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ダビデの系図の支流から出た逸材のヤベツ

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4. ダビデの系図の支流から出た一人の逸材、ヤベツ

ヤベーツ
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【聖書箇所】Ⅰ歴代誌 4章1~43節

ベレーシート

  • ユダの子孫の中にいたヤベツという人物が、この4章を引き立たせています。突如として現われ、突如として消えて行った人物です。その神に対する信仰のゆえに、際立っています。ユダ族のどの支流にいるのか、彼の父と母の名前も、そして兄弟の名前もなく、しかも彼から流れていく系図もありません。まさにユダ族の支流に咲いた一輪の花のようです。

1. 自分の境遇を逆転させたヤベツ

  • 4章9節に「ヤベツは彼の兄弟たちよりも重んじられた。」とあります。「重んじられた」と訳されたヘブル語動詞は「カーヴァド」(קָבַד)の受動態が使われています。「尊ばれる」とも訳されます。それは、彼が兄弟たちのかしら的存在であったか、あるいは、兄弟たちから一目置かれた存在であったかを意味します。
  • 「ヤベツ」(「ヤベーツ」יַעְבֵּץ)という名前は、彼の母が「私の悲しみのうちにこの子を産んだから」という意味のようです。「悲しみ」を意味する「オーツェヴ」(עֹצֶב)は「痛み」や「傷」という意味もあります。彼の母親がある苦しみ、痛みの中で彼を産んだのです。ただし、その苦しみが何であったかについて触れられていません。いずれにしても、ヤベツは苦しみと痛みをもった境遇の下に生まれ育ったと言えます。そうした宿命的背景の中で祈った祈りが記されているのです(10節)。

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  • 彼の名前の綴りと彼の名前の意味を示す語彙の綴りが同じではなく、三つからなる語幹のうち、第二と第三の文字がひっくり返っているというヘブル語修辞法では珍しいことなのですが、そのこと自体がヤベツの逆転的運命(恵み)を表そうとしているのかも知れません。

【新改訳改訂3】
ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。
「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」そこで神は彼の願ったことをかなえられた。


(1) 「を大いに祝福してください。」
(2) 「の地境を広げてください。」
(3) 「御手がとともにありますように。」
(4) 「わざわいから遠ざけてが苦しむことがないようにしください。」

  • この祈りには、四つのことが祈られています。この祈りを神はすべてかなえられたのでした。彼が祈った祈り(願い)がかなえられたということは、それが神のみこころにかなったことを意味します。すべて「私」という人称がついているので、自分の祝福のために、自分の繁栄のために祈っていると、必ずしも考える必要はないと思います。彼は単に「神」に対してではなく、「イスラエルの神」に対して祈っています。イスラエルの神とは、現実の歴史の中でご自身を現わされた神ということを意味します。ヤベツは歴史の中に啓示され、働かれた神を知った上で祈っているのです。

2. ヤベツの祈りの背景にある信仰

  • ヤベツの祈りの背景には、神が「ヘセド」(חֶסֶד)な方であり、契約を結んでいる者に対して、変わることのない確固とした愛と不変の愛で祝福してくださるという信頼があるということです。確かに、神はご自身との契約関係にある者に対して神ご自身の栄光を現わされる方です。ヤベツはヘセドの神を信じて、神の祝福を求め続け、捜し続け、神の祝福の蔵の扉が開かれるようにと叩き続けたのです。
  • イエスも天の父は良いものを与える神であることを弟子たちに教えながら、「求め(続け)なさい。そうすれば(必ず)与えられます。捜し(続け)なさい。そうすれば(必ず)見つかります。たたきなさい。そうすれば(必ず)開かれます。」(マタイ7:7)と言われました。
  • 歴代誌の中心人物はダビデです。しかもそのダビデは礼拝者としてのダビデです。神をどこまでも信頼し、神と共に歩み、神を慕い求め、神から与えられるものをすなおに受け取り、それを感謝し、それを用いて神の栄光を表わすすぐれた王でもありました。礼拝を改革し、主の家に住んで、神とのいのちに満ちた交わりを求め続けたダビデの霊性とヤベツの霊性はどこか似ているようにも見えます。
  • 神からの祝福は、それを受ける者を通して、賛美と感謝が神にささげられます。神から祝福されることも、神を祝福すること(つまり、神を賛美すること)も、どちらもヘブル語では「バーラフ」(בָּרַךְ)で表わします。天と地において祝福が循環するのです。このことが神の栄光の現れです。

3. 「私の地境を広げてください」との祈り

  • この祈りが意味するところは偉大です。それは祈る者の人間的な限界をはるかに越えて、祝福が流れ出し、影響力を放つからです。神の天にある霊的な祝福が、目に見える形で、さまざまな領域に大きな影響力を与えていくことになる大胆な祈りです。
  • その祈りは、自分の境界線、自分の限界を越える信仰を呼び起こします。自分に与えられている地境を、私たちが自分で決めてしまうのではなく、神にゆだねて、どこまでも神の栄光のために自分の限界に越えて溢れ出す信仰のチャレンジを自分に向ける祈りでもあります。

4. 主の臨在と守りを求める祈り

  • ヤベツの祈った祈りには、神とともに生きるという信仰の表明と同時に、神から与えられた祝福が無駄になってしまうようなことがないために、誘惑から守られることを願う祈りでもあます。主の祈りの中に「われらを試みに遭わせず、悪より救い出したまえ。」とあるように、高慢になることなく、いつもへりくだって、神から与えられた祝福を無償で与え続けて行けるようになりたいものです。主イエスもこの地上において、そのような祈りをされていたと思います。
  • Ⅰ歴代誌4章は、ユダ族の本流ではなく、支流の中に咲いた「ヤベツ」と彼の祈りに対して、神はご自身のヘセドのゆえに彼に祝福を与えられました。私たちはこの祈りを自分の日課の中にいつも取り入れて、新約の契約に基づいて、ヤベツのような体験をしたいと思わされます。

2013.12.14


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