まことに、あなたは・・(1)
【聖書順索引】
96. まことに、あなたは・・(1)
【聖書箇所】 詩篇86篇5節
【読み方】
キー アッター アドナーイ トーヴ ヴェサッラーハ ヴェラヴ ヘセド レコル コールエーハー【文法】m
【翻訳】
【新改訳改訂3】
主よ。まことにあなたはいつくしみ深く、赦しに富み、あなたを呼び求めるすべての者に、恵み豊かであられます。
【口語訳】
主よ、あなたは恵みふかく、寛容であって、あなたに呼ばわるすべての者に/いつくしみを豊かに施されます。
【新共同訳】
主よ、あなたは恵み深く、お赦しになる方。あなたを呼ぶ者に/豊かな慈しみをお与えになります。
【岩波訳】
まことに、あなたは、わが主よ、善き方、いつも赦し、あなたを呼ぶ者みなに、恵み豊か。
【NKJV】
For You, Lord, are good, and ready to forgive, And abundant in mercy to all those who call upon You.
【NIV】
You are forgiving and good, O Lord, / abounding in love to all who call to you.
【LIB】
神様は恵み深いお方で、赦すのをためらったりなさいませんから、助けを求めて来る人にはだれにでも、あふれるほどにあわれみをかけてくださいます。
【瞑想】
詩篇86篇で、ダビデは「私は苦難の日にあなたを呼び求めます。あなたが答えてくださるからです。」と告白しています。呼べば答えてくれる、そんな確信の中で生きることができる人は幸いです。まさに神と人の健全な関係といえましょう。しかしそれは、いつも流動的な状況の中で、また動的な関わりの中で試されるのです。しかしその試みの中でこそ、神とのかかわりはよりいっそう強められていくのです。
「苦難の日に呼び求める」という経験を積み重ねる中で、神への基本的信頼が培われていきます。逆に、拒絶される経験が積み重なることで基本的不信感が培われます。基本的信頼と不信感の割合が6:4以上でないと健全な対人(神)関係を作ることができないと、ある精神科医は述べています。
この詩篇では、ダビデが呼び求める神について、ダビデがどのようなお方として受け止めているかに注目したいと思います。特に、「まことに、あなたは」(5節、10節、17節)というフレーズが目に留まります。
5節「主よ。まことにあなたは、いつくしみ深く、赦しに富み、あなたを呼び求めるすべての者に恵み豊かであられます。」
10節「まことに、あなたは大いなる方、奇しいわざを行なわれる方です。あなただけが神です。」
17節後半「まことに主よ。あなたは私を助け、私を慰めてくださいます。」
ここでは5節のみに目を留めます。
(1)「いつくしみ深い方」-原語は:形容詞の「トーヴ」(טוֹב)で、主はどこまでも良い方です。良いことしかできない方です。そして私たちに良いものを与えることを喜びとされる方を意味します。主をこのような方として知る(信じる)ことができる人は、どんなことがあってもブレルことがありません。
(2)「赦しに富む方」-ヘブル語の「サッラーハ」(סַלָּח)は喜んで赦すという意味の形容詞で、この箇所のみです。動詞は「サーラハ」(סָלַח)で、46回使われています。英語ではほとんどforgiveで訳されています。詩篇103篇3節にある「主はあなたのすべての罪を赦し」の「赦し」は、原文では冠詞付の動詞「サーラハ」(סָלַח)の分詞形で「赦す方」となっています。名詞は「セリーハー」(סְלִיחָה)で3回、詩篇では130:4で使われています。
「サーラハ」は「完璧な赦し」「二度と思い出さない」という意味です。主が罪を赦される場合には、その罪を忘れて二度と思い出すことがないのです。そのことを信じる者の心には確固とした平安が満ち溢れることでしょう。神の赦しに支えられながら、私たちは人を赦し、自分自身を赦し、そして神をも赦すことを学ぶのです。特に、最後の「神を赦す」ことはとても重要です。
(3) 「恵み豊かな方」
このフレーズには「主を呼び求める者」には例外なくということばが掛かっています。これは主に対する信頼と同時に、主に顔を向ける「悔い改め」をも含みます。
「恵み」と訳された「ヘセド」(חֶסֶד)は、契約用語で「尽きることのない、絶えることのない、信頼に足る、裏切ることのない、揺るがない確実な愛といった意味です。たとい人間のすべてが野の花や露のようであっても、神は常に変わることのない信頼の源、ゆるぎない信頼の保障なのです。このような確かな愛の中に生かされる者はなんと幸いでしょうか。うらやましいほどです。
2013.5.23
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