みことばへの沈潜
みことばへの沈潜
- プロテスタント教会の歴史は、聖書を読み、これに命をかけて来た信仰集団の歴史です。ルターは深く聖書に沈潜して、聖書の精髄としての福音を発見しました。それは、1514年の詩篇講解の最中でした。その翌年から2年にわたって有名なローマ書の講解をします。次に、ルターは聖書を自国語で読めるように、自ら旧新約両聖書をドイツ語に、民衆の言葉に翻訳しました。1522~34年のことです。
- プロテスタントの歴史は世界の各国語へ聖書を翻訳する歴史でもあります。その背後には、明確な、動かし得ない確信があります。それは、人は神のことばによって生きる、という確信です。
- 今日、教会(キリスト者)は聖書を読まなくなりました。無関心です。キリスト者が聖書を読まなくなるということは、どんな理由があったにせよ、「死に至る病」です。今日、聖書を各国語に翻訳し、熱心に読み、瞑想を試みているのはカトリック教会です。第二バチカン公会議以降のカトリック教会です。彼らの取り組みを注視しながら、聖書が沈黙することがないように励まなければなりません。
- また、「みことば詩篇」の最高峰と言われる詩篇119篇を通して、バビロン捕囚という境遇の中で彼らが心を尽くして尋ね求めた神のトーラーとその息づかいを、私たちは日々学ばなければなりません。
詩篇119篇の22の瞑想の目次