****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

雅歌の瞑想を始めるに当たって

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雅歌は、花婿なるキリストと花嫁なる教会のかかわりを学ぶ最高のテキストです。

「雅歌」の瞑想を始めるに当たって

1. 雅歌の解釈のアプローチについて

  • 「雅歌」のこれまでの解釈法は、男女の美しい愛を歌った「自然的解釈」と、神と人との愛のかかわりを描いた「比喩的解釈」に分かれます。しかしここでは、神のマスタープランの視点から、雅歌を「花婿なるキリスト」と「キリストの花嫁である教会」との愛のかかわりを預言的に歌った歌として理解したいと思います。
  • なぜ、神とイスラエルのかかわりでないのかと言えば、神とイスラエルの関係はすでに夫婦関係であるからです。むしろ、雅歌で描かれているのは花婿と花嫁の関係であり、やがて「顔と顔を合わせ」る一体感への希求にあふれている書と理解します。その意味では、雅歌は人生の悲観主義を描いた「伝道者の書」や人生における不条理と懐疑を描いた「ヨブ記」とは特色を異にしています。
  • 雅歌を「預言的な歌」として理解するというのは、キリストと教会のかかわりが神のご計画のマスタープランにおいては「奥義」だからです。そのことを啓示されたパウロは、キリストと教会とのかかわりを、雅歌の中に啓示されている「花婿と花嫁」の関係と理解したのかもしれません。神とイスラエルとのかかわりは夫と妻の関係ですが、メシアであるイェシュアと教会のかかわりは花婿と花嫁の関係です。やがては妻であるイスラエルも神のご計画では最後の最後に夫婦として回復しますが、キリストの花嫁である教会は、イスラエルと同じ「妻」としての立場が約束された、いわば接ぎ木された共同相続人なのです。
  • 神の奥義としての「花婿」と「花嫁」のかかわりの「型」は、すでにエデンの園における「アダム」と「エバ」に、またダビデの祖先となった「ボアズ」と「ルツ」によっても啓示されています。これは神のご計画においてきわめて尊い真理なのです。この真理を、私は「ブライダル・パラダイム」と称しています。使徒パウロは自分の働きをこの視点から次のように記しています。

    【新改訳2017】Ⅱコリント書11章2節
    私は神の熱心をもって、あなたがたのことを熱心に思っています。私はあなたがたを清純な処女として、一人の夫キリストに献げるために婚約させたのですから


2. 「歌の中の歌」を意味する「雅歌」という表現

  • 雅歌はヘブル語で「シール・ハッシーリーム」(שִׁיר הַשִּׁירִים)、その直訳は「歌の中の歌」で、「多くの歌の中の最高傑作としての歌」を意味します。単数と複数形を並べるこの表現はヘブル的強調表現で、以下のように、他の箇所にも見ることができます。文法用語では「スミフート」(連語形)と言い、強い結びつきを持った名詞句です。

(1) 「至聖所
(「コーデシュ・ハッコダーシーム」קֹדֶשׁ הַקֳּדָשִׁים)、出エジプト記26章34節。
(2) 「王の王
(「メレフ・メラーヒーム」מֶלֶךְ מְלָכִים)、エゼキエル書26章7節。
(3) 「空の空
(「ハヴェール・ハヴァーリーム」הֲבֵל הֲבָלִים)、伝道者の書1章2節。
(4) 「天の天
(「シェメー・ハッシャーマイム」שְׁמֵי הַשָּׁמַיִם)、Ⅰ列王記8章27節。
(5) 「しもべらのしもべ
(「エヴェド・アヴァーリーム」עֶבֶד עֲבָרִים)、創世記9章25節。
(6)「神の神
(「エローヘー・ハーエローヒーム」אֱלֹהֵי הָאֱלֹהִים)、申命記10章17節。


3. 「ソロモンの」という意味

  • 「ソロモンの雅歌」とあれば、普通はソロモンが書いたと思われます。しかし必ずしも彼が書いたと理解する必要はありません。原文では「アシェル・リシェローモー」(אֲשֶׁר לִשְׁלֹמֹה)とあり、これは「ソロモン的な」という意味で、ソロモンという人物以上に、その名前がもっている語根が意味すること、つまり、שׁלםから派生する語彙群の意味が重要だと思われます。

(1) 動詞「シャーレーム」(שָׁלֵם)、無傷である、完成する、報いる、償う、誓いを果たす。
(2) 形容詞「シャーレーム」(שָׁלֵם)、自然のままの、完全な、平和な、豊かな、全くひとつの。
(3) 名詞「シェレム」(שֶׁלֶם) 、和解のいけにえ。
(4) 固有名詞「シャーレーム」(שָׁלֵם)、エルサレムの別称。
(5) 固有名詞「シェローモー」(שְׁלֹמֹה)、ソロモン。
(6) 固有名詞「シューラミート」(שׁוּלַמִּית) シュラムの女(雅歌7:1)=平和を受ける者。平和をもたらす者。
(7) 名詞「シャーローム」(שָׁלוֹם)、神と人とのかかわりの祝福を総括する語彙。平和、繁栄、十全、無事、完全。

  • 以上のように見ると、固有名詞の「ソロモン」は語幹から派生する一つでしかありません。神と人とのかかわりから見る語幹のイメージは、あるいは神のご計画から見るイメージは、傷のないかかわりであり、しかも、本来あったありのままのかかわりの回復であり、全く一つとなった平和のかかわりであり、それがエルサレムにおいて、まことの王である方によって完成されるかかわりと言えます。まさに雅歌は、そのような愛のかかわりを歌った預言的な歌と言えるのではないかと思います。
  • また「雅歌」の存在の輝きは、その前に置かれている「伝道者の書」における悟りー「空の空、すべては空」というこの世において心満たすものは神以外に何もないという事実ーがあるということによっても強調されているように思われます。このことをイェシュアはサマリヤの女に対して、以下のように述べています。

【新改訳2017】ヨハネの福音書4章13~14節
13 ・・「この水を飲む人はみな、また渇きます。
14 しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」


4. 五感による愛のかかわりの表象

  • 雅歌の特徴の一つとして、五感によって味わう語彙が多いということです。

(1) 触覚・・「口づけ」
(2) 嗅覚・・「香油のかおり」(さまざまな香料)
(3) 味覚・・「ぶどう酒」「甘い」
(4) 視覚・・「あなたの目は鳩のよう」
(5) 聴覚・・「愛する方の声」

  • 五感のすべてを通して味わう崇高な愛のかかわり、これが雅歌の世界です。雅歌には花婿のことば以上に花嫁のことばが多く語られています。まさに「ブライダル・パラダイム」を彷彿とさせる世界と言えます。

5. 顔と顔を合わせる世界

  • 創世記1章1節に「初めに、神が天と地を創造した。」とあります。聖書における「天」と「地」は向かい合っている関係です。地にあるすべてのものは、天にあるものの写しです。したがって、愛というかかわりの本源も天にあります。新約聖書のヨハネの福音書の冒頭に、「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった」とあります。この聖句の「ことばは神とともにあった。」というかかわりに注目しなければなりません。「〜と共に」の「共に」に使われているギリシア語は「プロス」(πρός)で、それは「向かい合っているかかわりとしての共に」を意味します。マイクが2本並列しているかたちでの「共に」ではありません。天では御父と御子が向かい合っているのであり、その写しとしての地的現実が男と女(夫と妻)のかかわりです。結婚の奥義は天にある「プロス」の神秘とつながっているのです。救いの究極は、黙示録22章4節にある「神の御顔を仰ぎ見る」ことです。つまり、このかかわりの神秘を「雅歌」が啓示しているように思います。
  • 「雅歌」の世界は、単なる男女を超越した、天と地、神と人、夫と妻、花婿と花嫁が結び合って一つ(「エハード」אֶחָד)になる喜びの世界を描いています。いわば、神のご計画における「奥義の中の奥義」が、雅歌の中に隠れているように思われます。

6. 雅歌を雅歌によって解釈する

  • 「雅歌」には「雅歌」にしか使われていない語彙や特有な表現があります。したがって、雅歌を理解する上でそうした語彙や表現を大切にして解釈していく必要があります。出来る限り、雅歌を雅歌によって解釈することを心掛けたいと思います。日本人の「わび・さび」の感覚を外国人の方が理解することは簡単ではないように、異邦人である私たちもユダヤ人の世界の感覚を理解することは容易ではありません。しかし、啓示の御霊の助けによってそれを理解したいと願うのです。神を知りたいと願う者にとってそれは大切な心構えではないかと思います。


2015.8.4


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