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妻に対する嫉妬に関する規定


妻に対する嫉妬に関する規定


ベレーシート

  • 民数記5章11~31節に、「妻に対する嫉妬に関する規定」「夫が妻に対して抱いた妬みについての規定」が記されています。その反対ではないことが重要です。なにゆえに、このような規定が聖書に記されているのでしょうか。

【新改訳改訂第3版】民数記5章11~31節
11 ついで【主】はモーセに告げて仰せられた。
12 「イスラエル人に告げて言え。もし人の妻が道をはずして夫に対して不信の罪を犯し、
13 男が彼女と寝て交わった(※1)が、そのことが彼女の夫の目に隠れており、彼女は身を汚したが、発見されず、
それに対する証人もなく、またその場で彼女が捕らえられもしなかった場合、
14 妻が身を汚していて、夫にねたみの心が起こって妻をねたむか、あるいは妻が身を汚していないのに、夫にねたみの心が起こって妻をねたむかする場合、(※2)
15 夫は妻を祭司の所に連れて行き、彼女のためにオオムギの粉十分の一エパをささげ物として携えて行きなさい。この上に油をそそいでも乳香を加えてもいけない。これはねたみのささげ物(「ミンハット・ケナーオート」מִנְחַת קְנָאֹת)、咎を思い出す覚えの穀物のささげ物だからである。
16 祭司は、その女を近寄らせ、【主】の前に立たせる。
17 祭司はきよい水を土の器に取り、幕屋の床にあるちりを取ってその水に入れる。
18 祭司は、【主】の前に女を立たせて、その女の髪の毛を乱れさせ、その手にねたみのささげ物である覚えの穀物のささげ物を与える。祭司の手にはのろいをもたらす苦い水がなければならない。
19 祭司は女に誓わせ、これに言う。『もしも、他の男があなたと寝たことがなく、またあなたが夫のもとにありながら道ならぬことをして汚れたことがなければ、あなたはこののろいをもたらす苦い水の害を受けないように。
20 しかしあなたが、もし夫のもとにありながら道ならぬことを行って身を汚し、夫以外の男があなたと寝たのであれば、』
21 ──そこで祭司はその女にのろいの誓いを誓わせ、これに言う──『【主】があなたのももをやせ衰えさせ(※3)、あなたの腹をふくれさせ(同※3)、あなたの民のうちにあって【主】があなたをのろいとし誓いとされるように。
22 またこののろいをもたらす水があなたのからだに入って腹をふくれさせ、ももをやせ衰えさせるように。』その女は、『アーメン、アーメン』と言う。
23 祭司はこののろいを書き物に書き、それを苦い水の中に洗い落とす。
24 こののろいをもたらす苦い水をその女に飲ませると、のろいをもたらす水が彼女の中に入って苦くなるであろう。
25 祭司は女の手からねたみのささげ物を取り、この穀物のささげ物を【主】に向かって揺り動かし、それを祭壇にささげる。
26 祭司は、その穀物のささげ物から記念の部分をひとつかみ取って、それを祭壇で焼いて煙とする。その後に、女にその水を飲ませなければならない。
27 その水を飲ませたときに、もし、その女が夫に対して不信の罪を犯して身を汚していれば、のろいをもたらす水はその女の中に入って苦くなり、その腹はふくれ、そのももはやせ衰える。その女は、その民の間でのろいとなる。
28 しかし、もし女が身を汚しておらず、きよければ、害を受けず、子を宿すようになる。
29 これがねたみの場合のおしえである。女が夫のもとにありながら道ならぬことをして身を汚したり、
30 または人にねたみの心が起こって、自分の妻をねたむ場合には、その妻を【主】の前に立たせる。そして祭司は女にこのおしえをすべて適用する。
31 夫には咎がなく、その妻がその咎を負うのである。」


※1
●交わった」-「性的関係をもった」ことを意味し、原文では名詞「横たわる、漏出」(「シェハーヴァー」שְׁכָבָה)と「種、精液」を意味する名詞「ゼラ」の熟語「シフヴァット・ゼラ」(שִכְבַת־זֶרַע)は婉曲表現で、「膣内射精」を意味します。

※2
●「ねたみの心」(=ねたみの霊「ルーアッハ・キヌアー」רוּחַ־קִנְאָה)。この「霊」を意味する「ルーアッハ」(רוּח)には暴風並みの「激しさ」を感じさせます。

※3
●「ももをやせ衰えさせ」・・「もも」(新共同訳は「腰」と訳す)は「性器の婉曲表現」で、「やせ衰えさせる」とは死産、もしくは流産を意味します。「腹」が「子宮、胎内」の婉曲的表現とすれば、「腹をふくれさせ」とは「流産・早産」を意味します。「もも」は「ヤーレーフ」(יָרֵךְ)、「腹」は「ベテン」(בֶּטֶן)。

●この箇所(11~31節)は、姦通の事実が証明できない場合、有罪か無罪かを決定する鑑定法の一例として記されているところですが、疑問に思うのは、なぜ夫のねたみだけが取り上げられているのでしょうか。一見、公平ではないように思いがちです。しかしこれには根拠があります。聖書では、「姦淫罪」や「ねたみ」の対象は妻に対して適用されています。その背景には、神と神の民の関係、夫と妻の関係がその根底にあるからだと考えられます。ホセア書のメッセージも夫のホセアと妻ゴメルの関係において、妻ゴメルが姦淫を犯したことが背景となっています。ゴメルに対するホセアの関係が神とイスラエルの型となっています。

●もし夫が、他の男性と自分の妻が怪しい関係だということを知ったり、感じたりするとき、夫にねたむ権利があるでしょうか、ないでしょうか。民数記5章が言わんとしているのは、夫だけがねたむ権利があり、それは罪ではないということが前提となっています。むしろ、ねたむことが正当なのです。神の場合も同様です。とりわけ神に属する関係(結婚関係)となった相手に対して、ねたむことは良いことであり、正当なのだということです。

●ヤコブの手紙4章5節に、「神は、私たちのうちに住まわせた御霊を、ねたむほどに慕っておられる(=深く愛しておられる)」とあります。「神が私たちのうちに住まわせた聖霊は、ねたむほどに(私たちを)慕い求めておられる」という別訳もあるようです。私としては後者の方がピンと来ますが、いずれにしても、ここは、主とのかかわりを持っているにもかかわらず、神の敵である世を愛するという、まさに貞操のない者たちに対して語られているところです。聖霊が「ねたむ」のは当然のことではないでしょうか。神のねたみはそれほどに深く相手を愛しているということです。

2016.6.17


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