****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

断絶した深い淵を貫く神の愛に注視すること

41. 断絶した深い淵を貫く神の愛に注視する

  • キリスト教は十字架教です。十字架、二本の棒がクロス(交差)しています。この十字架は2千年前に実際に神の御子が十字架で処刑されるという歴史的事実がその土台にありますが、同時に、この十字架は神と人間との関係をみごとに表わしている象徴とも言えるのです。カソリックの人が祈るときに、まず頭の方から胸に、そして手を胸の左から右へ十字を切るのをご覧になられたことがあると思います。まず、縦の線を引き、それから横の線を引くのです。この順序には深い意味があると思います。
  • 横の線は、神と私たち人間との断絶を意味します。そこには越えることのできない、深い淵があります。その断絶した深い淵に、神の愛とあわれみの縦の線が貫かれていることを表わします。しかもその縦の線は横の線よりも長いのです。もし、縦の棒が横のそれよりも短かいものであったり、あるいは同じ長さであったりすると、全く意味のないものになってしまうのです。神の愛とあわれみの方が、神と人間を隔てる深い淵、断絶に橋をかけることができ、そうすることではじめて人間と神との交わりが回復されること、つまり救いが可能となることを表しているのです。
  • 十字架の秘儀(奥義)を私たちは正しく理解しなければなりません。人間を理解する上で、この十字架の秘儀を当てはめると、十字架の縦の線は神が人間に対するかかわりの面を表わし、十字架の横の線は、人間が神に対するかかわりを表わします。そこには人間存在の明暗がはっきりしています。
  • 縦の線は、神が人間に対する関わり面です。それは人間存在の「明るい面」と言えます。そこでは人間は神の似姿として造られたかけがえのない存在とする<尊厳性>が強調されます。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43章)のみことばはその代表的なものです。しかし、横の線は、人が神に対する関わり面です。それは人間存在の「暗い面」と言えます。そこでは人間の<原罪性>が強調されます。できることなら直視したくない面です。しかしこの二つの面、<尊厳性>と<原罪性>を正しく認識するところに神の救いのすばらしさを見ることができると信じます。
  • 特に、詩51篇では人間の暗い面が徹底的に強調された詩篇と言えます。

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