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十字架を負ってゴルゴタに向かうイェシュア


17. 午前8時~午前9時 十字架を負ってゴルゴタに向かうイェシュア

【聖書箇所】
マタイの福音書27章32~44節、マルコの福音書15章21~44節
ルカの福音書23章26~33節、ヨハネの福音書19章17~24節

ベレーシート

●今回の箇所では、ローマの兵士たちがイェシュアをゴルゴタという所へ引いて行く場面において、以下のように、実に多くの出来事が描かれています。

(1) シモンというクレネ人にイェシュアの十字架を背負わせたこと。
(2) イェシュアが苦味(没薬)を混ぜたぶどう酒を飲ませられようとしたこと。
(3) 大ぜいの民衆やイェシュアを嘆き悲しむ女性たちがついて行ったこと。
(4) その女たちにイェシュアが語ったこと。
(5) イェシュアを十字架につけた場所は「ゴルゴタ」という場所。
(6) イェシュアの十字架の両サイドに二人の強盗も十字架につけられたこと。
(7) 兵士たちがくじを引いてイェシュアの上着を分けたこと。
(8) 十字架の上にはイェシュアの罪状書きが掲げられたこと。
(9) 多くの者たちからイェシュアは嘲笑を受けたこと

●ちなみに、「イェシュアを十字架につけたローマの兵士たちは何人だったのか。」「イェシュアと共に十字架につけられた強盗は二人ともイェシュアをのろったのか、否か。」という質問に正確に答えられるような緻密さをもった読み方が求められます。今回の場面を四つの福音書でよく読むならば、正確に答えられるはずです。

●ところで、これらの場面のどこに焦点を当てるかは難しい選択です。いずれもみな重要な場面だからです。しかし私はこれらの場面の中から二つのことを取り上げたいと思います。ひとつは「ゴルゴタと呼ばれる場所はどこにあったのか」「なぜゴルゴタなのか」ということ。もう一つは「イェシュアの頭上に掲げられた罪状書きの意味は何か」ということ。この二つの点に絞ってみたいと思います。

1. 「ゴルゴタ」(どくろの地)という場所はどこか

●マタイ、マルコ、そしてヨハネは、ローマ総督の官邸から「どくろの地」という場所(ヘブル語で「ゴルゴタ」)に、イェシュアが十字架を背負って行かれたことを記しています。ゴルゴタはイェシュアが世のすべての罪を背負って死なれた場所であり、その正確な場所を知ることは大きな意味があります。

(1) 「ゴルゴタ」という名称の由来と意味

●「ゴルゴタ」はヘブル語で「ゴルゴッタ―」(גָּלְגֹּתָּא)と表記されますが、そもそもこの語彙は、ヘブル語の「ひとりひとりを数える(人口調査)」という意味の「グルゴーレット」(גֻּלְגֹּלֶת)に由来します。ちなみに、この「グルゴーレット」には「頭蓋骨」と「頭蓋骨を数えること」という意味もあります。そして、このヘブル語の「グルゴーレット」がアラム語に音訳されたのが「ゴルゴタ」です。

●さて、この「ゴルゴタ」とはどんな場所なのでしょうか。「ゴルゴッター」(גָּלְגֹּתָּא)と同じ意味を持つ語彙に「ミフカード」(מִפְקָד)があります。それには「数を数えること(人口調査)」の意味の他に、「定められた場所」「一定の場所」という意味があります。聖書の中で「定められた一定の場所」とは、「罪のためのいけにえがほふられる場所のこと」を意味します。イェシュアが私たちを救うことができたのは「罪のためのいけにえの羊」としてご自身の血をささげられたからですが、そのいけにえを火で焼く場所はどこでも良いわけではありません。他のいけにえは神殿の入り口や祭壇で焼かれますが、罪のためのいけにえは、必ず、神殿の外の「定められた場所」でほふられ、焼かれなくてはなりませんでした。その場所をヘブル語で「ミフカードの祭壇」と呼びます。

  • キム・ウヒョン氏は次のように述べています(「主の道を辿って」より)。

    「私はヘロデ時代の神殿に関する資料を多く探してみました。すると、その当時は神殿からオリーブ山まで橋がかけられており、その橋の終わりにこの祭壇があることが分かりました。資料によれば、そこで「赤い雌牛(クリックすると拡大します)をほふったとあります。この場所は・・罪のためのいけにえを焼く所です」(322頁)。

(2) 「ゴルゴタ」は「オリーブ山」にある

●このことを提唱するキム・ウヒョン氏は次のように述べています。

●今も、多くのクリスチャンがイエス様の足跡を辿り、エルサレム城の西側にある「ヴィア・ドロローサ」と「聖墳墓教会」を訪ねます。そこはイエス様が十字架を背負い歩まれた道として、また、死なれたゴルゴタとして知られています。そこには全世界からイエス様の足跡を訪ねてくる巡礼者たちで溢れています。ほとんどの人が、そこがイエス様の死なれた所だと知っています。しかし私は、最近聖書を研究していた時、ゴルゴタはそこではないことに気づきました。もちろん、プロテスタントの有識者たちはカトリックの聖地であるその場所ではなく、「園の墓」という所を重視します。どくろのような形をした小さな山で古代の墓が発掘されたのだと思っているようですが、そこもイエス様が死なれた場所ではありません。

●結論から言うなら、「ゴルゴタ」は「オリーブ山」にあります。これは私にとって非常に衝撃的なことでした。イスラエルに来て撮影をし、祈りながら聖書を研究する中で、聖霊様がそのことに気づかせて下さいました。二千年近く、誰もがそのように思ってきた場所を否定することは簡単なことではありませんが、重要なのは「伝統」ではなく、「神様のみことば」です。私たちにはこの態度が最も重要なのです。聖書は明らかにゴルゴタがオリーブ山だと教えている、と私は信じます。ゴルゴタは私たちの主イエス様が世の罪を背負い死なれた場所であり、その正確な位置を知ることは大変大きな意味があります。

●まず知らなくてはならない情報は、現在知られている「聖墳墓教会」は、ローマカトリックを生んだコンスタンティヌスが夢でイエス様が死なれた場所として啓示を受けたということです。それで、彼の母ヘレナがその場所に教会を建て、現在まで続いてきているのです。彼は当時エルサレムの多くの信仰者の反対にもかかわらず、自分の啓示に従って「ヴィーナス神殿跡」に聖墳墓教会を建てたのです。また、十字架を負って行かれた道とされる「ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)」も、十字軍の戦争以後に聖地巡礼者のために造られたコースです。私たちは何ら疑うことなく、それをそのまま信じています。しかし、たとえコンスタンティヌスが自分なりの啓示を受けたとしても、このようなことは聖書的な根拠を度外視したものです。特に、彼とヘレナが自分たちなりの情熱で現在の聖地と呼ばれる場所を、伝承を参照にして定めましたが、聖書に反する多くの問題があります。(以上「主の道を辿って」319~320頁)

●必ず、ゴルゴタは東側の宿営の外でなければならず、そこは神殿から必ず「二千キュビト」(約九百メートル)以上離れた場所でなくてはなりません。当時、十字架刑を受ける極悪人を城の中で処刑することはできませんでした。必ず「宿営の外」で刑が執行されました。私はその距離を、インターネットの衛星プログラムを通して測ってみました。現在の聖墳墓教会は、西側の方向にあるという問題もありますが、神殿の裏から二百メートルも離れていません。「園の墓」も同様です。東側の方向へ二千キュビトを測ってみると、正確に「オリーブ山頂上」の付近でした。私は戦慄を覚えるほど驚きました(331頁)。

●オリーブ山で死んだ「赤い雌牛」のように、イエス様もご自身の血を注ぎ、私たちを完全に贖って下さいました。資料によれば、このオリーブ山の頂上の祭壇で、イスラエルの罪を贖う雌牛の頭を神殿の東の門に向けさせ、ほふり、血を流した、とあります。これは、正確に贖罪についての規定に従ったものです。

「祭司エルアザルは指でその血を取り、会見の天幕の正面に向かってこの血を七たび振りかけよ。その雌牛は彼の目の前で焼け。その皮、肉、血をその汚物とともに焼かなければならない」(民数記19:4~5)。

●オリーブ山の「定められた場所(ミフカードの祭壇)」でほふった雌牛の血を、反対側の神殿に向け、七たび振りかけ、いけにえをそこで焼きました。神殿時代に、この位置はまさにオリーブ山であり、そこでイエス様が正確に死なれたことを証します。」(以上、336~337頁)

画像の説明

●ドキュメンタリー監督として実際にエルサレムを訪れ、そこに残されている多くの資料を直に見て検証されたキム・ウヒョン氏の言葉には、信憑性があると言わざるを得ません。


2. イェシュアの十字架の上に掲げられた「罪状書き」が示すこと

画像の説明

●イェシュアの十字架の上にはピラトによる罪状書きが掲げられました。マタイはこの罪状書きを「これはユダヤ人の王イエスである」(27:37)と記し、マルコは「ユダヤ人の王」(15:26)と記しています。しかしヨハネだけは「ユダヤ人の王ナザレ人イエス」(19:19)と記しています。ルカはこの罪状書きについては全く触れていませんが、使徒の働きで「ナザレのイエス」(יֵשׁוּעַ מִנָּצְרַת)の名を多用しています。またマタイによれば、その罪状書きはヘブル語、ラテン語、ギリシア語で書かれていたことを報告しています。ユダヤ人、ローマ人、そして異邦人に対して掲げられたと言えます。

●ところで、ヨハネの記した「ナザレ人イエス」とは、前にもこの主の受難24、No.9で取り上げたように、特別な意味を持っています。つまり、「ユダヤ人の王 ナザレ人イエス」とは、「御国におけるメシアとしてのイェシュア」、「ユダヤ人に約束された王であるメシアとしてのイェシュア」を意味するのです。ピラトはなぜ、一見すると罪状書きとは思えない、しかもピラトが正しく理解していない内容について、完璧な表現で書かせたのでしょうか。おそらくそれは祭司長たちに対する体面や意地を動機としたものと言えます。その証拠に、「自称・・」と書いてほしいという祭司長たちが頼みに対して、ピラトは「私が書いたことは、私が書いたのです」(ヨハネ19:22)と言って彼らの要求を一蹴しています。これは「この総督である私がしたことについてとやかく言うな」といったニュアンスです。しかし、こうした背景の裏に神の摂理が働いているように思われます。

●ところで、この罪状書きである「ユダヤ人の王 ナザレ人イエス」とは実は大変な宣言なのです。イェシュアが復活したその50日目に、聖霊に満たされた弟子たちが福音を証ししていく時にこの「ナザレ人イエス」の名が用いられているからです。この名称は以下のように、ルカ文書である「使徒の働き」に多く見られます。

(1) 【新改訳改訂第3版】使徒の働き 3章6節
すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」と言って、

(2) 【新改訳改訂第3版】使徒の働き 4章10節
皆さんも、またイスラエルのすべての人々も、よく知ってください。この人が直って、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのです。

(3) 【新改訳改訂第3版】使徒の働き 10章38節
それは、ナザレのイエスのことです。神はこの方に聖霊と力を注がれました。このイエスは、神がともにおられたので、巡り歩いて良いわざをなし、また悪魔に制せられているすべての者をいやされました。

(4) 【新改訳改訂第3版】使徒の働き 22章8節
そこで私(パウロ) が答えて、『主よ。あなたはどなたですか』と言うと、その方は、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスだ』と言われました。

(5) 【新改訳改訂第3版】使徒の働き 26章9節
以前は、私自身も、ナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきだと考えていました。


2015.3.27


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