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エレミヤの召命(2)

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3. エレミヤの召命(2)

【聖書箇所】 1章11節~19節

ベレーシート

  • エレミヤ書1章11~19節には、エレミヤの見た二つのヴィジョンと派遣のことばが記されています。エレミヤの見た二つのヴィジョンは、10節にあるエレミヤが語るべき内容である「審判と回復のメッセージ」の順とは逆に、回復のヴィジョンが先に扱われています。それは、神の関心がさばきの後に来る回復にあるからです。
  • 「煮えたぎる鍋」「沸騰している鍋」「煮え立った釜」(新改訳2017)という審判のヴィジョンは、具体的にはバビロンによるエルサレムの包囲と破壊と捕囚を意味します。災いは常に北からやってきます。ここでは、特に回復のヴィジョンについ瞑想したいと思います。

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1. アーモンドの枝のヴィジョン

(1) 「目覚めの木」

【新改訳改訂第3版】1章11~12節
11次のような【主】のことばが私にあった。
「エレミヤ。あなたは何を見ているのか。」そこで私は言った。「アーモンドの枝を見ています。」
12 すると【主】は私に仰せられた。「よく見たものだ。わたしのことばを実現しようと、わたしは見張っているからだ。」

  • 「アーモンド」と「見張る」ということがどういう関係にあるのか、ヘブル語の知識がないと分かりません。ここでは以下のようなことば遊び(掛け言葉)になっています。つまり、語根が同じなのです。

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  • 主はエレミヤに「何を見ているのか」という問いかけに、エレミヤは「アーモンドの枝を見ています」と答えています。文語訳は「アーモンド」を「巴旦杏(はたんきょう)」と訳しています。関根訳はここを「目覚めの木の枝が見えます」と訳しています。「アーモンドの木」を「目覚めの木」と訳していますが、「見張りの木」とも訳せます。そして、主はエレミヤに「よく見たものだ」(新改訳)と言っています。新共同訳ではそこを「あなたの見るとおりだ」と訳していますが、それは主の喜びが現われています。つまり、主と同じところに目を向けているという共感で、「よくぞ見たものだ」と言っているのです。エレミヤと主の思いが一つになっている事を主は喜んでいるというニュアンスです。
  • なぜなら、主こそ「わたしのことばを実現しようと、わたしは見張っている(シャーカド)から」です。「シャーカド」שָׁקַדは、眠らないで、目を覚ましていること、見張っていること、寝ずの番をすること、伺うこと、注意深く期待して待っていることなどを意味します。エレミヤ書では1章12節の他に、31章28節/44章27節にも見られます。神の関心は神の民を滅ぼすことではなく、あくまでも神の民を回復させるためのプロセスです。ここにこそ神の関心があるのです。
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  • 「アーモンド」(別名、あめんどう、巴旦杏)は1~2月頃に他の木に先立って冬の眠りから醒めて芽を出し、花を咲かせます。それゆえ「目覚めの木」とも呼ばれるのですが、これはまさに「よみがえりのいのちの初穂」を象徴しているのです。重要なことは、エレミヤも主も神の民の回復(よみがえり)の実現のために、注意を払い、関心を持ち、目を覚まして見張っていたのです。

(2) アロンの杖はアーモンドの木

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  • 民数記17章に、アロンが持っていた杖がアーモンドの木であったことが分かります。ここは、イスラエルの民の中に起こった祭司職に関する論争において明確にされた出来事が記されている箇所ですが、各部族の中でアロンの杖だけが、芽をふき、花をつけ、実がなるという奇蹟が起こりました。この奇蹟によってアロンこそ神が選ばれた特別な祭司であり、格別な祝福を与えられていたことが立証されました。
  • アロンのアーモンドの杖は、キリストとその祭司職を象徴的に予表しています。祭司の働きは人々を神の御前にふさわしく近づけさせる存在です。アロンの杖が契約の箱の中に保存されたことは、枯れたと思われた木が芽を出し、花をつけ、実をならせたいのちの回復の象徴だからです。

(3) 聖所にある金の燭台(メノーラ)の模様は「アーモンドの花」

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  • 神が幕屋で用いる器具のひとつひとつには驚くべき秘密が隠されています。聖所の中で用いられる「金の燭台」もその一つです。その金の燭台の模様は「アーモンドの花」です。なぜ「アーモンドの花」なのでしょうか。

【新改訳改訂第3版】出エジプト記25章
31 また、純金の燭台を作る。その燭台は槌で打って作らなければならない。それには、台座と支柱と、がくと節と花弁がなければならない。
32 六つの枝をそのわきから、すなわち燭台の三つの枝を一方のわきから、燭台の他の三つの枝を他のわきから出す。
33 一方のに、アーモンドの花の形をした節と花弁のある三つのがくを、また、他方の枝にも、アーモンドの花の形をした節と花弁のある三つのがくをつける。燭台から出る六つの枝をみな、そのようにする。
34 燭台の支柱には、アーモンドの花の形をした節と花弁のある四つのがくをつける
35 それから出る一対の枝の下に一つの節、それから出る次の一対の枝の下に一つの節、それから出るその次の一対の枝の下に一つの節。このように六つの枝が燭台から出ていることになる。
36 それらの節と枝とは燭台と一体にし、その全体は一つの純金を打って作らなければならない。

  • すでに述べたように、アーモンドはよみがえりの初穂としての象徴です。種は花を咲かせる前に死ななければならないように、キリストの死と復活によって、キリストとつながりを持つ者のすべてが実を結ぶことができる者とされています。キリストはよみがえりのいのちの初穂です。アーモンドの花の模様をつけた支柱も枝もすべて上(天)に向いています。それは復活のいのちは天から来るからです。またアーモンドの花には五つの花弁があり、五つの節にもそれぞれにがくがあり、五の倍数の雄しべがあります。つまり、すべての花の花弁が、神の恵みを象徴する「五」という数になっています。
  • 神の恵みによって支えられた燭台の光によって、はじめて私たちは神に属するものを見ることができるのです。

2. 神の召命と派遣に伴う神の約束

  • エレミヤ書1章17節~19節は派遣に伴う励ましと約束が記されています。

【新改訳改訂第3版】エレミヤ 1章17~19節

17 さあ、あなたは腰に帯を締め、立ち上がって、わたしがあなたに命じることをみな語れ。彼らの顔におびえるな。さもないと、わたしはあなたを彼らの面前で打ち砕く。
18 見よ。わたしはきょう、あなたを、全国に、ユダの王たち、首長たち、祭司たち、この国の人々に対して、城壁のある町、鉄の柱、青銅の城壁とした。
19 だから、彼らがあなたと戦っても、あなたには勝てない。わたしがあなたとともにいて、─【主】の御告げ─あなたを救い出すからだ。」

  • エレミヤに与えられた使命は、決して人間的な力で遂行することはできません。それゆえ、主はエレミヤを励まし、そして約束を与えました。三つのことを心に留めたいと思います。第一は「人を恐れてはならないこと」、第二は「腰に帯を締めて立ち上がること」、第三は「臨在の約束」です。

(1) 人を恐れてはならない

  • 主は1章において、エレミヤに二度も「人の顔を恐れてはならないこと」を戒めています。
    07節「彼らの顔を恐れるな」
    17節「彼らの顔におびえるな」
  • 「恐れる」必要がないことの根拠は、主がエレミヤを人々に対して「城壁のある町、鉄の柱、青銅の城壁とした」からであり、それゆえ、地位のあるユダの王たち、首長たち、祭司たちがエレミヤと戦っても勝てないようにしたからです。なんという主の保障でしょうか。

(2) 腰に帯を締めて、立ち上がって、語れ

  • それゆえに、主はエレミヤに対して、「腰に帯を締めて、立ち上がるよう」諭しています。「腰に帯を締めて」という表現は、「襟を正す」とか、「気を引き締めて」といったニュアンスです。それは神のために戦う姿勢であり、神の目的にかなった目覚めた生き方を意味します。類語的表現である「強くあれ、雄々しくあれ」も同様です。

(3) わたしがあなたとともにいる

  • 聖書における主の臨在の約束の慣用句です。神のことばを語るときに、主がともにおられることを常に意識することは、大きな力を解き放つ原動力です。神がすべての責任を請け負ってくださるからです。

2013.1.12


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