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目を開いて、見えるようにしてください

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列王記の目次

28. 目を開いて、見えるようにしてください

【聖書箇所】6章1節~23節

はじめに

  • 6:1~23には二つのストーリーが記されています。一つは「斧の頭を浮かび上がらせる奇蹟」(1~7節)で、もう一つは「アラムの来襲」(8~23節)です。
  • ここではエリシャは「ドタン」という場所にいます。エリシャはカルメル山、ギルガル、サマリヤ、ドタンと居場所が転々としています。一つの場所ではなく、常に、移動していることが分かります。ナザレのイエスの公生涯のようです。
  • エリヤとエリシャは、バプテスマのヨハネとイエスの型です。ェリシャの行動や働き、そしてそのことばは、イエスを指し示しています。

1. 「斧の頭を浮かび上がらせる奇蹟」

  • 預言者エリシャの10の奇蹟の中で、「斧の頭を浮かび上がらせる奇蹟」は第七番目の奇蹟です。この奇蹟は何を示そうとしているのでしょうか。
  • エリシャはこれまでも「預言者のともがら」のために何回か奇蹟を行っています。今回も、預言者の仲間の一人が、家を建てるための木材を切るために、斧を借りて来ていました。ところが、その斧が誤ってヨルダン川に落としてしまいました。そのために、エリシャがその斧の頭を浮かばせる奇蹟をしたのです。
  • 北イスラエルにおいて、預言者たちが増えて住むのに手狭になったことはすばらしいことです。偶像礼拝がはびこっていた国に神のことばを語るべく真の預言者たちが増えて来たのでした。ところが、住まいを広げるための準備の最中に大切に斧の頭を失ってしまったのです。当時、そうした器具はとても大切なものであったろうと思います。しかもそれが借り物であったことは、預言者たちに対して、ひいては神に対するつまずきとなるかもしれません。そうした配慮から、エリシャはこの奇蹟を行ったと考えられます。
  • 神の子であるイエス・キリストは、神(御父)の家である神殿の維持費としての税金を納める義務は本来ありませんが、イエスは宮の納入金を集める者たちがつまずかせないようにと、ペテロに命じて魚の口からスタテル銀貨1枚を取り出させて、それを納めさせました(マタイ17:27参照)。1スタテルきギリシャ貨幣で、ちょうどイエスとペテロの二人分の神殿税に当たります。

2. 来襲して来たアラム軍(略奪隊)の目をくらませてサマリヤに導いた奇蹟

  • エリシャは人の霊の目を開かせたり、目をくらませたりしています。召使に対しては「目を開いて、見えるようにしてください」(17節)と祈り、アラムの軍隊に対しては「盲目にしてください」(18節)と祈りました。するとそのようになったのです。

(1) 召使の目が開かれて見たもの

  • 神の人エリシャの召使は、アラムの王がエリシャをつかまえるために彼のいるドタンに送った馬と戦車の軍隊を見たとき、恐れと不安に陥り慌てました。そのときエリシャは、彼に「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから。」と言い、召使の目を開かれように祈りました。すると、召使の目は開かれ、なんとエリシゃを取り囲む火の馬と戦車があるのを見たのです。
  • これと似たような話があります。アッシリヤの攻撃に対して、ユダの王ヒゼキヤが民に対して語った言葉です。

【新改訳改訂第3版】Ⅱ歴代32:7~8

「7強くあれ。雄々しくあれ。アッシリヤの王に、彼とともにいるすべての大軍に、恐れをなしてはならない。おびえてはならない。彼とともにいる者よりも大いなる方が私たちとともにおられるからである。
8 彼とともにいる者は肉の腕であり、私たちとともにおられる方は、私たちの神、【主】、私たちを助け、私たちの戦いを戦ってくださる方である。」民はユダの王ヒゼキヤのことばによって奮い立った。

  • イエスも弟子たちにしばしば「恐れるな」ということを語っています。恐れと不安に対する確かな保障を人間は求めます。防衛の保障を与えてくれるものを人は神とするのです。イエスの弟子たちは真の防衛の保障を与えるのは神のみであることを教えるために、しばしば危機的な扱いをされました。ガリラヤ湖での大風と波に翻弄され、今にも沈みそうな状況の中でイエスは弟子たちに一括されます。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのはねどうしたことです」と(マルコ4:40)
  • 神に対する信仰が成長するためには、神がどのような方を知るための霊の目が開かれる必要があります。エリシャの召使の目が開かれて、エリシャの回りに天の軍勢が包囲しているのを見たように、私たちも霊の目が開かれて、「主の御使いが陣を張り、主を恐れる者(主を信じる者)を囲んで助け出して下さる」(詩篇34:7)ことを信じなければなりません。

(2) 盲目にされたアラムの軍隊の目が開かれて見たもの

  • アラムの軍隊はエリシャによって盲目にされ、サマリヤに連れて行かれました。彼らが再び目が開かれると、サマリヤの真ん中にいたのです。それは敗北を意味します。ところが、エリシャは北イスラエルの王に彼らをもてなすよう命じます。そこで王は彼らを盛大な宴を設けて歓待しました。略奪隊が、逆にもてなされたのです。
    これこそまさに「敵の頭に炭火を積む」(ローマ12:20)です。つまり、善をもって悪に打ち勝ったのです。ですから、アラムの略奪隊は二度とイスラエルの地に来なかったのです。愛の勝利であり、イエスの取った態度です。エリシャのした奇蹟、進言、行動などすべてはイエスを啓示しているのです。

2012.11.2


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