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王の夢を解き明かしたダニエル

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3. 王の夢を解き明かしたダニエル

【聖書箇所】 2章24節~39節

ベレーシート

  • ネブカデネザル王の見た夢をダニエルは説明し、そして解き明かしました。ダニエルによれば、「天に秘密をあらわすひとりの神」が「終わりの日に起こること」(2:28)、「後に起こること」(2:29)をバビロンの王に示されたのだと説明しています。つまりこれから起こることの預言的啓示です。現代から見るなら、すでにその預言が実現してしまったものもあれば、これから実現するものがあります。

1. ネブカデネザルの見た「ひとつの大きな像」の幻(正夢)

  • ネブカデネサル王の見た夢は、「一つの大きな像」で、その像は「巨大」で、その輝きは「常ならず」、恐ろしいものでした(2:31)。
ダニエル2章の幻.JPG

画像の説明

  • 今日において、この預言的な像における重要な部分は「一部が鉄で、一部が粘土でできた足」の部分です。鉄とどろどろの粘土が混じり交じり合っていて、その国の一部は鉄のように強く、一部は粘土のように脆い状態です。「それらは人間の種によって、互いに混じりあってるが、鉄と粘土が混じり合わないように、それらが互いに団結することはありません」と語られています。つまり、それはきわめてもろい関係を表わしています。
  • 第四の国であるローマの後には、「分裂した国」となります(41節)が、第五の国とは呼ばれていません。ある意味で連続していますが、ある意味で断絶しています。43節の「人間の種によって、互いに混じり合う」とは、この世の人間的な政治的工作、たとえば婚姻条約、さまざまな連合、同盟、融合政策などを表わしています。しかし「それらが互いに団結することはない」というのは、第一の国から第四の国のように、もはや一つの巨大な帝国が支配することはないことを示唆しています。

2. 「人手によらずに切り出された石」による永遠の御国

  • この夢はさらに続いています。

    【新改訳改訂第3版】ダニエル書2章34~35節
    34 あなたが見ておられるうちに、一つの石が人手によらずに切り出され、その像の鉄と粘土の足を打ち、これを打ち砕きました。
    35 そのとき、鉄も粘土も青銅も銀も金もみな共に砕けて、夏の麦打ち場のもみがらのようになり、風がそれを吹き払って、あとかたもなくなりました。そして、その像を打った石は大きな山となって全土に満ちました。

  • 「打つ」と訳された動詞は「マーハ―」(מָחָא)、「打ち砕く」と訳された動詞は「デカク」(דְּקַק)です。いずれもアラム語です。前者の「マーハ―」(מָחָא)は、打つ、叩く、抑える」という意味(ダニエル2:34, 35/4:32)。後者の「デカク」(דְּקַק)は、ダニエル書のみで10回使われ、「粉々に打ち砕く、砕ける、かみ砕く」と訳されています。
  • 神は、きわめて大きな力を秘めた「人手によらずに切り出された一つの石」(「エヴェン」אֶבֶן)によって、その像の鉄と粘土の足が打ち砕かれ、そのとき、鉄も粘土も青銅も銀も金もみな共に砕けて、夏の麦打ち場のもみがらのようになり、風がそれを吹き払って、あとかたもなくなりましたとあります。これは何を意味するのかといえば、異邦人の時(脚注)が終わったことを意味しています。そしてその後に、「一つの国」を打ち立てられます。その「一つの国」とは永遠に滅ぼされることのない国、永遠に立ち続ける国を意味します。その国とはメシア(キリストの再臨)によってこの地上に打ち建てられる御国です。すなわち、千年王国の統治(マルフート)を意味しています。
  • 単数で表わされる「石」(「エヴェン」אֶבֶן)は、しばしばメシアを表わす比喩として新約では解釈されています(エペソ2:20、Ⅰペテロ2:6参照)。

    (1)詩篇118篇22節
    「家を建てる者のたちの捨てた石。それが礎の石となった。」
    (2) イザヤ書28章16節
    「見よ。わたしはシオンに一つの石を礎として据える。これは、試みを経た石、堅く据えられた礎の、尊いかしら石。これを信じる者は、あわてることがない。」


3. 王の称賛を受けたダニエル

  • ネブカデネサレル王の夢とその解きあかしをしたダニエルに対して「ひれ伏し」ました。これは普通では考えられない行為です。そして、ダニエルにバビロン全州を治めさせました。

    【新改訳改訂第3版】ダニエル書

    2:48 そこで王は、ダニエルを高い位につけ、彼に多くのすばらしい贈り物を与えて、彼にバビロン全州を治めさせ、また、バビロンのすべての知者たちをつかさどる長官とした。

  • またダニエルの願いによって、王は、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴに、バビロン州の事務をつかさどらせました(しかしダニエルは王の宮廷にとどまった)。彼らは人質として捕らえられた者たちでしたが、バビロンの地において、王の信任を一身に受けて高い地位に着きくことでぎました。これはヨセフの物語ととても似通っています。


脚注

異邦人の時」とは、イスラエルの民が異邦人によって支配される時期を意味しています。「異邦人の時」はバビロンの国が台頭した時から始まっています。なぜなら、頭の部分である「バビロン」はダビデ王朝を終わらせた国だからです。視点を変えるならば、神に背を向け続けてきたイスラエルはついに神のさばきを受けて、異邦人の国の支配の下に置かれたことになります。胸と両腕の部分である「ペルシャ」もユダヤ人を支配しました。エステル記で出てくるハマンはすべてのユダヤ人を撲滅しようとする反ユダヤ主義の代表です。しかしエステル妃の仲介によりユダヤ人は危機を乗り越えました。腹とももの部分である「ギリシャ」もユダヤ人を支配しています。四つに分裂した国の一つ、セレウコス王朝のアンティオコス・エピファネスは、ユダヤ人の因習や宗教生活を一変させようとしました。そしてすねの部分の「ローマ」は鉄のような強い軍事力によってユダヤの国と神殿をことごとく破壊しました。それはA.D.70年のことです。それ以来、ユダヤ人は世界各地への離散を余儀なくされました。実はその時から歴史の時計の針は止まりました。なぜなら神の民がエルサレムからいなくなったからだと考えられます。そして再び歴史の時計の針が動き始めたのは、1948年のイスラエルの建国からです。しかし聖書によれば、やがて、足の部分(一部が鉄で、一部が粘土)である「分裂した国」からイスラエルに敵対する勢力が立ち上がります。特にその中から立ち上がる反キリストによって、ユダヤ人は大患難時代を迎えます。しかしその後で、天の神はその国を滅ぼして永遠の御国を打ち立てられます。バビロンから始まって最後の反キリストが打倒されるまでの期間、つまり異邦人によってイスラエルの民(ユダヤ人)が支配されている時代のことを「異邦人の時」と称しているのです。

ルカ21:24でイエスはこう言われました。
「人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、異邦人の時が終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。」


2013.8.10


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