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ヤコブの家は全く根絶やしにはされない

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9. ヤコブの家は全く根絶やしにはされない

【聖書箇所】アモス書9章1~10節

ベレーシート

  • アモスの見た最後の幻(第五の幻)は、「祭壇のかたわらに立っておられる主」です。その主の目が「罪を犯した王国」(北イスラエルのこと)に向けられ、これを地の面から「根絶やしにする」と宣言しながら、しかし「根絶やしにはしない」という一見矛盾したことを宣べています(8節)。前者の「根絶やしにする」は「シャーマド」(שָׁמַד)で預言的完了形です。つまり、必ずそうなるということを意味します。
  • 面白いことですが、ヘブル語で「守る」という動詞は「シャーマル」(שָׁמַר)ですが、その反対の意味を持つ「滅ぼす」は「シャーマド」(שָׁמַד)です。「レーシュ」(ר)と「ダーレット」(ד)の文字のデザインがとても似ています。角があるかないかの違いですが、ヘブル語ではこのように一点一画を大切にしないと、大変なことになってまいます。

1. のがれの道は全くないにもかかわらず

  • アモス書9章1~4節には、神のさばきからのがれる道が全くないことをいろいろな表現で語っています。ところが、当時のイスラエルの民たちは、「わざわいは私たちに近づかない。私たちまでは及ばない」と決めてかかってどこまでも楽観的に考えているのです。それゆえ主なる神は、「地を揺らす」ことをされるのです。

2. 地震による神のさばき

  • 天変地異という言葉があるように、「地が揺れる(地震)」ときには、地のみならず、自然の様々なことが連動します。津波を引き起こし、火山が噴火し、人間が造り出した様々なシステムが破壊され、文明の機能不全が起こります。天において様々な異変が引き起こされ、それがまた地における災害をもたらします。
  • 聖書においては、神のさばきが地震と密接な関係があることを教えています。たとえば、以下の記述の中にも「地震」とそれに連動する自然の異変が記されています。

【新改訳改訂第3版】ヨハネの黙示録6章12~17節
12 私は見た。小羊が第六の封印を解いたとき、大きな地震が起こった。そして、太陽は毛の荒布のように黒くなり、月の全面が血のようになった。
13 そして天の星が地上に落ちた。それは、いちじくが、大風に揺られて、青い実を振り落とすようであった。
14 天は、巻き物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山や島がその場所から移された。
15 地上の王、高官、千人隊長、金持ち、勇者、あらゆる奴隷と自由人が、ほら穴と山の岩間に隠れ、
16 山や岩に向かってこう言った。「私たちの上に倒れかかって、御座にある方の御顔と小羊の怒りとから、私たちをかくまってくれ。
17 御怒りの大いなる日が来たのだ。だれがそれに耐えられよう。」


【新改訳改訂第3版】ヨハネの黙示録16章17~21節
17 第七の御使いが鉢を空中にぶちまけた。すると、大きな声が御座を出て、聖所の中から出て来て、「事は成就した」と言った。
18 すると、いなずまと声と雷鳴があり、大きな地震があった。この地震は人間が地上に住んで以来、かつてなかったほどのもので、それほどに大きな、強い地震であった。

  • 聖書の中で「地震」ということばが最後に出てくるのは、黙示録16章18節です。それは第七の御使いが鉢を空中にぶちまけたときに起こる地震です。おそらく地球史上最大の地殻変動が起こります。その破壊力はこれまでに起こった大地震の規模をはるかに超越するものです。人間が地上に住んで以来、かつてなかったほどの想像を越えた強い地震が起こることが預言されているのです。

3. 天変地異の中でも、主の御名を呼ぶ者は、みな救われる

  • アモス書9章8節にある主のことばをもう一度注目しましょう。「見よ。神である主の目が、罪を犯した王国に向けられている。わたしはこれを地の面から根絶やしにする。しかし、わたしはヤコブの家を、全く根絶やしにはしない。―主の御告げー」
  • しかし、わたしはヤコブの家を、全く根絶やしにはしない。」この約束が実現するためには、聖霊の注ぎが不可欠です。つまり第二の聖霊の傾注です。それはヨエル書に約束され、新約の第一の聖霊の傾注の時に、使徒ペテロが語った説教の中にも引用されています。私たちはその前半の部分にしか目を留めないことが多いのですが、重要なのは後半の部分と最後の言葉です。

【新改訳改訂第3版】使徒の働き 2章19~21節
19 また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火と立ち上る煙である。
20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。
21 しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。

  • ペテロがこのヨエルの預言を語った対象はユダヤ人でした。 主の大いなる輝かしい日が来る前に、「太陽はやみとなり、月は血に変わる」のです。なぜなら、神の民イスラエルが神に背を向けているからです。しかし彼らに「恵みと哀願の霊」が注がれる(ゼカリヤ12:10)ことで、イェシュアがメシアであったことを悟るようになり神に立ち返ります。その結果、「主の名を呼ぶ者は、みな救われる」のです。

最後に

  • それゆえ、イスラエルの民はそうした出来事が起こる前に神に立ち返らなければなりません。アモスの時代のイスラエルの民のように、「わざわいは私たちに近づかない。私たちまでには及ばない」と偽りの安心の中に居座ってはならないのです。これは北イスラエルの滅びがやがて起こることの予表であり、かつ、終わりの日の型なのです。
  • ヨハネの黙示録は、私たちがテーブルを囲みながらそれを真ん中において、どの解釈が正しいのかと議論して楽しむような書ではありません。聖書の中に秘められた神のご計画をしっかりと学びつつ、そのご計画の成就に備えて主を待ち望むために書かれたものなのです。


2015.2.25


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