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わたしの愛する者

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14. わたしの愛する者

【聖書箇所】 11章1節~23節

ベレーシート

  • 神はご自身の民を完全に回復させるために、一度、完全にご自身の家を廃墟と化し、国を荒れ果てさせる計画です。しかしご自身の民(ここではユダの人々)に対して、「わたしの愛する者」と呼びかけています。主と主に「愛されている者」のパートナーシップが今や修復不可能なまでになっているのです。特に、11節と12節を中心に取り上げてみたいと思います。そして、とりなしの祈りを禁止されたエレミヤ、そして同郷の人たちのエレミヤに対する暗殺計画を知らされたエレミヤの苦悩にも触れたいと思います。

【新改訳改訂第3版】エレミヤ書11章15~16節

15 わたしの愛する者は、わたしの家で、何をしているのか。何をたくらんでいるのか。誓願のささげ物や、いけにえの肉が、わざわいをあなたから過ぎ去らせるのか。その時には、こおどりして喜ぶがよい。
16 【主】はかつてあなたの名を、『良い実をみのらせる美しい緑のオリーブの木』と呼ばれたが、大きな騒ぎの声が起こると、主はこれに火をつけ、その枝を焼かれる。

  • 「わたしの愛する者」は、次節で「良い実をみのらせる美しい緑のオリーブの木」と言い換えられています。「オリーブ」は神の祝福の象徴です。オリーブの実は食用であり、それをつぶして油を採ります。また祭司たちの任職や物の聖別にも用いられます。
  • イザヤ書5章1節の「愛の歌」では、ユダの民は「ぶどう畑」(エレミヤ12:10も参照)に例えられています。ぶどう畑は実を結ぶまでに多くの手入れが必要です。ちなみに、イザヤ書5章2節に見られる動詞はぶどう作りのプロセスを示しています。

(1) 土を「掘り出す」ー「アーザク」のピエル態 עָזַק
(2) 石を「取り除く」 ー「サーカル」のピエル態 סָקַל
(3) 苗を「植える」ー「ナータ」נָטַע
(4) 見張りやぐらを「建てる」ー「バーナー」בָּנָה
(5) 酒ぶねを「掘る」ー「ハーツェーヴ」חָצֵב

  • 大変な手間をかけて造られたぶどう畑は当然のことながら、甘いぶどうが出来る事が期待されています。ところがその期待に反して「酸っぱいぶどうの実」ができてしまいました。「酸っぱいぶどう」とは、「ベウシーム」בְּאֻשִׁיםで「苦い、しぶい未熟のぶどう、野ぶどう」のことです。イザヤ5:2, 4のみに使われてている語彙です。元になっている動詞は「バーアシュ」בָּאַשׁで、悪臭を放つ、臭くなるという意味で、きわれる、憎まれるという意味があります。

1. とりなしの禁止命令

  • エレミヤ書11章14節には、主のとりなしの禁止命令が記されています。その理由は、主がご自身の民をことごとく絶ち滅ぼされるからです。神はご自身の民をゼロから建て直そうとする意志の現われとも言えます。この「とりなし禁止令」はエレミヤ書で以下のように4回記されています。

【新改訳改訂第3版】
(1) 7章16節
「あなたは、この民のために祈ってはならない。彼らのために叫んだり、祈りをささげたりしてはならない。わたしにとりなしをしてはならない。わたしはあなたの願いを聞かないからだ。」
(2) 11章14節
あなたは、この民のために祈ってはならない。彼らのために叫んだり祈りをささげたりしてはならない。彼らがわざわいに会ってわたしを呼ぶときにも、わたしは聞かないからだ。
(3) 14章11~12節
11 【主】はさらに、私に仰せられた。「この民のために幸いを祈ってはならない。12 彼らが断食しても、わたしは彼らの叫びを聞かない。全焼のいけにえや、穀物のささげ物をささげても、わたしはそれを受け入れない。かえって、剣とききんと疫病で、彼らをことごとく絶ち滅ぼす。」
(4) 15章1節
【主】は私に仰せられた。「たといモーセとサムエルがわたしの前に立っても、わたしはこの民を顧みない。彼らをわたしの前から追い出し、立ち去らせよ。


2. エレミヤに対する暗殺計画

  • エレミヤ書11章18節以降には、エレミヤの同郷であるアナトテの人々がエレミヤに対する暗殺の陰謀を企てていたことを、エレミヤは主によって知らされます。これはエレミヤの苦悩を綴る告白録の最初のものです。ユダの民のためにとりなすことも禁止され、その上、同郷の人々から暗殺の陰謀を知らされたことは、エレミヤにとって大変な苦しみでした。19節には「私はほふり場に引かれていくおとなしい子羊のようでした」とありますが、まさに神のしもべであるイエスの姿そのものです。
  • なぜアナトテの人々がエレミヤを殺そうとしたのか、その理由については聖書は沈黙していますが、考えられることは、祭司の町であるアナトテの祭司たちの反感があったことが考えられます。当時、ユダの王ヨシヤの宗教改革は政治的な圧力による中央集権的改革でした。そのため地方の聖所の廃止は祭司たちにとって不利益をもたらしました。預言者エレミヤがヨシヤ王の改革運動に正面から賛成したことは、同郷の祭司の一族にとっては許し難い背信行為として受けとめられたと考えられます。ですから、アナトテの祭司たちは「主の名によって預言するな。われわれの手にかかってあなたが死なないように」とエレミヤを脅したのです。
  • ヨシヤ王による改革は、地方の聖所を廃止して、エルサレムの聖所に集中させることでした。それはさまざまな問題をはらみながらも、やがて到来するユダ王国の滅亡とバビロン捕囚、エルサレム神殿の崩壊という運命を民族的規模で考え直すために不可欠の意味を持つ運動であったということができます(木田献一著「エレミヤ書を読む」筑摩書房、1990、参照)。
  • アナトテのエレミヤ暗殺計画に対して、神はその罰としてアナトテには残る者がいなくなることを宣告しました(11:21~23)。神のみこころにそわない思いは、やがて神によってさばかれることを教えています。

2013.2.8


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