****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

幕屋の骨組となる立板と横木(改)


6. 幕屋の骨組となる立板と横木(改)

【聖書箇所】出エジプト26章15~30節、36章20~30節

ベレーシート

●幕屋をおおう四枚の幕についての指示の後は、幕屋の骨組みとなる立板(立枠、壁板)と横木についての指示が記されています。

【新改訳改訂第3版】出エジプト記26章15~30節
15 幕屋のために、アカシヤ材で、まっすぐに立てる板を作る。
16 板一枚の長さは十キュビト、板一枚の幅は一キュビト半。
17 板一枚ごとに、はめ込みのほぞ二つを作る。幕屋の板全部にこのようにしなければならない。
18 幕屋のために板を作る。南側に板二十枚。
19 その二十枚の板の下に銀の台座四十個を作らなければならない。一枚の板の下に、二つのほぞに二個の台座を、他の板の下にも、二つのほぞに二個の台座を作る。
20 幕屋の他の側、すなわち北側に、板二十枚。
21 銀の台座四十個。すなわち一枚の板の下に二個の台座。他の板の下にも二個の台座。
22 幕屋のうしろ、すなわち、西側に、板六枚を作らなければならない。
23 幕屋のうしろの両隅のために板二枚を作らなければならない。
24 底部では重なり合い、上部では、一つの環で一つに合うようになる。二枚とも、そのようにしなければならない。これらが両隅となる。
25 板は八枚、その銀の台座は十六個、すなわち一枚の板の下に二個の台座、他の板の下にも二個の台座となる。
26 アカシヤ材で横木を作る。すなわち、幕屋の一方の側の板のために五本、
27 幕屋の他の側の板のために横木五本、幕屋のうしろ、すなわち西側の板のために横木五本を作る。
28 板の中間にある中央横木は、端から端まで通るようにする。
29 板には金をかぶせ、横木を通す環を金で作らなければならない。横木には金をかぶせる。
30 あなたは山で示された定めのとおりに、幕屋を建てなければならない。

①「アカシヤ材」・・・・複数形の「シッティーム」(שִׁטִּים)
②「板」・・・・・・・「ケレシュ」(קֶרֶש)
③「ほぞ」・・・・・・「ヤード」(יָד)
④「銀」・・・・・・・「ケセフ」(כֶּסֶף)
⑤「台座」・・・・・・「エデン」(אֶדֶן)
⑥「横木」(かんぬき)・「ベリーアッハ」(בְּרִיחַ)
⑦「環」・・・・・・・「タバアット」(טַבַּעַת)
⑧「金」・・・・・・・「ザーハーヴ」(זָהָב)

アカシヤ.JPG

●「アカシヤ」は旧約聖書では主として材木として使用されている落葉高木で鋭いとげを持っています。とても堅牢で、永生の象徴ともされています。幕屋における木材はすべてこのアカシヤ材です。

●ユダヤのラビはアカシヤの贖罪的性質について次のように説明しています。つまり「シッティーム」(שִׁטִּים)は、以下の四つの語彙の頭文字から出来ていると説明しています。
שָלוֹֹם「シャーローム(平和)」の「שׁ」(「シン」)
טוֹבָה「トーヴァー(親切)」の「ט」(「テット」)
יְשׁוּעָה「イェシューアー(救い)」の「י」(「ヨッド」)
מְחִילָה「メヒーラー(赦し)」の「מ」(「メーム」)

●旧約聖書に出てくる「シティム」は、アカシヤが生育していた地名と考えられます(民数記25:1/33:49、ヨシュア2:1/3:1、ヨエル3:18、ミカ6:5を参照)。

●アカシヤは根が深いだけでなく、まっすぐに伸びないという性質を持っている。そのため「幕屋のために、アカシヤ材で、まっすぐに立てる板を作る。」(出26:1)という主の指示にあるように、長さ4.5mの板を作るということは大変な作業であったはずです。


1. 幕屋の中は金の立板で囲まれている

●幕屋の内部は入口の幕と聖所と至聖所を隔てる垂れ幕と天上の天幕を除けば、幕屋の中に置かれているパンの机も燭台も香壇、そして契約の箱とその上にあるケルビムもすべて「純金」でおおわれ、幕屋の立て枠となっている板も、すべて「金」でおおわれています。そうした膨大な量の「金」はどこから得たのでしょうか。それは、イスラエルの民が出エジプトの際に手に入れたようです。と言っても、「主はエジプトがこの民に好意を持つようにされたので、エジプトは彼らの願いを聞き入れた。こうして彼らはエジプトからはぎ取った」(12:36)とあるように、イスラエルの民はエジプトから銀の飾りや、金の飾りを求めたのです。新改訳は「はぎ取った」と訳していますが、原語の「ナーツァル」(נָצַל)は自分に対する当然の報酬(イスラエル人は四百年間エジプトで奴隷として仕えました)を取り戻すという意味があります。だれからかというと、イスラエルの民に対して好意を抱いたエジプト人からです。エジプトにはそうした神を恐れる異邦の義人たちがいたようです(たとえば、ヘブル人のための二人の助産婦であるシフラとプアに代表される者たちです。出1:15~22参照)。主はそうした者たち(神を恐れる人たち)によって、やがて荒野において建造される幕屋に必要なものを出エジプトの際にイスラエルの民に与えていたのです。この当然の報酬を取り戻すための働きはイスラエルの女たちの仕事であったようです(出3:22)。

●ところで、「純金」と「金」は同じ金でも質が異なっているようです。幕屋の壁や柱、契約の箱やケル香壇、パンの机や燭台、また幕屋の二つの聖なる幕を一つにする50個の留め金も「金」であり、今回取り上げている幕屋の壁板となるアカシヤ材にも、すべて金がかぶせられています。したがって、これらを合わせると実に膨大な量の「金」(「ザーハーヴ」זָהָב)が使われているのは一目瞭然です。ちなみに、幕屋で使われた金の総量は29タラント30シェケルです(出38:24)。1タラントは34kg、1シェケルが11.4gで計算すると、総量は994.322kgとなります。

●聖書の中で「純金」(「ザーハーヴ・ターホール」זָהָב טָהוֹר)という言葉が最初に使われているのは幕屋の中にある「契約の箱」に関してで、その箱をおおっているのが「純金」です。契約の箱を運ぶときに使われる担ぎ棒にも「金」がかぶせられていますが「純金」という指定はありません。「純金」と「金」とでは質が異なっているようです。「純」は「きよい」という意味の形容詞「ターホール」(טָהוֹר)で、動物や物や場所の「きよさ」を表します。ちなみに、この「きよい」の反意語は「汚れ」で、その原語は「ターメー」(טָמֵא)です。

●「金」(「ザーハーヴ」זָהָב)という語彙が聖書で最初に登場するのは創世記2章11節で、「ハビラ」という地には金があったと記されています。「ハビラ」はエデンの園から流れ出る四つの支流の一つであり、エデンの園の郊外にある地です。その地に良質(「トーヴ」טוֹב)の「金」や「宝石」が産出したとありますから、その源泉であるエデンの園にはそれ以上のすばらしい宝があったことを伺わせます。しかしその「エデンの園」も「天にあるものの影」でしかありません。したがって、幕屋の中にある調度品に被せてある純金や金といえども、「混じりけのないガラスに似た純金でできている」永遠の都(黙示録21:18)の象徴とも言えます。つまり「純金」が象徴しているのは、「神の本質の現われ」・「神の栄光の輝き」であるイェシュアなのです。

●聖所の中は自然の光が入らない場所であり、聖所の中にある燭台の光によってはじめてその中にあるものが照らされます。金をかぶせられた周囲の板も、聖所内にある光によってはじめて見ることができるのです。「私たちは、あなたの光のうちに光を見る」(詩篇36:9)とあるように、それは神の栄光の輝きは燭台(メノーラー)が灯す光によってしか認識されないことを意味します。イェシュアの神性は天の光によって初めて悟ることができるのです。その良い例がパウロでした。彼は天の光によってイェシュアがメシアであることを知ったのです、それは彼がすでに神に選ばれていたがゆえにそうされたのです(エペソ1:4)。クリスチャンである私たちもそうです。


2. 幕屋の骨組となる立板の構造の仕組み

(1) 板を立てるための銀による台座

●幕屋の板がしっかりとまっすぐに立つための様々な工夫が施されています。それらはすべて神の指示によるもので、人間によって考案されたものではありません。まずは、北側と南側にそれぞれ20枚の板を立てますが、下図に見るように、一枚の板の下に、二つのほぞに二個の台座が必要です。つまり北側だけでも40個、南側も40個、西側は板が8枚であるため、銀の台座は16個、合わせて96の台座が必要です。しかもその全重量は、少なくとも96個×34kg=3,264kgとなり、幕屋の台座だけでも大変な重さになります。幕屋が移動するということは大変な労力を要することであったはずです。ですから、幕関係と板関係を運ぶゲルション族とメラリ族にはそれぞれ車が支給されたようです。

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●板1枚(長さ10キュビト=4.56m、幅1キュビト半=68.4cm)に必要な銀の台座は2個です。

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●銀の台座一つの重さは、1タラント(34kg)です。

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(2) 立板を横に連結するための二つのほぞと五つの横木

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  • 立板を横に連結させるための二つのほぞがあり、さらにそれぞれの立板には横木を通すための金の輪が取り付けられています。外側から見える横木は4本ですが、目に見えない横木が板の中を通っています。幕屋の長さは13.68mとすれば、目に見えない中央横木は板の中の「端から端まで通るようにする」(出26:28)とありますから、とても長い棒が必要であったはずです。すべては強度を増すための構造になっています。

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(3) 幕屋のうしろ(西側)の両隅の枠

●幕屋全体をさらに補強するために幕屋のうしろ側(西側)の両隅が以下のようになっています。そこにも5本の横木が金の輪で通されていますが、目に見えない中央の横木は以下のようになっており、特別な工夫されています。

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●普通、一つの建物の全体の強度とそのまとまりは「隅のかしら石」にかかっています。幕屋ではその部分が上記のように、幕屋のうしろにある(西側)の両端の枠の部分になります。

●聖書には、メシアなる主が「隅」(「ピンナー」פִּנָּה)と関連づけられている箇所があります。

① 【新改訳改訂第3版】詩篇 118篇22節
家を建てる者たちの捨てた石。それが礎の石(=隅のかしら石)
になった。
② 【新改訳改訂第3版】イザヤ書 28章16節
だから、神である主は、こう仰せられる。「見よ。わたしはシオンに一つの石を礎として据える。これは、試みを経た石、堅く据えられた礎の、尊いかしら石(=尊い隅の石)。これを信じる者は、あわてることがない。


3. 金でおおわれた幕屋の板が象徴していること

●モーセの幕屋におけるすべての部分は、やがて神がこの世にお遣わしになる御子イェシュアを啓示しています。とすれば、今回の幕屋の金でおおわれたアカシヤ材による幕屋の立板(壁板)は、イェシュアをどのように啓示しているのでしょうか。二つのことが考えられます。一つは「神の本性の完全な現われとしてのイェシュア」と、もうひとつは「人となられたイェシュア」です。幕屋の床は地面そのものであり、御子イェシュアが完全に人となられたことを象徴しています。と同時に、その地面の上に神の栄光の輝きとして御子が金の板で組み立てられた幕屋に啓示されていると考えられます。

●ヘブル人への手紙1章と2章において、その偉大な真理が語られています。

(1) 神の栄光の完全な現われとしてのイェシュア

●幕屋の骨組みとなる板の一枚一枚、横木の一本一本、柱の一本一本にかぶせられている「金」が象徴しているのは、御子が「神の栄光の輝き」「神の本質の完全な現われ」であることを、ヘブル人への手紙は繰り返し告げています。「金」は天における神の栄光の象徴です。

【新改訳改訂第3版】ヘブル人への手紙 1章3節
御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。

●この箇所を次のように四つの項目に整理できるのではないかと思います。
① 御子は神の究極的啓示者
② 御子は万物の相続者、創造者、そして保持者
③ 御子は罪のきよめを成就し、 神の右に着座された永遠の大祭司・王
④ 御子は神の栄光の輝き、神の本質の完全な顕現者

●イェシュアは「だれも父を見た者はありません。ただ神から出た者、すなわち、この者だけが、父を見たのです。」(ヨハ 6:46 )。そして「わたしを見た者は父を見たのです」(ヨハネ14:9)と言われました。この宣言はイェシュアと神がまったく等しいという意味が含まれています。

(2) 完全な人としての性質を持たれたイェシュア

●幕屋の板は銀(「ケセフ」כֶּסֶף)でできた台座の上にしっかりとはめ込まれています。しかもその「銀の台座」一つの重さは36kgもあり、それを持ち運びするレビ人たちは大変だったことと思います。しかし、荒地の上にそのまま設置される幕屋にとっては、とても安定感を与えるものであったろうと考えられます。一枚の板の下に二つの銀の台座が地の上に置かれていたのです。なにゆえに「銀の台座」なのでしょうか。

●ところで、これらの莫大な銀はいったいどこから来たのでしょうか。「銀」は贖いの代価を象徴します。神はモーセに20~50歳までの男子を数えるように命じて、数えられた者は神に贖いの代価を払わなければなりませんでした。数えられたすべての男子は、一様に、銀半シェケルでした。その贖いの代価を払った者だけが神の民に数えられたのです。ところで、銀半シェケルという価はどれほどでしょうか。アブラハムは銀400シェケルで畑を買い、青年ヨセフは金20シェケルで売られました。イスラリオテのユダは銀30シェケルでイェシュアを売りました。ですから、神にささげる贖いの代価の銀半シェケルというのは少額と言えます。

●神が人に求めた贖いの代価はほんのわずかです。しかし、イェシュアが私たちの贖いのためにささげられ代価は計り知れません。その代価はイェシュアの傷も汚れもない小羊のような尊い血、すなわち、神の御子イェシュアのいのちそのものです。だとすれば、ほんのわずかの代価を要求されたとして、それを惜しむような心が少しでもあるならば、救われた者としてなんと恥ずべきことではないでしょうか。

●ヘブル人への手紙2章では、イェシュアは神の子どもたちを兄弟として呼ぶことを恥じとされない方として表されています。

【新改訳改訂第3版】ヘブル人への手紙2章14~15節
14 そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、
15 一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。

●御子イェシュアが「血と肉とを持たれたのは」、人と同じになることによって一体となり、その血という代価によって永遠の贖いをなすためでした。ここに金の板が地の上に置かれた「銀の台座」を必要とする必然性があったのです。御子イェシュアは永遠の贖いをとおして、今も永遠の祭司としての務めを天においてなしておられるのです。天と地をつないで永遠に一つとされる方はイェシュアただひとりです。揺るがされることのない御国の民として、王なるイェシュアを、さらに深く知る者となれるように祈りましょう。このことが、今私たちがこの世に置かれている目的であり、また、務めなのです。


2016.3.12


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