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炭火を町にまき散らせ

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10. 炭火を町にまき散らせ

【聖書箇所】 10章1節~22節

ベレーシート 

  • 神の支配する世界では、私たち人間の目に見える現実とその背後にある目に見えない霊的な現実が一つに結び合っています。ですから、感謝なことに、預言者エゼキエルが見せられた霊的現実の幻を私たちが知ることによって、神がどのようにしてご自身のみこころをなしているのか、可視と不可視の世界から、現実の全貌をはじめて知ることができるのです。
  • 聖書の中には「主の使い(御使い、天の軍勢、天使)」についての言及が数多くあります。旧約では213回以上、新約では175回以上です。これほどの言及があるにもかかわらず、現代の私たちは「主の使い」についてほとんど意識していないのではないかと思います。神に仕えるために造られた御使いたちの存在とその働きについて私たちはもっと知る必要がありますが、それについて書かれた文献はきわめて少ないのです。
  • 20世紀を代表する大衆伝道者ビリー・グラハム師はその著“Angels―God’s Secret Agents,1975”(邦訳「天使―その知られざる働き」1976,いのちのことば社)の冒頭で次のように記しています。
    「私が天使について説教しようと決心したとき、私の蔵書の中には天使に関する本が一冊もないことがわかった。調べてみると、今世紀には天使に関する本が出版されていないことが明らかになったのである。」と。悪霊やオカルトや悪魔に関する本が多く出版されながら、なぜ天使についての本が出版されないのか、これは奇妙なことであり、不吉だとして、グラハム師は聖書に基づいた天使の研究に従事してきたと記しています。

1. 火によるさばき 

  • 前章(9章)では、エルサレムが武器(剣)をもった6人の御使いたちによって破壊されることが記されています。神のみこころに背いて神の忌みきらうべきことを嘆き悲しんでいる人々の額にしるしをつけるように命じられたもうひとりの御使いー「亜麻布の衣を着て、腰には書記の筆入れをつけた」者が、10章では主からケルビムの間にある炭火を両手いっぱいに満たして、それをエルサレムの町にまき散らすように命じられています。
  • 「炭火をまき散らす」ということは、火によってエルサレムの町が焼かれることを意味しています。しかしそれが実際になされるのは五年後のことです。なぜなら、エゼキエルが幻を見ている時期は第一回の捕囚から六年目の時(8:1)だからです。
  • 「火」は神の顕現や神の栄光の現われにおいてしばしば見られますが、罪に対する怒りのシンボルでもあります。聖書はいろいろな箇所で「火によるさばき」について記していますが、その最初の記述はソドムとゴモラの罪に対するさばきです(創世記19:24)。イザヤ書66章15節には次のように記されています。

    【新改訳改訂第3版】
    見よ。まことに、【主】は火の中を進んで来られる。その戦車はつむじ風のようだ。その怒りを激しく燃やし、火の炎をもって責めたてる。

まさに、「私たちの神は焼き尽くす火です。」(ヘブル12:29)

2. 神の栄光がエルサレムから去る 

  • 神と御使い、特にケルビムとの関係はきわめて密接です。なぜなら、主は「ケルビムの上に座しておられる方」(詩篇80:1)、「ケルビムの上の御座に着いておられる」(詩篇99:1)方として表現されているからです。他にも、以下のように表現されています。「ケルビムの上に座しておられる万軍の主」(Ⅱサムエル6:2)、「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神」(Ⅱ列王記19:15)、「ケルビムの上に座しておられる主」(Ⅰ歴代誌13:6)。
  • 神の幕屋(神殿)の至聖所には、契約の箱の「贖いのふた」の上の両端には二つのケルブ(ケルビム)が互いに向き合うように置かれています。そこは神の御座の台座です。従って神が移動されるときには、その台座となるケルビムも移動することになります。しかもその移動に伴い、ケルビムの翼による音は、まるで全能者の語る声のように大きく響きました。
  • エゼキエル10章には、エルサレムの神殿の中にあった神の栄光がそこからためらうようにして去ろうとしていることを記しています。「至聖所」⇒「神殿の敷居」⇒「神殿の東門」⇒「町を出た東の山の上」(オリーブ山)へ(11章23節)。つまり、主はご自身の名を置かれたエルサレムを見捨てられたことを意味します。神がエルサレムから去るのは五年後のことですが、神の栄光がためらうようにして少しずつエルサレムから去ろうとしている様子が描かれています。
  • エゼキエルも、第1章のケバル川のほとりで見た「生きもの」が「ケルビム」であることを一年後にはじめて知ったのでした。第1章との違いは、「ケルビムの四つの顔」のうち、牛の顔が「ケルブの顔」に置き換えられていることです。なぜ変わっているのか。その理由についても、また「ケルブの顔」がどのような顔なのかも謎です。

2013.5.14


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