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神の警告のことば「さもないと」

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7. 神の警告のことば「さもないと」

【聖書箇所】 4章1節~31節

ベレーシート

  • エレミヤ書第4章は、イスラエルとユダに対する悔い改めの呼びかけと「北からの大いなる災い」が、「さもないと」という警告の接続詞「ペン」で結びつけられています。今回は、この接続詞の持つ重みを味わってみたいと思います。
画像の説明
  • 「ペン」(פֶּן)は旧約では133回使われています。エレミヤ書では8回(1:17/4:4/6:8, 8/10:24/21/12/38:19/51:46)です。「ペン」は人が神に対して嘆願して「そうでなければ」「~なってしまう」という用法で使われていますが、ほとんどは神が人(民)に対する命令文があって、「さもないと」「~なってしまう」という警告を告げる接続詞として使われています。エレミヤ書4章4節の「ペン」は悔い改めよという命令があり、「さもなければ」、北からの大いなる災い(破滅)がもたらされると警告されています。
  • 聖書には、「命令文」+「従順の接続詞」=「神の約束」という構文と、「命令文」+「警告の接続詞」=「神の審判」という構文があります。「神の約束」も「神の審判」も、いずれも必ずそうなるという意味です。「そうなるかもしれないし、ならないかもしれない」という不確定のものではなく、必ずそうなると言う確定を意味しています。
  • 「ぺン」という接続詞が聖書で最初に用いられている箇所は、創世記の3章3節です。

    【新改訳改訂第3版】創世記 3 章2~3節

    私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と仰せになりました。」

さもないと死ぬ.PNG
  • この箇所は蛇が女に「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」と問いかけたときに答えたことばでした。「死ぬといけないからだ」と訳されていますが、この日本語訳だと、「死ぬかもしれないし、死なないかもしれない」というニュアンスを含んでしまいます。しかし原文では「さもないと(「ペン」פֶּן、死ぬ「ムート」מוּת」(右上図)という意味です。接続詞の前の文が命令文でない場合は「~することがないように」と訳されます
  • 神の命じたことに対して従うかどうかがいつも求められます。人間が犯した最大の過ちは神の命令に逆らった場合に「死ぬ」という結果をもたらすことを聞きつつ、「決して死にません。なぜなら・・」という蛇の言うことを信じてしまったことにあります。このパターンはそれ以来何度も繰り返されることになります。

1. イスラエルとユダに対する悔い改めの命令と警告

  • ヨシヤ王が宗教改革をした頃は、アッシリヤの勢力が衰微し、そのために占領されたイスラエルの領土の幾分かを取り戻して拡張し得た時代でした。そして過越の祭りには、イスラエルにいる神の民にも呼びかけることができたようです。したがってエレミヤは北イスラエルの民とユダの民にも神への悔い改めを迫っています。

(1) 北イスラエルの民に対する悔い改めの要求

【新改訳改訂第3版】エレミヤ 4章1~2節

1「イスラエルよ。もし帰るのなら、──【主】の御告げ──わたしのところに帰って来い。もし、あなたが忌むべき物をわたしの前から除くなら、あなたは迷うことはない。2 あなたが真実と公義と正義とによって『【主】は生きておられる』と誓うなら、国々は主によって互いに祝福し合い、主によって誇り合う。」

  • 「あなたが真実と公義と正義とによって『【主】は生きておられる』と誓うなら」とありますが、「主は生きておられる」という告白は、かつて北イスラエルに遣わされた預言者エリヤのメッセージです。北イスラエルの「残りの民」が主に立ち帰るべきことがここで命じられています。

(2) ユダの民に対する悔い改めの要求

【新改訳改訂第3版】エレミヤ 4章3~4節
3 まことに【主】は、ユダの人とエルサレムとに、こう仰せられる。「耕地を開拓せよ。いばらの中に種を蒔くな。
4 ユダの人とエルサレムの住民よ。【主】のために割礼を受け、心の包皮を取り除け。さもないと、あなたがたの悪い行いのため、わたしの憤りが火のように出て燃え上がり、消す者もいないだろう。」

  • 「耕地を開拓する」ことと「心の割礼を受け、包皮を取り除く」ことは同義です。換言するならば、それは神の前でへりくだることを意味しています。「さもないと」(ペン)、主の憤りが火のように燃え上がり、だれもその火を消すことが出来ないと警告されています。
  • 「耕地を開拓する」というメッセージはホセアがした重要なメッセージです(ホセア10:12)。エレミヤは先の預言者ホセアのメッセージを踏襲しています。ホセアが語った「耕地を開拓する」というメッセージは「自ら新しい土地を開墾する」ということで、そこに自ら義のための種(神との正しいかかわりの種)を蒔き、(神に対する)愛に従って刈り入れることでした。それは、主を知るための備えられた心を意味します。エレミヤのいう「耕地を開拓せよ」とのメッセージも同じ意味と受け取ることが出来ます。「耕地を開拓する」こと、「新田が耕される」ことは、心砕かれて主の命令に従順に従う「良い地」(マタイ13:8, 23)を意味します。

2. 「さもないと」の警告

  • 4章には、「さもないと」の「北からの大いなる災い」の警告が繰り返し語られます。その一連のまとまりを「北からの災いの歌」としている人もいます。それによれば、

(1) 第一の歌(5~8節)・・災いの接近(非常事態)の告知
(2) 第二の歌(11~14節)・・「熱風」「激しい風」「つむじ風」と表現されているように、主のさばきがものすごいスピードで押し寄せようとしていること
(3) 第三の歌(15~17節) ・・ユダの町々が荒らされ、エルサレムも包囲される脅威
(4) 第四の歌(23~28節)・・天地創造以前の茫漠(徹底的な壊滅状態「トーフー・ヴァーヴォーフー」)
(5) 第五の歌(29~31節)・・踏みにじられたシオンの娘の悲惨な姿

  • 災いの真の主体は神ご自身です。北イスラエルを滅ぼしたアッシリアもそうであったように、バビロンも神の手にある道具でしかありません。迫りくる災いの前に、「さもないと」という主の警告を正しく受けとめなかったユダの姿は、神の御子イエスが来臨されたときのユダヤの指導者たちと同じパターンです。

2013.1.19


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