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映画「ラストサムライ」を観て思うこと

映画「ラストサムライ」を観て思うこと


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  • 映画「ラストサムライ」(DVD)を見た。この映画は、明治維新を舞台に、失われつつあった日本の「武士道の精神」がいかなるものであったかが描かれているように思う。茶道や柔道と同様、「武士道」も日本固有の生き方や価値観を有し、サムライのライフスタイルを支えている精神的支柱―「君に忠、親に孝、自らを節すること厳しく、下位の者に仁慈を以てし、敵には憐みをかけ、私欲を忌み、公正を尊び、富貴よりも名誉を以て貴しとなす」ーである。
  • 今日の利益追求、実用主義をよしとする価値観の中で失ってしまった大切なものを思い起こし、見直すべきだというメッセージが込められているように感じた。映画「ラストサムライ」が、文字通り、「武士道精神の終焉」を告げるかどうかは、私たちがこの映画のメッセージをどう受けとめるかにかかっている。
  • 1900年頃、日本を代表する明治のキリスト者である内村鑑三と新渡戸稲造は、この「武士道」にことのほか関心を抱いている。二人とも札幌農学校(現在の北海道大学の前身)の同期で、「少年よ、大志を抱け」の名言で有名なウィリアム・S・クラーク博士のー直接ではなかったようだがー影響を受けたようだ。彼らは、後に、この日本特有の「武士道精神」こそ、日本人の倫理思想の核になっていると受けとめ、同時に、キリスト教の倫理観と相通じるものであることを主張している。
  • 聖書における最高の称号は「神のしもべ」である。「しもべ」とは「奴隷」のことである。「自分の主人に対して忠誠であること」がその条件である。ちなみに、聖書で最初にこの称号をもらったのは、「モーセ」というイスラエルの指導者である。しかも自分でいったのではなく、神から与えられた称号であった。
  • 「神のしもべ」の系譜は、やがて神の御子イエスキリストへと流れ、キリストの使徒パウロとペテロが、自分のことを「キリストのしもべ」だと告白している。この「しもべ」は強制された立場ではなく、むしろ自発的な立場である。
  • 御父からこの世に遣わされた御子イエスは、本来、神の御子であったが、その立場をあえて捨てられ、しもべの姿を取られた。それは仕えられる立場ではなく、仕える立場である。それは究極的には、私たち人間のために、ご自身のいのちを私たち人間の罪の身代わりの代価として差し出すという十字架の出来事に結晶する。この事実こそ、「しもべの精神」の土台である。そこには「武士道」を超えた、神(御父)と人への愛がその動機となっている。
  • 現代の聖人の一人とされるマザーテレサとその生涯は、まさに、イエスキリストのうちにみられる「しもべの精神」に裏打ちされている。神と人とに仕える喜び、これは神のみがなせる愛の奇蹟であると信じる。この「神のしもべ」の系譜の中に、私も生かされるひとりでありたい。

2007/04/17のBlog

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