちを生きながら飲み尽くしたのです。また、主のもとから火が出て、薫香を備えた250人を焼き尽くしました。そのとき、主はモーセに告げて仰せられました。「あなたは、祭司アロンの子エルアザルに命じて、火の中から火皿を取り出させよ。火を遠くにまき散らさせよ。それらは聖なるものとなっているから。罪を犯していのちを失ったこれらの者たちの火皿を取り、それらを打ちたたいて延べ板にし、祭壇のための被金とせよ。これらをイスラエル人に対するしるしとさせよ。」

●不信仰に対しては、神は第一世代の者に対して自然的な死をもたらしますが、神の権威に対する反逆は神以外になし得ないさばきをもってはっきりと立ち向かわれます。案の定、権威に反逆したコラ、および彼と共謀した者たちはみな、地面が割れて「生きながら、よみに下る」という神のさばきを受けました。主はこの出来事を他の者たちの教訓的なしるしとするために、共謀者らが神の前に近づくためにもっていた青銅の火皿を打ち延ばし、主の祭壇のための被金(きせがね)とし、民が主にささげものをもって礼拝するときにいつもそのことを思い起こさせる「しるし」とされたのです。


脚注〕

以下のみことばはすべて新改訳改訂より引用。
(1) 詩篇22篇14篇「私は、水のように注ぎ出され」の「注ぎ出され(た)」は、「シャーファフ」(שָׁפַךְ)の1人称完了ニファル態の「ニシュパフティー」(נִשְׁפַּכְתִּי)。

(2) イザヤ書53章12節の「彼が自分のいのちを死に明け渡し(た)」の「明け渡した」は、「アーラー」(עָרָה)のヒフィル態の「ハエラー」(ֲהֲעֱרָה)が使われていますが、これがニフィル態で使われる場合には「注がれる、注ぎ出される」という意味になります。基本形では使われない動詞です。

(3) マタイ26章28節、マルコ14章24節、ルカ22章20節にある罪を赦すために多くの人のために「流されるもの」をヘブル語にすると、すべて、「シャーファフ」(שָׁפַךְ)のニファル態の分詞に冠詞が付いた「ハンニシュパーフ」(הַנִּשְׁפָּךְ)が使われています。つまり、イェシュアの血は多くの人のために一滴残らず、完全に「注ぎ出された」のです。

●罪のためのいけにえの血は祭壇の四つの角に塗られ、その残りはすべて祭壇のまわりやに「注がれる」か、土台に「流された」のです。それは、やがて十字架の上(=祭壇の格子の上)で流されるイェシュアの罪のない尊い血潮を啓示していたのです。

画像の説明


2016.3.25


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