****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

アナロジー(類比)を理解する

17. アナロジー(類比)を理解する

  • 詩篇の世界はアナロジー(類比)で満ちています。アナロジーとは、AをBとして見るものの見方であり、そのBとは既有知識であり、その知識に基づいてAを理解させようとする方法です。Bは、特に説明されなくても理解されている周知の事実でなければなりません。例えば、聖書の世界では、神と人との関係を、羊飼いと羊の関係で表わしていることがそうです。聖書の中に生きる人々にとって羊飼いと羊の関係は説明されなくても周知している知識であり、「主は私の羊飼い」と表現することで、主がどういう方であるかを人々に伝達することができたのです。しかし、私たち日本人にはこのアナロジーは決して身近なものではありません。さらなる類比が必要となるかもしれません。
  • 詩篇におけるアナロジーは、特に信仰告白的な詩篇の中にみられます。例えば、詩4篇「主は、私の回りを囲む盾」とか、詩16篇の「主は、私のゆずりの地所(相続財産)」、詩23篇の「主は私の羊飼い」、詩91篇の「主はわが避け所」等があります。こうしたアナロジー(比喩も含めて)は、現代に生きる私たちにピッタリと理解できるとは限りませんが、中東の世界で生きる者にとっては神の防衛を表現する方法としてよく理解されたのです。
  • アナロジーは見えない神を私たちに理解させる上でとても重要な認知方法です。詩篇だけでなく、聖書全体がそうした方法を用いています。神と人との関係を「羊飼いと羊」の関係だけでなく、「陶器師と陶器」「ぶどうの木とその枝」「花婿と花嫁」「自分の食卓に招く主人と客人」というように、実に様々なアナロジーで表現されています。
  • 詩篇の瞑想は、詩篇の作者たちが用いたアナロジーを通して、神がいかなる方であるかを知り、その神との親密な関係の中で神と共に歩んでいく旅といえます。人生の岐路に立つとき、困難な坂道に直面したとき、危険な道を行くことを余儀なくされたとき、そのときこそ神を知るときです。詩篇はその道案内です。

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