伴われます。
詩篇23篇の瞑想の目次
瞑想(5)「私を伴われる」(v.2b-2)
- 「私を伴われる」と訳された「イェナハレーニー」(יְנַהֲלֵנִי)は、「ナーハル」(נָהַל)の3人称単数未完了形です。「導く」「伴う」 to lead, to guide, to escort, to help along ―といった意味で、寄り添いながら、優しく導くイメージです。決して強制的な、急かすような導きではなく、紳士的なエスコートです。新約的に言うならば、聖霊の導きと言っても良いかも知れません。私たちを主とのより親しいかかわりの中に導かれる聖霊の働きです。私たちのそばに寄り添いながら、優しく導かれます。
- 「ナーハル」(נָהַל)は旧約で10回、詩篇では23篇2節と31篇3節の2回のみです。
【新改訳改訂第3版】
出 15:13
あなたが贖われたこの民を、あなたは恵みをもって導き、御力をもって、聖なる御住まいに伴われた。(ここでの「導く」は「ナーハー」נָחָהの完了形。詩篇23篇3節の「導かれます」で使われています。)Ⅱ歴代 32:22
こうして、【主】は、アッシリヤの王セナケリブの手、および、すべての者の手から、ヒゼキヤとエルサレムの住民とを救い、四方から彼らを守り導かれた。イザヤ 40:11
主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、ふところに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。イザヤ 49:10
彼らは飢えず、渇かず、熱も太陽も彼らを打たない。彼らをあわれむ者が彼らを導き、水のわく所に連れて行くからだ。
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