主の独白が意味すること
2. 創世記Ⅰの目次
7. 主の独白が意味すること
【聖書箇所】創世記8章21節
はじめに
- 「聖書を横に読む」という読み方は、聖書の1, 2章を虫眼鏡で見て読んでいくことではありません。少し、目を話してより広い視野から読み解くことです。たとえば、ノアとその時代に起った大洪水の出来事を、創世記の本論である「アブラハムの選び」とどのような関連があるのかという視点で見ると「目からうろこ」を経験します。以下は、その「目からうころ」の説明です。
1. 主の独白
- 創世記8章21節には「主の独白」が記されています。つまり、主が自分の心に向かって誓ったことばです。
【新改訳改訂第3版】
【主】は、そのなだめのかおりをかがれ、【主】は心の中でこう仰せられた。「わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。わたしは、決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。」
- そして、主が心で独白したことをノアに対して契約として語っています。「すべての肉なるものは、もはや大洪水では断ち切られない。もはや大洪水が地を滅ぼすようなことはない。」(9:11)と。ところがこれは主が心に中で語った一部分です。再び、大洪水によってすべての生き物を打ち滅ぼしたりはしないというその本当の原因をノアには語っていません。なぜでしょう。
- 神のみこころを知り尽くされている聖霊が、6章5~7節でもやはり主の独白を記しています。
6:5【主】は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。
6:6 それで【主】は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。
6:7 そして【主】は仰せられた。「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを残念に思うからだ。」
- 人々が悪に傾き、暴虐で満ちているゆえに彼らと地に住むすべてのものを滅ぼすことを語っていますが、主が人を造ったことを悔やみ、心を痛められた心の内はノアには伝えられていません。なぜでしょう。
2. 神ご自身の課題
- 私が思うに、「人が人の心の思い計ることは、はじめから悪である」という事実は神の救いの課題だからです。その悪のゆえに人を滅ぼしたとしても、本来、神が創造の冠として人間を創造された目的は矯正することはできません。ノアとその家族は救われましたが、神はその家族の中に悪の根があるのをすでにご存知だったのです。神の救いの歴史とはまさにこの問題を神の課題として取り組まれる歴史なのです。そのために神は、一人の人物アブラハムをお選びになり、彼をとおしてすべての者が神の祝福を得ることができる道を備えられたのです。
- 所詮、悪に傾く人間をどのように再創造するのか、どのように神がこの課題と取り組まれるのか。そのヒントは、創世記6章8節にあると信じます。そこには「ノアは主の心にかなっていた。」とあります。
- ここの箇所をヘブル語原典で逐語的に訳すと、
「ノアは、見出した、恵み(好意)を、目の中に、主の」となります。つまり、「ノアは主のまなざしの中に恵み(好意)を見出した」のです。それが「主の心にかなった」と訳されているのです。このことが重要です。ちなみに、「心にかなっていた」のヘブル語は「ヘーン」(חֵן)です。
- 人は律法的な脅しによって変えられることはありません。ただ神の恵み、神の一方的な気前良さ、神の好意、神の恩寵だけが人を作り変え得るのです。それが神の課題です。神はアブラハムを選び出し、神のまなざしの中に神の恵みと真実を見出させるために、つまり、神はアブラハムが神の約束をどこまでも信じていく「信仰のモデル」となるように育てていかれました。なぜなら、神の恵みは信仰という通路を通して注がれていくからです。
- 聖書は、ノアという人物の中に、アブラハムにつながるものがあることを示唆しているのです。
2011.8.20
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