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乱立する北イスラエルの王朝

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列王記の目次

37. 乱立する北イスラエルの王朝

【聖書箇所】 15章1節~38節

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はじめに

  • 15章には、北イスラエル王国のエフー王朝最後の王ゼカリヤから、サマリヤ陥落時の王ホセアまでの王の名前が記されています。北イスラエルにおける王朝は暗殺によって次々と塗り替えられていきます。

1. 北イスラエルの末期症状

  • 当時の北イスラエルでは末期症状があらわれ始めています。ヤロブアムⅡ世の死後、その子ゼカリヤはわずかに在位六か月でクーデターによって暗殺され、その首謀者として王位を奪ったシャルムは一か月で暗殺されてメナヘムが王位を奪いました。メナヘムの在位10年後には、その子ペカフヤが王位を継ぎますが、これもわずか2年で暗殺され、レマルヤの子ペカが王位を奪います(列王記下15:8~27)。
  • このペカの20年間の治世がまさに激動時代であり、年ごとに強まるアッシリヤの脅威に悩まされます。周辺諸国(アラムの王レツィン、イスラエルの王ペカ)は反アッシリや軍事同盟を結びますが、ユダ王国はこの同盟の危うさを見抜いて同盟に加わろうとはしませんでした。

2. イザヤの「インマヌエル預言」の背景

  • アラムのレツィンとイスラエルのペカとは共謀してユダ攻略を企てます。この戦いの目的はユダを従属させて、ユダの王をすり替えて属国政権を樹立することにありました(イザヤ7:6)。
  • イザヤの「インマヌエル預言」の背景についてイザヤ書7章から見てみます。そもそも「インマヌエル」という呼び名は、イザヤ書7章にあるように、当時のユダの王アハズに語られたもので、神は信頼に足るお方であることを、神みずからあかしするひとつのしるしとして付けられた呼び名です。この呼び名は「神は私たちとともにおられる」という意味ですが、それは本来、状態を意味するのではなく、「神性と人性が共にある存在」という意味です。神と人とが一つになったユニークな存在で、その存在の神からの「しるし(サイン)」は「処女から産まれる男の子」でした。
  • 「インマヌエル」の預言がなされた歴史的背景を知るならば、この名前の意味がより深く理解できます。イエス誕生の約700年前、アッシリアが一躍世界の大国となったとき、それは中東の地域に大きな脅威をもたらしました。隣接するアラムは北イスラエル王国と反アッシリア同盟を結び、ユダの王アハズにも同盟を呼びかけました。しかしユダ王国のアハズ王はその呼びかけを断ります。そのために反アッシリア同盟軍が押し寄せて来るという情報が伝えられたときの状況が、「王の心も民の心も、林の木々が風で揺らぐように動揺した」(イザヤ7:2)と記されています。L.B訳ではこの箇所を「王も民も震え上がり、暴風にゆさぶられる木々のようにおののきました」と恐れの強度を最大限に訳しています。
  • そこで主は預言者イザヤを遣わし、アハズに「気をつけて、静かにしていなさい。恐れてはなりません。・・心を弱らせてはなりません」と語り、同盟軍の滅亡を告げます。そして、アハズが静けさへの招きに答えることができるようにと神は次のように提案しました。「あなたの神、主から、しるしを求めよ。よみの深み、あるいは、上の高いところから。」(7:11)と。このフレーズの後半のことば「よみの深み、あるいは、上の高いところから」の意味は、どこであれ、どんなしるしであれ、それを行なうと請け負う神の決意を表しています。「よみ」とはここではアッシリアやエジプトを表わす隠喩、それゆえ7:11のことばは、強国アッシリアやエジプトのような人間的な力に信頼するか、それとも高い天に住む神に信頼するか、その選択の決断を迫るものでした。
  • ところがこれに対して、アハズは「私は求めません。主を試みません。」と答えます。一見これは信仰深い人の反応のように見えます。しかしそれを聞いた預言者イザヤは、「さあ、聞け。ダビデの家よ。あなたがたは、人々を煩わすのは小さなこととし、私の神までも煩わすのか。」とアハズを非難しています。アハズがしるしを求めない真意は、すでに彼がアッシリアの軍事力に依存して、危機を乗り越えようと決意していたからでした。これは神をないがしろにする行為だったことは言うまでもありません。
  • 預言者イザヤがアハズに語ったことは、神を絶対的に信頼せよということでした。アハズは神が支配する国の王であったにもかかわらず、危機的な状況において、神を信頼する事ができませんでした。王が信頼できなければ、その民も信頼できなくなります。王の心も民の心も「林の木々が風で揺らぐように動揺した」のは、人間の根源的なニーズである防衛の保障において神を信頼する事ができなかったゆえです。
  • 信頼すべき確かなしるしとして神自ら与えるしるし、これこそ7章14節の「インマヌエル預言」です。この預言は、人間の深いところにある生存と防衛を脅かす「恐れ」から解放する神の永遠の保障のしるしなのです。
  • 神の忠告は「信じなければ、あなたがたは確かにされない」ということでした。つまり、「神のことばに立って自分を確かにしなければ、確かにされない」という意味です。アハズに求められた「静けさ」は人間が作り出せる落ち着きではなく、神からくる「静けさ」です。
  • ちなみに、B.C.701年にもアッシリアの王セナケリブによるエルサレムの包囲がありました。そのときにもイザヤは「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)と語っています。神のことばに立ち帰り、安らぎに入るなら、救いが現実となり、人間の思いや計算に立たずに、神に静かに信頼するとき、事態を乗り越える力が与えられることを意味しています。このようなイザヤが説く「静けさ」は信頼がもたらす神からの力なのです。

2012.11.27


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