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信仰による選択

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2. 信仰による選択

【聖書箇所】創世記 13章1~18節

はじめに

  • 旧約聖書の創世記の中からアブラハムという人物を取り上げて、信仰によって生きるとはどういうことかをともに学び始めました。アブラハムは今から約四千年前の人です。それでありながら、すべての時代、すべての信仰者の生き方に大きな指針を与えてくれるような生涯をすごしました。彼も私たちと同じようにさまざまな欠点や弱さを持ち、しばしば悩み、迷い、疑い、絶望に陥ることがありました。しかし、それでも私たちの倣うべき模範と仰がれるような偉大な信仰を彼の中に見ることができるのです。
  • 新約聖書のヘブル人への手紙11章には、「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」と記されています。私たちが神の御前でどれほどきよくて、どれだけのことができて、これこれのことをしたということはそれほど重要なことではありません。むしろ、私たちが神の御前に立つ時に大切なことは、信仰によって生きるということなのです。信仰とは神への絶対的な信頼と言えます。それを神は何よりもお喜びになるからです。
  • 前回は、アブラムが神から与えられた約束を信仰によって受け取り、それによって新しい旅立ちをしたことを学びました。今回は、彼がある問題にぶつかったときに、何を基準にして、どのように判断し、選択し、解決したのかを見て行きたいと思います。ある人が「問題があるということ自体が問題なのではなくて、その問題をどのように解決するかが問題なのだ」ということを言っていましたが、その場合、「信仰(によって)」ということがどのようにかかわってくるのかを見たいと思います。まず、その前に、アブラムがここでどのような問題にぶつかったのか、その辺りから見ていくことにしましょう。

1. 豊かさゆえのトラブル

  • アブラムがぶつかったひとつの問題(トラブル)とは、7節に示されているように、「アブラムの家畜の牧者たちとロト(アブラムの甥)の家畜の牧者たちとの間に起こった争い」でした。そのような問題が生じた背景、あるいは理由を考えてみると、それは「豊かさ」ゆえに起こった問題であるということです。
  • アブラムがエジプトに下った時とは異なり、今度は多くの財産(動産)、金や銀を所有するようになっていました。というのも、それはエジプトのパロから贈られたものであったからです。アブラムと同行していた甥のロトも同様でした。しかしそのことがもとで一つの問題が生じました。6節には次のように記されています。「その地(=ベテルで、カナンで最初に天幕を張った場所)は彼らがいっしょに住むのに十分ではなかった。彼らの持ち物が多すぎたので、彼らがいっしょに住むことができなかったのである。」と。おそらく、ごく限られた牧草地をめぐっての争いが起こってしまったのです。羊や牛の群れの草を確保するために、お互いの牧者たちが自分の権利を主張して争うようになったのです。
  • 貧しい時には、お互いに助け合っていたのに、互いに豊かになっていくにつれて争いが引き起こされるのは世の常ですが、アブラムとロトの場合もそうであったのです。今日においても、多くの遺産をめぐって、それまで仲良くしていた兄弟とか親族の間で骨肉争いが繰り広げられることは珍しいことではありません。アブラムの甥であるロトはいつもアブラムといっしょにいたおかげで主の祝福に与ることができましたが、ロトが自分なりの財産を築きはじめたとき、高慢になってしまい、伯父のゆえに今の自分があるということを忘れて、あたかも自分の力で自分の財を築き上げたかのように思い込んだのではないかと思います。
  • いずれにしても、その問題はそのまま放置しておくことができない段階まで進んでいたと思われます。というのも、この問題は単なる両者間の争いということだけではありません。7節後半を見ると、「またそのころ、その地にはカナン人とペリジ人が住んでいた。」とあります。カナン人、ペリジ人と言えば異邦人であり、神を知らない人々です。ですから、人々の前に主の民が争うならば、防衛の面において脆弱になるだけでなく、彼らを支えている神の御名を汚して物笑いの種となること間違いありません。それは神を知らない人々に大きなつまずきを与えてしまうことになりかねません。あるいは、周囲の民に対して「漁夫の利」を与えかねません。こうした問題にぶつかったアブラムはどのように対処したのでしょうか。そのことが今回の箇所を通して学ばなければならないことなのです。

2. 信仰の知恵によるひとつの提案

  • 争いというこの煩わしい緊張状態を脱するために、アブラムはロトとの話し合いで次のように提案しました。9節がそれです。

【新改訳改訂第3版】創世記 13章8~9節
8 そこで、アブラムはロトに言った。「どうか私とあなたとの間、また私の牧者たちとあなたの牧者たちとの間に、争いがないようにしてくれ。私たちは、親類同士なのだから。9 全地はあなたの前にあるではないか。私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう。」


  • このアブラムの提案は非常に謙遜です。本来ならば、アブラムはロトの伯父であり、年配者なのですから、当然選択の優先権を持っていて然るべきです。ところが、アブラムはこの当然の選択権を捨てて、甥のロトに与えました。アブラムはなぜそのようなことができたのでしょうか。ここが今回のポイントです。アブラムは自分の行くべき道を人間的な判断や計算によってではなく、信仰によって判断し行動しようとしたのです。神のなさることは最善だと信じて、神の御手にゆだねたのです。それが選択権をロトに与えるという形で表したのです。ここに信仰的判断の分かれ目があります。
  • 10節と14節に「目を上げて」というフレーズがあります。同じフレーズでもここには大きな違いがあります。

(1) 10~11節
「ロトが目を上げてヨルダンの低地全体を見渡すと、【主】がソドムとゴモラを滅ぼされる以前であったので、その地はツォアルのほうに至るまで、【主】の園のように、またエジプトの地のように、どこもよく潤っていた。それで、ロトはそのヨルダンの低地全体を選び取り、その後、東のほうに移動した。」

(2) 14~17節
14 ロトがアブラムと別れて後、【主】はアブラムに仰せられた。「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。
15 わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。
16 わたしは、あなたの子孫を地のちりのようにならせる。もし人が地のちりを数えることができれば、あなたの子孫をも数えることができよう。
17 立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。」

  • アブラムとロトとはその選択において非常に対照的です。ロトは自分の利益を求めて良い地を見渡しました。つまり、目に見えるもので判断したのです。ロトはアブラムの提案に対して、何ら遠慮することなく、自分の利益を中心に行動しました。彼が選択した土地は目には繁栄を誇っている地でしたが、そこには大きな問題があったのです。13節には「ソドムの人々はよこしまな者で、主に対しては非常な罪人であった」と記されています。つまり、道徳的に非常に堕落した町であったのです。ロトがそこに行って何の影響も受けないということはあり得ません。19章ではロトがソドムの町でそれなりの力と地位を得るようになったことが分かります。ロトは妻をその町で得たと考えられます。
  • 私たち一人ひとりの歩みにおいても、いつも選択が迫られます。選択の自由が与えられています。しかし私たちが何を基準にして選択するかが問題です。ある人はロトのように、目に見える部分のみで判断して選択するでしょう。あるいは人がどう思うかという基準(世間体もその一つ)で選択するということもあるかもしれません。しかし目に見えるものだけに心を奪われるならば、神の祝福を受け損ねる可能性も大きいことを聖書は教えているように思います。
  • ロトは目に見えるものでしか判断できない人でした。反面、アブラムは目に見えるものではなく、信仰によって判断した人でした。それは、自分を召し出した神の視点から、神のご計画というまだ目に見えないものによってです。言うなれば、彼は神に選ばせたと言えます。一見、それは人の目には貧乏くじを引いたかのように思えるかもしれません。しかし、アブラムはより確かな永遠につながるものを神からいただいたのです。以下の15節と17節にあるアブラムに対する神の約束(「土地の賦与」)をしっかりと心に留め置きましょう。

15節
わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、
永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。

17節
立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。
わたしがあなたに、その地を与えるのだから。


2017.6.6


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