それが私の慰めです。
詩篇23篇の瞑想の目次
瞑想(11) 「それが、私の慰めです」(v.4-b)
- 4節後半のテーマは「慰め」です。原語は「ナーハム」(נָחַם)。旧約では108回、詩篇では12回使われています。
「私の慰めです」(新改訳)
「わたしを慰めます」(口語訳)
「私を力づける」(新共同訳)
「わたしに勇気を与える」(関根訳)
「わたしを安心させる」(フランシスコ会訳)
「私を励ます」(岩波訳)
- 英語訳でも comfort me, give me courage, relented me, 等と訳されています。「慰める」(「ナーハム」נָחַם)を語根とする有名な人物がいます。ひとりはノア(נֹחַ)、もう一人はネヘミヤ(נְחֶמְיָה)です。ノアの父レメクは「主がこの地をのろわれたゆえに、私たちは働き、この手で苦労しているが、この私たちに、この子は慰めを与えてくださる」として子どもの名前を「ノア」と名づけられました(創世記5章29節)。ネヘミヤも「神は慰める」という意味です。いずれの場合にも、その慰めの背景には、困難、苦しみ、失望、悲しみ、恐れの現実があります。こうした背景に神が慰めを与えるべく彼らが登場しています。
- 「これら」(הֵמָּה)とは、「あなたのむちとあなたの杖」のことです。「むち」と訳される「セーヴェト」(שֵׁבֶט)は、「鞭、つえ、苔(しもと)、さお、棒、rod, scepter 」などと訳されますが、「杖」と訳された「ミシュエネット」מִשְׁעֶנֶתはほとんど「杖」(staff)と訳されています。前者は守りのための力の杖であり、後者は導きのための支えの杖です。いずれも一つの杖が守りにも、導きにも用いられたと考えることができます。
- 聖書ではしばしば「杖」は権威の象徴であり、モーセは神から与えられた杖によって、神の力を引き出し、イスラエルのための民たちを導いた。紅海渡渉の時には、その杖を前に出すことよって紅海は二つに分かれました。荒野においてその杖で石を打てば水が出たのです。
- 「あなたのむちとあなたの杖」とは、いずれも羊のために主権的な愛の支配を持って守り導くすべてのことを含んでいるように思われます。そして、それは神がご自身の民を育成し、成長させるための父権的・教育的な愛の配慮という意味で、「私の慰め」となるのです。
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