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イスラエルの例祭について知っておくこと

54. イスラエルの例祭について知っておくこと


  • 詩篇を瞑想するとき、イスラエル独自の祭りとその意義について知っておくことはとても重要です。なぜなら、詩篇はイスラエルの礼拝において用いられたものであり、また例祭と言われる毎年の恒例の祭りがその背景にあるからです。それについて無知であることは大切なメッセージを受け取り損ねるかも知れません。イエスが、祭りの終わりの大いなる日に、立って大声で「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じるものは、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水が流れ出るようになる。」と言われました(ヨハネの福音書7章37~38節)。そのときの「祭りの大いなる日」とは、仮庵の祭りのクライマックスである最終日です。なぜ、こんなときに、しかも大声で語らなければならなかったのでしょう。定められた祭りの真意と人々の心の状態が遊離していたからだと思います。
  • 神がその民イスラエルに命じられた七つの例祭があります(レビ記23章参照)。その中からいくつか取り上げてみたいと思います。その第一は、第一の月の14日にもたれる「過越の祭」とそれに続く7日間の「種なしパンの祭り」です。今日の暦でいうと3月の末が4月上旬にもたれる祭りです。この時は人々は大麦の初穂の束を携えて行かなければなりませんでした。初穂とは収穫物の最初の部分を主にささげるものです。「ユダヤ人もギリシヤ人も」という定型句があるように、神の救いの計画においてはイスラエルはいつも第一なのです。彼らが初穂を神にささげることは、諸国民の中から神のために生まれた長子であり、世界の大収穫の初めとしてのイスラエルの神への聖別を象徴的に示しています。彼らがふさわしい立場として神の祝福に満たされることが第一の例祭の意義です。
  • 第二は、種入れぬパンの祭りの初日から50日目にもたれる祭りで「五旬節の祭」と言われます。小麦・大麦の収穫後にもたれる祭りです。これは世の終わりにある大収穫後に続く完全な贖罪によってもたらされる安息の象徴です。つまり、全世界に福音が宣べ伝えられて、イスラエルの民(ユダヤ人)も民族的に救われる時が到来します。
  • 神の国の概念においては、第一と第二の例祭は、「すでに」「いまだ」の部分を象徴し、第三の例祭は秋の祭りで、「仮庵の祭り」を中心とする三つの祭りを含みます。この祭りは、キリストの再臨によって実現する「贖いの完成」を象徴しています。「仮庵の祭り」は第七の月の第1日目にイスラエル全土に角笛が吹き鳴らされ、最大の祭りが間近に迫ったことを告げ知らせます。今日の暦では9月下旬か10月上旬頃に当たります。そして10日目には「大贖罪の日」として、民のすべての罪の身代わりとして動物の血が流されます。そして、15日目から一週間、人々は粗末な仮庵に住み、神のエジプトから導き出されたことや荒野時代の神の恵みを思いながら、主の前で喜び楽しむ時を過ごすのです。イスラエルの乾季において実った果物は喜びの象徴です。また人々との再会の時です。また、この時ばかりはユダヤ人だけでなく、異邦人も加わることが許可されました。これはやがて神がすべての者を神のもとに導き、相続のすべてを与えようとしておられることの象徴なのです。現代においても、仮庵の祭りには世界中からユダヤ人もクリスチャンもエルサレムに集まって来ているのです。また、キリストの再臨は仮庵の祭りの時だと言われます。
  • この祭りに参加しないものは神の民から断ち切られるという神の厳しい命令ですが、むしろこれらの祭りの意義を知り、そこに隠されている神のご計画の実現を待ち望む者こそ、真の神の民と言えるでしょう。

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