〔eπi = -1〕 から 〔eπi+1=0〕へ
〔eπi = -1〕 から 〔eπi+1=0〕へ
- 「博士の愛した数式」という映画を観た。久々に、私の心に残る映画となった。数という神秘を、つまり、素数とか、友愛数、完全数のおもしろさを、楽しませながら、ある数式を通してとても大切なメッセーを伝えようとしている映画だと感心させられた。
- 交通事故による脳の機能障害のために80分しか記憶がもたないという主人公の博士が、僕の心はeπi = -1 だとする世界から 、eπi+1=0の世界へと目が開かれていく。それは主人公にとって、辛い苦悩から心が解き放たれた世界なのである。夜空に光る一条の光が美しいように、野に咲く1輪の花が美しいように、極めて美しい世界をeπi+1=0という数式によって表わしている。きわめて直観を必要とする映画である。たとえ理性的なことばで説明できなくても、直観によって悟る世界、これが数式の面白さだと言わんばかりに・・。
- ちなみに、eとはネピア数という無理数でどこまでも続いていく数、πとは円周率でこれもどこまでも割り切れない数、iとは想像上の数で、決して自分を現わさない虚数。これらは決してつながりをもたない、無関係にしか見えない数なのである。ある一人の家政婦と出会うまでは。永遠の-1としかとらえることのできなかった主人公の博士の人生に、「1」が足されることによって世界が変わる。ものの見方が変わり、自分を苦しめていた「-1」が「0」に、つまり「-1」が無くなったことを意味する。
- その「1」とはいったい何なのか、実はとても難しい問題なのである。したがって、その解釈はその映画を観る者のひとり一人にゆだねられている。
- この映画を観ながら、私は、視座(ものの見方の座標軸)が聖書の視座にとても似ていると感じた。たとえば、博士が家政婦に1枚の紙に直線を書かせてこう言う。
- 「考えてごらん。君の書いた直線には終りと始まりがある。だとすると、二つの点を最短距離で結んだ、これは線分だ。本来、直線の定義には端がない。無限にどこまでも続いていかなければならない。しかし1枚の紙には限界があるから、とりあえずの線分を本物と了解しているに過ぎない。真実の直線はどこにあるのか。それは心にしかない。自然現象にも感情にも支配されない永遠の真実は、目に見えないのだ。目に見えない世界が、目に見える世界を支えているんだ。肝心なことは、心で見なければ・・・」
- ・・・・この視座こそ、eπi+1=0の数式を理解する鍵のように感じられた。わたしもこの数式を愛したい。
2007/04/10のBlog
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