****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

キリスト教の歴史における詩篇の位置(評価)を知ること

26. キリスト教の歴史における詩篇の位置(評価)を知る

(1)

  • 詩篇は、キリスト教がユダヤ教から受け継いだ大いなる遺産です。詩篇はいつの時代においても、神との祈りにおける瞑想の源泉です。中世の修道院の聖務日課の中で、詩篇は毎日歌われました。ベネディクト修道院の会則には次のように定められていました。「毎週150篇ある詩篇をすべて歌い、日曜の前夜の礼拝ではまた新しく歌い始めること。自ら誓約した礼拝において、詩篇全曲と慣習的に定められた賛歌を一週間で歌えないような修道士は怠慢だと見なされる。歴代の教皇たちは、この仕事を一日でこなしていたようだ。私たちはそれに比べるとだいぶ生ぬるいが、この仕事をせめて一週間でやりとげようではないか。」
  • 第二ニカイア公会議(587)では、詩篇を全部暗誦しなければ司教に叙任されないことを規定しました。またトレド第8公会議(653)でも、「今後、詩篇の全部を暗誦さないものは高位の聖職に昇任することができない」という法令が公布されました。このように詩篇を暗誦することは聖職に叙任される条件として要求されたのです。
  • マルチン・ルターは詩篇を「小聖書」と呼び、「祈りをささげる者はすべて詩篇を用いるべきであり、それを暗誦するほどなじまなければならない。」と言っています。ルター自作のコラールはみな詩篇をもとに作られています。同時代のジャン・カルヴァンに至っては、ルター以上により徹底して詩篇歌を、神を賛美する最上のものと見なしました。彼は詩篇以外の賛美歌を認めなかったほどです。
  • キリスト教の歴史において、詩篇に対する評価がこれほどまでに高いということを知っておくことは決して無益なことではないと思います、また、その評価の高さの秘密を自分自身で確かめてみることも決して無益ではないと信じます。

(2)

  • 日本のプロテスタント教会では、今日、さまざまなタイプの賛美がなされており、讃美集の編集もそれぞれ実にユニークです。伝統的な『讃美歌』、および『聖歌』には、唱える詩篇(交読文・・司会者と会衆が交互に詩篇を唱えるやり方)と歌う詩篇とに編集されています。コンテポラリーな賛美(Praise & Worship)では、1980年以降、詩篇を用いた新しい歌が歌われるようになりました(詩篇のある部分をそのまま歌うものから、パラフレーズして歌うものも含めて)。
  • 初代教会でも詩篇はユダヤ教の伝統を引き継いで歌われ、また新しいタイプの歌(創作賛美)も歌われるようになりましたが、当時は、「歌う」というよりも、「語り、唱える」といったものでした。ルカの福音書にあるイエスの降誕にまつわる新しい賛美はすべて「言った」と訳されています。つまり、唱える賛美、語る賛美です。それは祈りにおける賛美と言えます。唱える賛美、歌う賛美、いずれも、神が私たちの口に授けてくださるものです。つまり、賛美は神の救いにあずかった者たちでなければ歌えない、特別な、不思議な感謝と喜びの歌です。神への賛美が共有できるようにと、詩篇の作者たちは、賛美の源泉である神へと私たちを招いているのです。

(3)

  • 宗教改革といえば、マルチン・ルターの名前をだれでも思い浮かべると思います。しかし、そのルターが、聖書の中で最も愛読したのが詩篇であるということについてはあまり知られていません。彼は「詩篇は小聖書とも呼ばれてもよく、この書ではすべてが最も美しく簡潔に述べられており、かりに人が聖書全部を読むことができなくても、この小冊子にすべてが要約されている。」と述べています(「詩篇講義の序文」)。ルターはこのような詩篇観に立って、詩篇に基づく会衆用の讃美歌を七曲ほど創作しています(他にもルターは数多くの讃美歌を創っています)。
  • ルターがヴィテンベルグ大学で詩篇を講義しはじめたのは1513年、彼が30歳の時です。約2年余の間、週二回(月曜と金曜の早朝6時から)、詩篇の講義を続けました。そしてこの講義はやがて歴史的な意味をもつようになったのです。ルターによる詩篇講義には、それまでの教父たち、ならびに中世の聖書解釈の遺産を尊重しながらも、それに飽きたらずに独創的な見解、つまり宗教改革的認識の発芽を有していました。この発芽は詩篇講義に続いてなされたローマ人への手紙、ガラテヤ人への手紙の講義の中で展開し、「信仰による救い」が再発見されたのです。これは当時の教会の教えを根底から覆すものであり、当然、迫害を受けることとなりましたが、ルターは「我、ここに立つ」と言って真理の旗をかざしたのです。
  • ちなみに、ルターと並んで宗教改革の担い手となったジャン・カルヴァンもルター以上に詩篇を愛好し、全面的に教会の礼拝に取り入れた人でした。彼は自分の「詩篇注解」の序言の中でこう言っています。「この書(詩篇)を私は日頃たましいの解剖学と呼んでいる。なぜなら何人もこの鏡に反映しないような自分の感情のひとかけらも見出すことはできないからである。ここに聖霊は、人の心を乱しがちな悲しみ、嘆き、恐れ、望み、心配、思い煩いなど、あらゆる感情の嵐を人間に示しておられる。・・また、ここには神と語りあう者たちがいる。彼らはその内奥の感情をさらけだし、われわれ一人一人に自らを点検して、われわれが陥りがちな弱点を余すところなく告白するようにと招き、かつ要求する。そのようにしてすべての隠れた奥底があばかれ、心の偽善の悪癖からきよめられ、光の中にもたらされるのは、稀有の特別な利益である。」と。これがカルヴィンの詩篇観でした。

◆このように、ルターにしてもカルヴィンにしても、宗教改革をもたらした内なる光と詩篇との間には、密接な関係があったことが分かります。詩篇は新しい光をもたらす不思議な書物といえます。

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