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詩32篇の修辞

詩32篇の修辞 「大水の濁流」 


  • 詩篇32篇6節にある「大水の濁流」(新改訳)という表現を取り上げます。
  • 原文では、文字的には、「洪水」を意味するシェテフ(שֶׁטֶף)と「水」を意味するマイム(מַיִם)、それを修飾する形容詞の「多くの」ラヴ(רַב)の三つのことばからなっていますが、用法的には「洪水」と「大水」という二つの同義的な用語を並べることで、その意味するところを強調しています。
  • ちなみに、他の聖書の訳では以下のように訳されています。
    「大水が溢れ流れる」(新共同訳、関根訳)
    「大水があふれて」(バルバロ訳)
    「洪水が襲う」(典礼訳)
    「大水が押し寄せ」(岩波訳)
  • 「水」「洪水」は、聖書では苦難や試練、悲しみや苦痛を表わすメタフォー(比喩)としてしばしば用いられます。たとえば、詩篇18:16では「主は、いと高きところから御手を伸べて私を捕え、私を大水から引き上げられた。」とあります。同69:1~2でも「神よ。私を救ってください。水が、私ののどにまで、入ってきましたから。私は深い泥沼に沈み、足がかりもありません。私は大水の底に陥り、奔流が私を押し流しています。」とあります。また、詩篇144:7では「いと高きところからあなたの御手を伸べ、大水から、また外国人の手から、私を解き放ち、救い出してください。」とあります。このように、自分を滅ぼそうとする圧倒的な敵の勢力を「水」や「大水」にたとえています。
  • イスラエルの歴史において、イスラエルは当時の圧倒的な大国(北はアッシリヤ、バビロン、南はエジプト)に挟まれそれらに翻弄されました。哀歌3:54では、「水は私の頭の上にあふれ、私は『もう絶望だ』と言った。」とあります。ここでの「水」はエルサレム神殿の崩壊とバビロン捕囚をもたらしたバビロンの勢力を意味しています。
  • しかし神は、敵の(大国)の力にまさる圧倒的な力をもって彼らを滅ぼされる方(①②)であり、また同時に、圧倒的な祝福(③)も「水」とか「あふれる流れ」にたとえています。

①出エジプトのときには、
「主は、葦の海の水を、彼らの上にあふれさせて、滅ぼされ」(申命記11:4)ました。
②バビロン捕囚のときには、
「主はこう仰せられる。・・・・『あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。・・』(イザヤ43:1~2)
③終末のときには、
「主はこう仰せられる。『見よ。わたしは川のように繁栄を彼女(エルサレムのこと)を与え、あふれる流れのように国々の富を与える。』(イザヤ66:12)

  • 「水」は、他にも、すべての人の罪をきよめる「聖霊」に(エゼキエル47:1、ゼカリヤ14:8)、また「知恵」(箴言18:4)を表すメタファーとしても使われています。

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