****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

新しいエルサレム神殿 (3) 祭司たちの部屋

文字サイズ:

40. 新しいエルサレム神殿 (3) 祭司たちの部屋と神殿の敷地

【聖書箇所】 42章1節~20節

ベレーシート

  • 今から百年前には、1948年にイスラエルの国が建国されることも、また1967年の六日戦争後にエルサレムがユダヤ人の支配のもとに置かれると考える人はほとんどいませんでした。しかし今はどうでしょうか。現実にイスラエルの国は存在し、しかもそこに世界中から離散したユダヤ人たちが帰還し続けています。そして預言どおり(エゼキエル書36:34~36)、荒れた地がエデンの園のように肥沃な土地となっているのです。
  • エゼキエルが見せられた新しい神殿についても、私たちの「理解の型紙」を破る必要があります。真理に対していつもオープン・マインドである必要があります。神のことばを自分の神殿の型紙ですべてを判断するならば、聖書は説明のつかない事柄が多くあるからです。それゆえ、「悟りの知恵」が与えらるように、祈りつつ読む必要があります。そして早急に判断しないことです。神の国はいつも隠れているからです。
  • エゼキエル書42章には、内庭にある祭司たちの部屋とその用途、(1~14節)、および、神殿の敷地の寸法について(15~20節)記されています。

1. 祭司の部屋

画像の説明
  • 図のピンクの部分について説明されているのですが、なかなか理解が難しい箇所です。神殿の本殿の北側と南側には、祭司たちが使用する部屋があるようです。いずれも同じ構造になっていますが、その構造は建築家でもない限り、一般には理解不能です。
  • 祭司たちの部屋の用途についての説明を見ると

    新改訳改訂第3版 エゼキエル書42章13~14節
    13 彼は私に言った。「聖域に面している北の部屋と南の部屋は、聖なる部屋であって、【主】に近づく祭司たちが最も聖なるささげ物を食べる所である。その場所は神聖であるから、彼らはそこに最も聖なる物、すなわち穀物のささげ物、罪のためのいけにえ、罪過のためのいけにえを置く。
    14 祭司たちは聖所に入ったなら、そこから外庭に出てはならない。彼らが奉仕に用いる服は神聖だから、それを脱いで他の服に着替えてから民の所に近づかなければならない。」

  • この部屋は聖別された場所であり、以下の用途があることが分かります。
    (1) 祭司たちがささげ物を食べるー(神の食卓にあずかる場所)
    (2) ささげ物を貯蔵するー(穀物のささげ物、罪と罪過のためのいけにえのみ)
    (3) 祭司の着る服を着替えたり保管したりするー(祭司の服を着たままで外庭に出て、民と交わることができない)
  • キリスト再臨後の「千年王国」における新しい神殿において、果たして旧約のようないけにえをささげる制度が復活するのかどうか、すでにイエス・キリストが一回限りの永遠のいけにえとなって下さった事とどうこれが関係するのか、エルサレム神殿再建におけるミステリアスな部分です。ここでの語られている祭司はツァドク系の子孫たちです。ツァドクはダビデ王に対して最後まで忠誠を尽くした唯一の大祭司で、この忠誠がツァドクの子孫をして神の国の祭司としてメシアに仕える特権に与らしめることとなったと言えます。ちなみに、預言者エゼキエルはツァドクの子孫です。

2. 神殿の敷地の寸法について

  • 15節から神殿の敷地についての寸法が記されています。聖書には各方角にある壁の長さはいずれも五百さおと記されています。エセキエル40章5節には「測りざお」は6キュビトとあるので、五百さおは3,000キュビトになります。1キュビトが53.2cmmだとすると、53.2×500で、一辺が1596メートルの長さの正方形になります。神殿の敷地全体は壁で囲まれており、その目的は「聖なるものと俗なるものとを区別する」ことでした(42:20)。
  • 千年王国時代が終わると、「新しいエルサレム」と呼ばれる輝かしい永遠の「御国」が来ることをヨハネの黙示録は啓示しています。つまり、古い天地は千年王国の支配が終わると同時に消え去り、「聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのです(黙示録21:2)。その都の寸法について以下のように記されています。

    【新改訳改訂第3版】ヨハネの黙示録21章15~17節

    15 また、私と話していた者は都とその門とその城壁とを測る金の測りざおを持っていた。
    16 都は四角で、その長さと幅は同じである。彼がそのさおで都を測ると、一万二千スタディオンあった。長さも幅も高さも同じである。
    17 また、彼がその城壁を測ると、人間の尺度で百四十四ペーキュスあった。
    これが御使いの尺度でもあった。

  • この箇所には、エゼキエルのヴィジョンと共通するものが多くあります。
    (1) 都の形か正方形であること
    (2) エゼキエル書ではひとりの人の尺度となる「測りざお」がありましが、黙示録では御使いの尺度となる「金の測りざお」によって寸法が測られています。
  • ヨハネの黙示録にある「聖なる都、新しいエルサレム」のヴィジョンとエゼキエルの見た新しい神殿のヴィジョンには共通するものがあります。


2013.7.12


a:8607 t:3 y:1

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional