なぜ歴代誌を学ぶのか
「歴史書(2)」の目次
A. 序-2. なぜ歴代誌を学ぶのか
(1) その主題の重要性のゆえに
①歴代誌全体の主題は、「礼拝の民イスラエルの再建」である。神を礼拝することこそイスラエルの民の中核であることが強調されている。これはイスラエルの民が偶像礼拝によって捕囚という痛みと辱めを伴う歴史を通して学んだ教訓であり、回復への道筋であった。
②礼拝という主題は歴代誌のみならず、創世記の最初からヨハネの黙示録の終わりまで、聖書全体を貫く主題である。神の救いの究極的目的は、人を真の礼拝者とすることである。ヨハネの黙示録においては、すべての種族、国民、民族、そしてすべての被造物が御座の前で、昼も夜も絶えることなく神を礼拝している姿が啓示されている。
(2)礼拝の今日的課題
「果たして、礼拝を正しく理解し、真の礼拝者として生きているのか?」
① E・W・トウザーの警鐘・・『霊とまことをもって』(いのちのことば社、1990年)「現代の福音主義では礼拝という輝く宝石を失っている。現代の教会は礼拝する能力を失っている。」(1960年代)
② いつの時代でも、どこにおいても、神は真の礼拝者(礼拝ではなく礼拝者)を求めておられる。ヨハネの福音書4章19節~26節でイエスはサマリヤの女に真の礼拝について啓示された。
a. 「霊とまことによって」・・聖霊と真心から(自発的)ささげられる礼拝。もはや律法的、命令的ではなく、恵みと感謝の応答としての礼拝。その本質は「守る」「受ける」礼拝ではなく、「ささげる」礼拝である。
b. 「サマリヤでも、エルサレムでもない」・・旧約時代においては礼拝の場所が強調された。しかし新約時代においては、礼拝の場所は一定の見える神殿から、聖霊の宮としての私たちのからだに移行する。
③ 礼拝の優先性の確立
礼拝は宣教、教育(弟子訓練)、交わり、奉仕においての土台である。
a. マタイ4章10節・・サタンに対する主の答え
b. ルカ10章42節のマリヤの選択
c. 詩篇27篇4節のダビデのただ一つの願い
d. 使徒の働き13章のアンテオケ教会における世界宣教の幻
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