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王を求める危うさを一貫して警告するサムエル

10. 王を求める危うさを終始一貫して警告するサムエル

【聖書箇所】 12章1節~25節

はじめに

  • すでに、サウルがイスラエルにおいて王としてのそのカリスマ性を発揮し始めてから(11章)のこと、それまで最後の士師としての務めを果たして来たサムエルが王制導入に踏み込んでいく前に、王を求めるイスラエルの民たちに対して重大な警告を伝えています。

1. 王を求めたことは、主のみこころを大いにそこなった

  • サムエルは、人間の王がイスラエルに導入されることについて、終始、懐疑的でした。8章6節で彼らが「私たちをさばく王を与え下さい」と言った時、「そのことはばはサムエルの気に入らなかった」とあります。新共同訳は「サムエルの目には悪と映った」と訳しています。サムエルは終始一貫して民が自分たちの王を求めたことが悪であり、主のみこころを大いに損なうものであったとみなしています。
  • 主はそれに対して寛容的な態度を取ります。おそらく、それは、やがて御子イエスが十字架の上で「父よ、彼らはなにをしているのか分からずにいるのです。」と言ったように、人間の無知と愚かさのゆえの寛容さでした。民たちが自分で要求したことが何を意味しているのか、自分でよく分かるための神の教育的配慮による許可でした。サムエルは民のその愚かな要求が結果的に何をもたらすかをすでに見越していたのです。

2. サムエルの警告の要点

(1) イスラエルの真の王は主であるということ

  • サムエルがイスラエルの民に語った警告の要点は、第一に、イスラエルの真の王は主であるということです。イスラエルの民たちが自分たちの王を求めたその真意は、生存と防衛の保障を主なる神ではなく、人間の王にそれを求めたということを意味しています。民の生存と防衛の保障を与えることのできるのは、神なのか、それとも王なのか。この問いはいつの時代にも変わることのない神の民への問いかけです。御子イエスも「生存と防衛の保障は御父が与えて下さるゆえに、あなたがたは「神の国とその義(かかわりとしての義)を第一に求めなさい」と言われました。また、明日のための心配も無用であること、すべての必要は父が与えて下さることを信頼すべきことを語られました。

(2) 民も王も、等しく「主を恐れ」、「主に仕え」、「主の御声に聞き従う」こと

  • イスラエルの民も、そして王も、等しく「主を恐れ」て、心を尽くして、誠意を持って、「主に仕え」、「主の御声に聞き従う」こと。もしそのことを忘れ、主の命令に逆らって悪を重ねるなら、「あなたがたも、あなだかたの王も滅ぼし尽くされる」ということ。これが神の民としてのイスラエルの生きるべき道であることをサムエルは民に警告したのです。これがやがてイスラエルの歴史における王たちの在り方を問う預言者たちの基準となったのです。以後、神の民の歴史は、サムエルの警告を忘れて滅びの道へと転落していきます。人間の王を立てるというその危うさをサムエルははっきりと見抜いていたのです。
  • ちなみに、12章の特徴として「主」という名前がなんと32回も使われています。

2012.5.29


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