****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

みことば賛歌の詩篇の背景にはバビロン捕囚という痛い経験があること

60. みことば賛歌の詩篇の背景には、バビロン捕囚という痛い経験があること

  • 『失敗学』という学問があるそうです。その名称は評論家の立花隆氏が命名者であると言われています。2001年12月には、NPO団体「失敗学会」が設立されています。
  • ところで、聖書は『失敗学』の教科書です。聖書に登場する人物や神の民イスラエルの失敗の実例が赤裸々に記されています。信仰の父と呼ばれるアブラハムも大変な失敗を犯したことがありました。彼は約束の地を離れてエジプトに下り、そこで自分の妻サラを妹として紹介したことがありました。その結果、サラはパロの後宮に連れ去られることになりました。しかし、危機一髪のところで神の介入があり、アブラハムは妻を取り戻すことができました(創世記12章)。アブラハムはこの失敗から、次のような教訓を学ぶことができました。
  • ①自分の置かれた場所から勝手に離れることは危険であること。
  • ②小さなウソでも、大きな被害をもたらすことになること。
  • ③神の愛と守りは決して変わらないこと。
  • ④悔い改めるなら、もう一度やり直すことができること。
  • 特に、④は大切です。一度失敗するといつまでも立ち直れないで苦しむ人がいます。しかし、悔い改めたなら、神の赦しを信じ、また自分を赦して立ち上がることです。
  • アブラハム以外にも、失敗し、挫折した信仰の偉人は多くいます。出エジプトのリーダーとなったモーセも40歳にして挫折を経験しています。ダビデも姦淫を犯して挫折し、預言者エリヤもカルメル山で勝利した後、挫折して落ち込みました。新約時代では使徒パウロがやはり挫折から立ち上がっています。彼らはみな、挫折体験を積極的な方向に生かし、後世に偉大な業績を残すようになりました。一度も挫折体験がない人生など、あり得ません。神は挫折から私たちを立ち直らせてくださる方です。   
  • 旧約の歴史において、神の民イスラエルが経験したバビロン捕囚の経験は、まさに失敗の経験であり、異教の地における恥辱の経験でした。しかしその失敗と恥辱の経験を通して、異教の地において、シナゴーグ(会堂)を建て、モーセ五書を朗読し、祈りを唱えるという新しい神への礼拝のスタイルを生み出しました。かつてはエルサレムで神殿を中心とした礼拝がなされていましたが、それに代わる新しい礼拝スタイルを生み出し、そのスタイルは今日もなお、プロテスタント教会の礼拝において大きな影響を与えています。バビロン捕囚の経験がもたらした悔い改めの実は、神のみことばに対する愛です。詩篇1篇、19篇、119篇は熱烈な「みことば賛歌」であり、「みことばへの愛」が歌われています。
  • ある方から“The Fighting Temptations”という映画(2003年/アメリカ/カラー/123分)のDVDを貸していただいて、観ました。映画「天使にラブソングを・・」に勝る感動がありました。特に、その映画の最後に歌われるゴスペルの歌詞に私は涙してしまいました。(以下、その歌詞の紹介、ただし、抜粋)

    私は小さき者 でも愛された
    スーパースターじゃない スポットライトも浴びない
    私は小さき者 でも愛された

    目覚めるたびに眠り続けたいと願う
    昨夜は世界の頂点
    今日は世界のしもべ
    誰もが意見する 過去を忘れて
    人々の言葉は私の胸を刺す
    (何を言われた?) 生きる価値もない者のように

    私は小さき者 でも愛された
    スーパースターじゃない スポットライトも浴びない
    私は小さき者 でも愛された
     
    完璧じゃない 過ちも犯す
    力を尽くしてもうまくいかない
    失敗したら 世の中は冷たい
     
    私は小さき者 でも愛された
    どうか手を挙げて分かっていると伝えて
    私たちみんなが祝福され 愛されていると
    ただ主のそばに 
    主にはだれもが同じ
    恐れることは何もないはず
    生きる価値もないと思っていた
     
    私は小さき者 でも愛された
    そんな価値もない 罪も犯す
    力を尽くしてもうまくいかない
    失敗すれば 世間は冷たい

    私は小さき者 でも愛された
    分かるならば手を挙げて
    みんな祝福されている
    神様がついていくれる
    私が何者でも 小さき者でも 
    神は私を愛してくださる

  • 映画の中で結成される聖歌隊のメンバーの中には、人生の失敗を経験をした人々が多く登場します。ところが、その映画の中で彼らはキラキラと輝いているのです。なぜ! それは彼らを受け入れる神の愛と人の愛に触れたからです。「完璧じゃない 過ちも犯す 力を尽くしてもうまくいかない 失敗したら世の中は冷たい」・・そんな世の中で、真の愛に触れた者たちのストーリーが描かれているのです。

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