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イェシュアの埋葬


24. イェシュアの埋葬

【聖書箇所】
マタイの福音書27章57~66節、マルコの福音書15章42~47節
ルカの福音書23章50~56節、ヨハネの福音書19章38~42節

ベレーシート

●イェシュアの受難の24(Twenty-Four)に起こった出来事は何と、かくも長いことかと改めて思わせられます。マタイの福音書では26章17節から27章66節まで、合わせると125節分に描かれたノンストップのドラマです。そのクライマックスに至った後の一瞬のゲネラルポーズ(全休符)の後に来る、静寂なイェシュアの埋葬の出来事です。

●ここには突如、今まで姿を見せなかった人物が登場します。その人物こそ「アリマタヤのヨセフ」です。新約聖書では4回登場します。それもそのはず、四つの福音書が彼の登場を記しているからです。

●初代教会における福音は、イェシュアの四つの出来事に基いています。

(1) 死
(2) 埋葬
(3) 復活
(4) 顕現

●「十字架の死と復活」という言い方は、(1)と(2)、(3) と(4)を要約した表現です。今回はイェシュアの埋葬についてこれまでとは異なる視点から瞑想したいと思います。

1. 「アリマタヤのヨセフ」の登場の必然性とは

●「アリマタヤのヨセフ」のプロフィールについては、以下を参照のこと

「ルカの福音書」を味わう No.74 「イエスの埋葬の風景」
「イエスの最後の一週間」の第23日「墓に葬られる」

●イェシュアの周辺に起こっている出来事で偶然ということは一つもありません。すべてが神のドラマにおける必然的なピースです。とすれば、アリマタヤのヨセフの登場の必然性は一体何でしょうか。

●アリマタヤのヨセフの登場によって、二千キュビト以上離れた宿営の外で死なれたイェシュアが、宿営内で埋葬された事を意味します。それは、つまりイェシュアがユダヤの王として「ダビデの町」に葬られたということなのです。しかしそれがなされるためには絶妙なタイミングが必要でした。もし、イェシュアが安息日に入る直前に息を引き取ることがなければ、イェシュアの遺体はどうなっていたか分かりません。他の犯罪人と同様に別の所に捨てられたかもしれませんし、あるいはそのままローマのしきたりによって十字架につけられたまま放置されたかもしれません。

●アリマタヤのヨセフが「金持ち」であった(これはかつて取税人であったマタイだけが記す特記事項)ことで、イェシュアはユダヤの王としてそれにふさわしく、丁重に葬られることになりました。安息日が差し迫っていたため「ユダヤの葬りのしきたり」の一部は省略されたかもしれませんが、イェシュアが誰も使ったことのない新しい墓に納められたことも王としてふさわしいことだったのです。ヨセフはイェシュアの遺体を真新しい亜麻布ですっぽりと包みました。ユダヤの埋葬のしきたりでは、男性が遺体を包むのは男性に対してしかできなかったようです(女性はその限りではなかったようです)。イェシュアの埋葬にはもう一人、律法学者のニコデモがかかわっていたことをヨハネは記しています(19:39)。はっきりと「彼らはイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、それを香料といっしょに亜麻布で巻いた」とあります(40節)。

●イェシュアのからだを十字架から降ろすことを願い出てピラトの許可を得たヨセフの功績には大きなものがあります。彼はすでにイェシュアの弟子となっていたのですが、この場面には他の12弟子たちがだれ一人として登場していないだけに、彼の「神の国を待ち望む」という純粋な信仰が目立ちます。

●ユダの王にとって「エルサレム」(ダビデの町)に葬られることは重要なことでした。

【新改訳改訂第3版】Ⅰ列王記 2章10節
こうして、ダビデは彼の先祖たちとともに眠り、ダビデの町に葬られた。

【新改訳改訂第3版】Ⅰ列王記 11章43節
ソロモンは彼の先祖たちとともに眠り、彼の父ダビデの町に葬られた。彼の子レハブアムが代わって王となった。

【新改訳改訂第3版】Ⅰ列王記 14章31節
レハブアムは彼の先祖たちとともに眠り、先祖たちとともにダビデの町に葬られた。・・

【新改訳改訂第3版】Ⅰ列王記 15章24節
アサは彼の先祖たちとともに眠り、先祖たちとともに父ダビデの町に葬られた。・・


このようにして、ダビデの町(エルサレム)に葬られたユダの王たちの名前は他にも、ヨシャパテ、ヨラム、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤ、ヨシヤがいます。


2. 女性たちの大胆な信仰

●イェシュアの公生涯の初期から最後の最後(十字架の死と葬り)まで付き添った女性たちがいます。彼女たちこそ、三日目の早朝に、復活された主の最初の証人となる者たちです。イェシュアの埋葬ではじめて登場したヨセフやニコデモとは距離をおきながらも、その様子をじっと眺めていることしかできませんでした。しかしその彼女たちがやがて大胆な行動に出たのです。

●岩に掘られた新しい墓にイェシュアが埋葬されたのを見届けた彼女たちは、安息日が終わってから(夕方)早速、香料と香油を買い、早朝、まだ暗いうちに起き、墓に着いたころにはすでに「日が昇って」いました。墓の入り口を塞ぐ大きな石は安息日のうちにすでに封印されていました。その封印はローマ帝国の権限で封印されたもので、総督の許可なく封印を解いて石を動かし中に入ることはできない状況でした。しかも、その墓の前ではローマの兵士たちが厳重に見張っていました。しかし、彼女たちは墓の中に入るつもりでやって来たのです。

●彼女たちの大胆な行動に注目する前に、墓の入り口を封じる石は埋葬の段階ですでに転がされ、墓が塞がれていたことを知る必要があります。新改訳では、マタイもマルコも「墓の入り口には石をころがしかけて」いたように訳されています(マタイ27:60、マルコ15:46)。あたかも完全にふさがないで、中途半端な状態にしてあったような表現で訳されています。しかし原文ではいずれも「転がした」とはっきりとアオリスト(過去形)分詞形で書かれています。つまり、石を転がして墓を完全に「ふさいだ」という意味です。ところが安息日に、その石の上にローマ総督の権威による封印がなされたのです。

イェシュアの墓.PNGイェシュアの墓(2).PNGイェシュアの墓(3).PNG

彼女たちの大胆なところは、すでに墓の入り口が大きな石でふさがれているにもかかわらず、その中に入ろうとしてやって来たということです。この大胆さはどこから来ているのでしょう。それは愛によって働く信仰から来る大胆さです。「使徒の働き」に見る初代教会の特徴の一つは、実にこの「大胆さ」(「パッレーシア」παρρησία)です。余談ですが、主の「来臨・再臨」のことを「パルーシア」(παρουσία)と言います。良く似ています。

【新改訳改訂3】 使徒の働き
2章29節
兄弟たち。父祖ダビデについては、私はあなたがたに、確信をもって言うことができます。彼は死んで葬られ、その墓は今日まで私たちのところにあります。
4章13節
彼らはペテロとヨハネとの大胆さを見、またふたりが無学な、普通の人であるのを知って驚いたが、ふたりがイエスとともにいたのだ、ということがわかって来た。
4章29節
主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。
4章31節
彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。
28章31節
大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。


●英語では、openly, freely, confidently, boldly, boldness, courage などと訳されます。
●「愛による信仰」「信仰から来る熱意」「確信」「大胆さ」は、大きな影響を周囲にもたらす神の「種」、ないしは飛び火する「火」です。今日の教会に求められているのは、人の熱心さによるものではなく、この類いのものです。


2015.4.3


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