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ユダの最後の王ゼデキヤ

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60. ユダの最後の王ゼデキヤ

【聖書箇所】Ⅱ歴代誌 36章1節~23節

ベレーシート

  • ヨシヤ王が死んだ後に四人の王が登場します。エジプトとバビロンという強国の狭間で、ただ揺れ動いて、やがては沈没していく運命のユダ王国。ユダ王国とは名ばかりで、エジプトとバビロンがそれぞれ、ユダに傀儡王を立てて支配した時代でした。ヨシヤ王の死後のユダ王国は神の王国とは程遠いものとなっていったのでした。

1. ヨシヤ王以後のユダの王

(1) エホアハズ(三か月間)
ヨシヤ王の死後、ユダの民たちが立てた王でしたが、三か月後にエジプトは彼を捕えて幽閉し、やがてエジプトへ連れて行かれました。


(2) エホヤキム(十一年間)
エホヤキムはエジプトの傀儡王として擁立された王です。エジプトのパロ・ネコが多くの科料(罰金)を要求したため、エホヤキムはそのつけを民に課して重税と課しました。しかしそのことは、歴代誌では触れられていません。エホヤキムの治世についての情報はエレミヤ書が詳しく伝えています。特に、そこではエホヤキムが預言者の口から語られた神のことばを完全に無視した者として描かれています(エレミヤ36:9~26節参照)。歴代誌にのみの情報として記されているのは、エホヤキムがネブカデネザルによって青銅の足かせにつながれ、バビロンに引いて行かれたことです(Ⅱ歴代誌36:6)。と同時に、主の宮の器具がバビロンに持ち去られていることが記されています。これは礼拝を重視する歴代誌において、重要な点であり、次のエホヤキンとゼデキヤの治世においてもそのことが触れられています。


(3) エホヤキン(三か月と十日)
エホヤキンが王位についたとき、ただちに行動を取ってエルサレムを攻め、わずか三カ月で降伏させました。そしてエホヤキンとその家族、そして有能な者たち1万人がバビロンに連行されました。これが第一回目の捕囚(BC.597)です。


(4) ゼデキヤ(十一年間)
ゼデキヤはバビロンの傀儡王として擁立されますが、その治世九年目に彼がバビロンに反逆したことによりエルサレムは包囲され、その二年半後に籠城による飢饉状態はその極みに至り、城壁の一部が破られた事で王がエルサレムから逃亡し、多くの戦士も逃亡したことでエルサレムは陥落。多くの者が殺され、また多くの者が捕囚の身となりました。これが第二回目の捕囚(BC.587)です。


2. ユダ王国の最後の王「ゼデキヤ」の名前が意味すること

  • 「ゼデキヤ」と表記される名前は、正確には「ツィドゥキッヤーフー」(צִדְקִיָּהוּ)、あるいは「ツィドゥキッヤー」(צִדְקִיָּה)です。「主は正しい」という意味です。かつて、イスラエルの民が士師であり預言者でもあったサムエルの所に来て、「ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。」と懇願しました。預言者サムエルはそのことばが気に入りませんでした。しかしそのとき主はサムエルに言われました。「この民があなたに言うとおりに、民の声を聞き入れよ。それはあなたを退けたのではなく、彼らを治めているわたしを退けたのであるから。」と。サムエルは民の要求に答えて、厳しく警告を与えながら、イスラエルの王制の理念を文書化しました。しかし、主の言われた事、すなわち、「彼らを治めているわたしを退けた」という主の見解は「正しかった」のです。
  • ユダの王制の最初の王の名前は「サウル」でした。この名前は「神を尋ね求める者」という意味がありましたが、彼は神を退けために、王として退けられました。イスラエルの最後の王の名前も「ゼデキヤ」であったことは何とも皮肉なことです。イスラエルの王の中にはすばらい王もいましたが、結果的には民が願った王によって、国が滅びたと言えるのです。「主は正しかった」のです。「神が王である」という信仰こそ、神の民の根幹になければならないものです。


2014.4.26


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