詩篇は言語化された心の叫びだと知ること
29. 言語化された心の叫び
- 自分の気持ちをありのままに言語化できるのはひとつの能力です。話したり、説明したり、書いたりするのはすべて「ことば」によってです。しかし、作家でもないかぎり、自分の気持ちをことばでどのように表現してよいかわからない、というのが大勢ではないかと思います。たとえもし、自分の心の思うことや感じることを、ありのままに言語化されたとしたなら、人から「あなたはこんなことを思っていたの? 感じていたの?」と驚かれ、つまずきや誤解を与えるかもしれません。特に、感情はその人の本当の心を表わしています。ですから、自分のありのままの心を表わすことに人は躊躇します。ところが、詩篇の作者たちはそうした誤解やつまずきを恐れません。心を注ぎ出すことに躊躇しません。それゆえに、詩篇はある人にとっては拒絶されるかもしれませんし、逆に、ある人にとっては「私の思っていることをうまく表現している」と共感されるかもしれません。
- 「心を注ぎ出す」ということは、私たちが考えているほど易しいことではありません。言語化されるまでには、その人の言語能力、表現能力、考え方やものの見方、感じ方、人に対する恐れ、価値観、道徳観といったさまざまなフィルターを通ります。そのため、言語化されるまでにその人の中にさまざまな葛藤が生じるのです。その葛藤に耐えられなくて、ことばとして出てこないことが往々にしてあります。
- 人生経験が浅いために、詩篇の表現がよく理解できないことがあります。また、自分の正直な気持ち(感情)を受容できないために、詩篇の感情的な表現に拒絶感を覚えることもあります。しかし、詩篇は人間が経験するありとあらゆる思いや感情の表現がなされているという点において、不朽の価値をもっていると信じます。