****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

バビロンの王に仕えて生きよ(軛の預言)

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30. バビロンの王に仕えて生きよ(軛の預言)

【聖書箇所】 27章1節~22節

ベレーシート

  • 27章の時代背景は1節に記されていますが、新改訳では「ヨシヤの子、ユダの王エホヤキムの治世の初めに」とあります。しかし内容的には明らかに、ユダの最後の王となったゼデキヤの治世の初めなのです。口語訳、新共同訳は「ユダの王ヨシヤの子ゼデキヤの治世の初めに」と訳しています。新改訳の脚注によると、シリヤ語訳は「ゼデキヤ」となっていることを記しています。
  • 27章にはエレミヤが首に「なわとかせをつける」よう主から語られます。それはあるメッセージを含んだ預言的パフォーマンスであり、視覚教材です。エレミヤがそれによって語ったメッセージとは何だったのか注目したいと思います。

1. すべての国はバビロンの王ネブカデネザルの支配下に置かれる

  • B.C.597年、バビロンのネブカデネザルはエルサレムを包囲し、ユダの王エホヤキン、その母親、そして多くの有能な者たち(約1万人ほど)を捕えてバビロンへ捕え移しました。その後、ネブカデネザルは傀儡王としてユダの王にゼデキヤを擁立します。しかし、ゼデキヤは周囲の国、エドム、モアブ、アモン、ツロ、シドンの使者を招いて六か国会議を招集します。そこへエレミヤが遣わされて各国の使者を通して主君に次のように告げるよう命じたのです。

【新改訳改訂第3版】エレミヤ書 27章5~8節

5 わたしは、大いなる力と、伸ばした腕とをもって、地と、地の面にいる人間と獣を造った。それで、わたしの見る目にかなった者に、この地を与えるのだ。
6 今、わたしは、これらすべての国をわたしのしもべ、バビロンの王ネブカデネザルの手に与え、野の獣も彼に与えて仕えさせる。

8 バビロンの王ネブカデネザルに仕えず、またバビロンの王のくびきに首を差し出さない民や王国があれば、わたしはその民を剣と、ききんと、疫病で罰し、──【主】の御告げ──彼らを彼の手で皆殺しにする。
9 だから、あなたがたは、バビロンの王に仕えることはない、と言っているあなたがたの預言者、占い師、夢見る者、卜者、呪術者に聞くな。
10 彼らは、あなたがたに偽りを預言しているからだ。それで、あなたがたは、あなたがたの土地から遠くに移され、わたしはあなたがたを追い散らして、あなたがたが滅びるようにする。
11 しかし、バビロンの王のくびきに首を差し出して彼に仕える民を、わたしはその土地にいこわせる。──【主】の御告げ──こうして、その土地を耕し、その中に住む。』」
12 ユダの王ゼデキヤにも、私はこのことばのとおりに語って言った。「あなたがたはバビロンの王のくびきに首を差し出し、彼とその民に仕えて生きよ。」

  • 六か国の会議の開催の意図は「反バビロン同盟」の企てにありました。しかしエレミヤは天的現実(神の視座)からその危険を説いたのです。神のご計画は、一時、バビロンを強大にして支配権を与えることによってあることをなそうと計画していたからです。そのために、すべての国はバビロンの王のくびきに首を差し出すようにとエレミヤは語りました。エレミヤの首につけられた「なわとかせ」は、バビロンに対する服従のしるしだったのです。

2. バビロンの王に仕えて生きよ

画像の説明

  • 神はなぜすべての国をわたしのしもべ、バビロンの王ネブカデネザルの手に与えて、仕えさせるのかといえば、それはユダの民をバヒロンにおいて、時間をかけて(二代、三代をかけて)リセットさせる取り扱いのためでした。そのためにはバビロンをある期間、諸国に対して強力な支配権をもたなければなりませんでした。しかし神のみこころが達成された時点で、バビロンは神によって滅ぼされます。すべては神の御手の中に置かれて、神の目的のための道具として用いられているにすぎません。
  • 詩篇2篇に「なぜ国々は騒ぎ立ち、国民はむなしくつぶやくのか。地の王たちは立ちかまえ、治める者たちは相ともに集まり、主と、主に油注がれた者とに逆らう」(1~2節)とあります。これが地的現実です。しかし神は「その者どもをあざけられる」のです。それが天的現実です。エレミヤはこの天的現実からものごとを理解して語っています。神の民もこの天的現実がらすべてを見る視点が求められるのです。天的現実とは、詩篇2編のことばで表すなら、「主の定め」です。
  • 当時の預言者たちは、バビロンの国は二年の間に解体すると語っていたのです。それは当時の人々にとっては喜ばしいものであり、説得力があったと思われます。もし私たちがこの時代に生きていたとしたら、エレミヤの語るメッセージとエレミヤ以外の預言者の語る希望的観測のメッセージを聞いて、どちらに傾くでしょう。当時は、エレミヤの語るメッセージに耳を傾ける者は、エレミヤをかばったアヒカムをはじめ、ごく少数の者であったと思われます。
  • 今日のキリスト教会は神のみことばによって再度整えられる必要に迫られています。神のみことばに真剣に耳を傾けることから逸れて行っているからです。その証拠に「いやしグッズ」なるものが様々な形を変えてもてはやされ、求められています。目先の課題ではなく、世代を超えた神からの課題に、主にある私たちがそれを正しく受け止めることができるでしょうか。そうした視野から今取り組むべき課題を見出すことができるでしょうか。

2013.3.8


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