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政治の世界は、常に駆け引き

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38. 政治の世界は、常に駆け引きの世界

【聖書箇所】 34章1節~22節

ベレーシート 

  • エレミヤ書における説教や出来事は順序立てては記されていません。かなり順不同です。したがっていろいろな部分の情報を寄せ集めることで、はじめて全体像が見えてくる仕掛けになっています。
  • 34章以降には、これまで語られた神のことば、あるいは出来事には記されていなかった情報が記されています。
    (1) 34~36章 「エルサレムが陥落する前のこと」
    (2) 37~39章 「エルサレムの包囲と陥落」
    (3) 40~44章 「エレサレム陥落後とエジプトでの出来事」
  • ユダの最後の王であるゼデキヤに対する警告もこれまで21章、27章、32章、34章に記されていましたが、これを年代別順にすると、27章、21章、34章、32章ということになります。

1. 奴隷解放の宣言と契約締結 

  • 34章における重要な出来事は、ゼデキヤ王が主の御前において「奴隷を解放するという」契約を結び、民はその契約に同意したことでした。なにゆえに、ゼデキヤはそのようなことをしようとしたのでしょうか。またすべての民はそれに同意したのでしょうか。多分に政治的駆け引きがあったようです。
  • ゼデキヤ王はバビロンの傀儡王でしたが、反バビロンの勢力に押されるようにして治世の9年目に反旗を翻します。そのことによって、ユダの町とエルサレムはバビロンによって包囲されてしまいました。予想以上に長引く兵糧攻めに、反バビロン派の人々はゼデキヤの言葉に耳を貸すようになったようです。そのような状況の中で「奴隷解放の宣言と契約」が締結されました。その契約内容は「各自が、ヘブル人である自分の奴隷や女奴隷を自由の身にし、同胞のユダヤ人を奴隷にしない」というものです。
  • 本来、神の民はエジプトの奴隷であり、そこから解放されました。それゆえ、神の律法では同胞を奴隷として仕えさせてはならないと命じられていました。ゼデキヤがエルサレムにいる奴隷を解放することを宣言したのは、律法を守ることで神の顧みを期待したと考えられます。あるいは、奴隷を解放して戦いの兵士として雇うという理由も考えられます。いずれにしても、奴隷を解放するというは主の御前においてなされた事でした。
  • ところが、政治的状況が変わりました。エジプトのパロの軍勢が援軍として出て来たことで、バビロンの軍勢はその知らせを聞いてエルサレムから退却するという事態が起こりました。この情報も37章5節に記されています。この退却に乗じて気が緩んだのか、突然、先の契約を破棄して奴隷制の利権に舞い戻ってしまったのです。

2. ユダが「剣と疫病とききんに」見舞われることになった真の原因

  • ユダのすべての人々が主の前において、律法が命じるところを無視して、「心を翻し」「態度を変えて」しまい、再び、奴隷を連れ戻し、強制的に奴隷として使役しました。この契約違反がユダが「剣と疫病とききん」に見舞われる原因となったことを、34章は記しています。
  • ヒゼキヤによって自分たちが自ら、自発的・主体的に神の律法に従って奴隷を解放することを宣言し、契約を結んだにもかかわらず、政治的状況が変ったことでいとも簡単に「心を翻し」「態度を変えた」ことに対して、神の怒りは燃えがりました。
  • 一旦は、神の律法に従う道に「シューヴ」(復帰、180度の転換)したかのように見えましたが、さらにそれを「シューヴ」(結局、360度で元の状態に)にしてしまいました。神はこの態度に対して、バビロンの軍勢を引き返させ、町を攻め取らせて、火で焼き、そこをだれも住む者のない荒れ果てた地としたのです。すべての民のたちの自ら犯した罪によってさばきがもたらされたのです。
  • 「使役した」(16節)と訳されたヘブル語の動詞「カーヴァシュ」(כָּבַשׁ)で「踏みつける、支配する、抑える、奴隷とする」という意味です。自分たちの利権のために同胞を搾取したことが、やがて自滅を招く結果となったのです。「自滅の原理」は神の民の敵に対して適用されるだけでなく、神の民である同胞に対してなした行為に対してもこの原則が適用されることを神は示されました。


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2013.3.26


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