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ダビデ的メシアの型としての「クロス王」

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エズラ記の目次

1. ダビデ的メシアの型としての「クロス王」

【聖書箇所】 1章1節~11節

ベレーシート

【新改訳改訂第3版】
1:1 ペルシヤの王クロスの第一年に、エレミヤにより告げられた【主】のことばを実現するために、【主】はペルシヤの王クロスの霊を奮い立たせたので、王は王国中におふれを出し、文書にして言った。

  • 本書に登場するペルシャの王クロスの名前は、旧約全体で19回。そのうちの12回はエズラ記にあります(ヘブル語では「ホーレシュ」כוֹרֶשׁ)。この重要な人物に焦点を当てることで、歴史における神の主権的支配を見ることができます。


1. イザヤが実名で預言した人物「クロス」

  • イザヤ書には「クロス」の名前が以下の箇所に2回出てきます。イザヤはクロスが歴史の中に登場する140~150年程前に神からの啓示によって「クロス」という実名の人物を預言しています。預言とは前もって書かれた歴史です。イザヤはその人物のことを全く知らずに語ったのでした。

    【新改訳改訂第3版】
    (1)44章28節
    わたしはクロスに向かっては、『わたしの牧者、わたしの望む事をみな成し遂げる』と言う。エルサレムに向かっては、『再建される。神殿は、その基が据えられる』と言う。

    ●主はクロスのことを「わたしの牧者」と語っています。これは神の民の指導者、神の民を神の代理者として支配する王のことを意味します。聖書で「牧者、羊飼い」は、王、指導者の比喩で用いられます。その意味で、クロスは神の民をバビロンの捕囚の境遇から救い出す解放者であり、その特別な務めのために油注がれた王なるメシアの予型的人物です。

    ●「わたしの望む事をみな成し遂げる」とありますが、成し遂げるその内容は三つあります。その一つ目は「バビロンの国を終わらせること」、二つ目は「捕囚の民を解放して故国に帰還させること」、三つ目は「神殿を再建させること」です。このことのために、神はクロスをご自身のしもべとして用いられたのでした。

    (2) 45章1節
    【主】は、油そそがれた者クロスに、こう仰せられた。「わたしは彼の右手を握り、彼の前に諸国を下らせ、王たちの腰の帯を解き、彼の前にとびらを開いて、その門を閉じさせないようにする。・・」

    彼の右手を握り」とは、神が弱い者を支えるように、神の統御の下で、神の務めをするようにし、彼を勝利の道に導いたことを意味します。また、「彼の前に諸国をくだらせ」とは、クロスが諸国の征服者となることを意味します。「王たちの腰の帯を解き」の「帯を解く」とは休息する意味で、武力解除して無力にし、抵抗できないようにすることを意味しています。事実、クロスがバビロンの最後の王ベルシャツァル王を攻めたときは無血入場で、まさに預言されたとおりでした。


2. イザヤ45章に見るクロスの救済的位置づけ

  • イザヤ書45章は、主のクロス個人に対する任命と約束を記した特別な章です。クロスに対する主の召命の目的とその理由が語られています。
  • 神がクロスを召された目的(理由)は以下の通りです。いずれも原文には「〜するため」という理由を表す前置詞「ㇾアマン」(לְַעַמַן)があります。

    (1) 神が唯一の真実の神であることを知るため
    「それは、わたしが主であり、あなたの名を呼ぶ者、イスラエルの神であることをあなたが知るためだ。」(3節)

    (2) クロス自身のためでなく、神のしもべイスラエルのため
    「わたしのしもべヤコブ、わたしが選んだイスラエルのために、わたしはあなたをあなたの名で呼ぶ。あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたに肩書きを与える。」(4節)

    (3) 主をおいて他には神はいないことを人々が知るため
    「それは、日の上がる方からも、西からも、わたしのほかには、だれもいないことを、人々が知るためだ。わたしが主である。ほかにはいない。」(6節)

  • 以上のことから、クロスの召しの究極的な目的はクロス自身のためではなく、イスラエルを通して現わされる神のご計画によって、全世界の人々が主こそ真の神であることを知るためです。このことは、後に来られる神の御子イエス・メシアを通して成就されます。クロスはこのメシアの予型的存在として神に召され、用いられたのです。
  • 異邦人であるペルシャの王クロスによってイスラエルの民が解放されたという事実は、イスラエルと異邦人とのかかわりの奥義をも予型しています。マタイの福音書の最初の章にある「アブラハムの子孫・ダビデの子孫、イエス・キリストの系図」の中に異邦人の女性の名前が挿入されています。このことはイスラエルの歴史の中に異邦人とのかかわりがあることを示唆しています。つまり、イスラエルの完成のプロセスの中に、なんらかの異邦人の助けが関与されているという事実です。この点からしても、クロスの存在は予型的な意味を持っていると言えます。
  • 使徒パウロはこのことを奥義として啓示されました。
    「その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです。」(エペソ3:6)


2013.9.3


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